14.本当の始まり
「ミハイルは条件を飲みました。すぐにグスマン商会傘下の商人は、奴隷を全員手放すでしょう」
「よくやってくれた」
王の自室にて、ユーリは跪いてイブラヒムに首尾を報告した。いまやユーリは一人の侍女であり、奴隷である事を知る者は誰もいなかった。この部屋だけが、2人で秘密の会話が出来る場所だった。
グスマン商会は、奴隷貿易から完全に手を引く。そうなれば奴隷の売買は、半分以上なくなるはずであり、他の小規模な奴隷売人たちも彼らに倣って、次々と撤退していくであろう。
これでイブラヒムが改革を推し進めても、商人側の反発は激減する事が予想された。
この玉座に着くまでに、イブラヒムは準備を怠らなかった。ユーリへの戦闘訓練や、有力議員とのコネクション作りまで、実に泥臭く地道な努力を重ねてきた。
それが今、結実しようとしている。
(ここからが本番だ)
イブラヒムは、身が引き締まるような感覚を覚えた。
その夜、イブラヒムの自室にて。彼は久しぶりに一人酒を楽しんでいた。普段は社交儀礼としての飲酒が九割であるため、誰の目や機嫌を気にせず酒を飲めるというのは、彼にとって数少ない心休まる時間だった。
そして通信用魔法を介して、古くからの旧友であるアイザックとダンの声も聞こえていた。
「ありがとう、ダン。お前の協力がなければ、ミハイルに話をつける事は出来なかったろう」
「いいよ、礼なんて。僕は君のやろうとしていることには、大賛成なんだからな」
デュボワ家はその家業の関係上、古くからグスマン商会との繋がりを持っていた。だからこそイブラヒム達との間に立ち、彼らとの交渉に臨むことが出来たという訳だった。
「いよいよこれで、彼女を助け出す段取りも決まってきたわけかい?」
「ああ。いよいよ世界を変えるって事が、現実味を帯びてきたよ」
「そうだな。ここまで来れば、憲法自体を変えることも、難しくはないだろう…だがな、イブラヒム」
「? なんだよ」
「彼女は…ユーリは、まだ奴隷のままなのか?」
「…!」
イブラヒムの体が、不意に硬直した。
「あまり言いたくはないが…彼女のための奴隷制・身分制廃止であるならば、彼女をすぐに解放すべきじゃないのか?」
「……」
「結局それはお前が、彼女のために何かしていると思いたいだけなんじゃないのか? 自分でも、彼女のために報いていると。彼女がどう思うかは関係なく。それは、他者から見れば偽善と呼ばれても仕方のないことじゃないのか?」
「ちょっと、アイザック…」
「構わないよ、ダン。アイザックの言ってることは事実だ…俺は、俺自身のためにしか行動していない。彼女のことを本当に思うなら、奴隷証文を破り捨てるべきなんだ。それができないのは、完全に俺のエゴだ。偽善者と言われても仕方の無いさ」
「イブラヒム…」
「そうか。それなら、お前はこの世界を変えても意味がないと思うか?」
「…いいや。少なくとも、今までの世界が彼女を幸せにしてくれるとは、到底思えない。それに、今の世の中で苦しむ人間は大勢いる。なら、偽善でもやる価値はあると思っているよ」
「…よく言ったな。その言葉が聞きたかったんだ」
画面の向こうで、アイザックが酒を飲む音が聞こえた。
「俺が、俺の上に立てると認めた男であれば、そうでなくてはな。さぁ、飲むぞ!」
「よしきた。どれだけ一気に耐えられるかな?」
「ちょっとちょっと、僕らはもうそんなに若くないんだから!」
そうして笑いあいながら、時間は過ぎていった。
それからというもの、徐々に奴隷制の撤廃は進んではいった。各地での亜人奴隷たちの蜂起を、ついに世間は軽視することが出来なくなっていった。グスマン商会の奴隷貿易撤退も手伝い、地域単位で奴隷制を廃止、もしくは緩和する箇所が次々と現れていった。
だがしかし保守層が多く占める地域では、未だに厳しい奴隷制や身分制が幅を利かせているのが現実であった。時には妃純粋種に対する、大規模な粛清や武力鎮圧が行われる場合も見られた。そうした地域がいまだ半数以上であるのが現実だった。
この現状の中で、さらなる危機をアズリエルは迎えようとしていた。内戦危機である。
奴隷制撤廃を推し進める地域、そして保守的傾向が強い地域、そして亜人コミュニティ。それらがお互いに争い、時には結託し、小規模な小競り合いが各地で見られるようになっていった。
これをこのまま放置しておけば、アズリエルは確実に内戦状態へと突入する。その確信がイブラヒムにはあった。
(これを、このままにはしておけない)
世論は、王の言葉を望んでいた。この曲面を打破するような、新たな王の画期的な言葉を待ち望んでいた。
それこそがイブラヒムの望んでいた状況でもあった。
(今が、その時というわけか)
それは、彼が起こす革命の始まりでもあった。




