表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

137/147

13.裏の顔



 いつしかイブラヒムは壮年と呼んでもいい年齢に達していた。顔には皺ができ、瑞々しさは徐々に失われていった。

 しかしその両眼に宿る輝きだけは、若き日から変わる事は決してなかった。未だ傍らにいる者が、初志をイブラヒムに思い出させていたのだ。

 赤い絨毯が敷き詰められた道を闊歩し、そしてイブラヒムは玉座の前に立った。その様子を、皆が固唾を飲んで見守っていた。

 この日、イブラヒム新王の戴冠式が盛大に行われていた。閣僚を始めとした要人達が見守る中、長い年月をかけて、イブラヒムは遂に玉座に座った。そして儀式用の王冠を被ると、盛大な拍手が巻き起こった。


 ジャスティン先王の死により、イブラヒムは史上最年少での国王となった。閉塞した時代のムードを一掃してくれるのではと、世論の支持率は高い。そうした情勢に後押しされて、イブラヒムは歴史を変える資格を持ったとも言えるだろう。


「混迷の時代…私の力を全て使い、希望を照らしてみせます」


 そう宣言すると、イブラヒムは一気に喝采を浴びた。




「おめでとうございます、イブラヒム様」

「ああ…ありがとう」


 必要以上に口を開かず、滅多に祝いの言葉など述べないユーリが、珍しくイブラヒムに声をかけた。

 ユーリは常に全身を覆い隠すような服を着ていた。それは、その身に宿した奴隷の紋章を、覆い隠すためである。

 改革派の筆頭であり、人種的平等を謳うイブラヒム王が奴隷を使役させているとなれば、大問題となるからだ。


「お食事の用意は出来ておりますので、これで失礼します」

「ああ」


 それだけ言い残して、ユーリは部屋を出て行った。

 一人残されたイブラヒムは、机の引き出しに入っていた、一枚の紙を取り出した。それはユーリの名が記された、彼女の奴隷証文であった。ユーリを奴隷商から購入した際に渡された、自らが彼女を服従させる者であるという証書である。


(…俺がこいつを破り捨ててしまいさえすれば、ユーリは)


 それは明白なことではあった。イブラヒムが一度この証文を破り捨ててさえしまえば、それだけでユーリは自由の身となる。彼が身を粉にして革命を起こさずとも、ユーリは奴隷という身分から即座に解放されるのだ。

 しかしそれは出来なかった。確かに彼女は自由にはなるが、しかし彼女を取り巻く環境は変わらない。純粋種と変わらない市民権を手に入れなければ、どのみち迫害や差別の対象となる。最悪の場合、奴隷に逆戻りというケースも有り得るだろう。


(…違う、そんなのは言い訳だ)


 一方でイブラヒムは、自らの心の奥底にあるエゴにも気付いていた。この奴隷証文さえあれば、彼女は自分の側を離れる事は出来ない。イブラヒムは生涯にわたってユーリを独占できるのだ。大義名分を掲げてみても、それは自分の個人的な欲を隠すための言い訳に過ぎなかった。


「くそっ!」


 イブラヒムは机を叩いた。握り締めた拳は、小刻みに震えていた。







 アズリエル王国の王都郊外にある、古ぼけた奴隷商館の地下深く。そこはグスマン商会の長、ミハイル・グスマンの根城だった。所々に蜘蛛の巣が張り、少々ホコリが溜まっているそこには、この大陸の中でも特に悪名高く、また強い者たちが集まっていた。

 その場所にユーリは、フードと口元を覆う布で顔を隠し、地下へと続く階段を降りていった。そしてミハイルの待つ部屋への扉を開けると、取り巻きたちの濁った視線が自分に向けられるのがわかった。ユーリは内心、その目つきを嫌悪していた。彼らは弱者を踏み付けることをへとも思わない、言うなれば自らの敵だからだ。

 それらを表情に出さず前へ進んでいくと、ミハイル・グスマン本人が足を組んで座っていた。想像していたよりも小柄ではあるが、しかし身に纏う豪奢な服と宝石、そして有無を言わさないような悪意に満ちた笑みから、彼がこの集団の統率者であることは明白だった。


「ほう、こいつぁ驚いたぜ。是非とも会いたい奴がいるって言うから、誰かと思ってみりゃ女とはな。いい度胸してるぜ」


 ミハイルは邪悪な笑みを更に深くした。


「大した事ではありません。その気になれば、私一人で貴方方全員を殲滅することも、難しいことではありませんので」


 それは事実だった。亜人の中でも有鱗族は、特に身体能力に長けていた。そしていつの日かイブラヒムが自らの目的を達成するため、ユーリに特殊な戦闘技術を施していた。もはや常人であれば、彼女には指一本触れる事は出来ないだろう。

 しかしその事に気付かず、先ほどの言動が癪に触った取り巻きの一人が、ユーリに近付きながら睨みつけた。


「おいおい、ずいぶん大きく出たじゃねぇか。女一人でこの人数相手にして、無事でいられると思ってんのか?」


 女一人に舐めた態度を取られたのでは、男の沽券に関わる。そう言わんばかりに男はナイフを構え、他の数人も同じく武器を身構えた。


「試してみたいのなら、どうぞ。その代わり、命の保証はしかねますが」

「な、何だと! てめぇ、殺してやる‼︎」


 男はナイフを一直線にユーリの方に向けて、突進してきた。ユーリは避けることも容易かったが、あえて彼女はナイフを素手で受け止めた。普通ならば掌が切れ出血するところだが、普通の頭身では彼女の肌に傷一つ付けることさえ出来なかった。


「な…⁉︎」

「これでお分かりでしょう。普通の武器では、私を殺せませんよ」


 その場にいた全員が恐れ慄いた。あえて受け止めて無傷をアピールした方が、より自らの強さを主張できるとユーリは考えたのだ。その計算は正しく、血気盛んなはずの悪漢たちは、たちまち腰が引けてしまっていた。


「その辺にしときな。そいつが言ってることは本当だ。少なくともこの女が本気になりゃ、俺たちも無事じゃすまねぇ。

 それに、こいつは俺たちに取引を持ち掛けてきたんだ。その内容を聞いてからでも、悪くはねぇだろ?」


 ミハイルは落ち着いていた。数多くの修羅場を潜り抜けて来たのであろう、不測の事態でも彼は同じている様子を見せてはいない。


「話がわかって何よりです」

「へっ。前置きはいらねぇ、取引の内容だけ聞こう」

「単刀直入に申し上げます。グスマン商会には、全ての奴隷貿易及び売買からの撤退を要求したい」

「…何?」


 その発言に、ミハイルの眉が釣り上がった。奴隷に関する稼業は、グスマン商会の扱う商売の中でも、そこそこの上がりを得ていたからだ。近年は不況により奴隷の買い手も減ってきてはいるものの、それでも富裕層に好まれる奴隷による収益は未だ高かったのだ。


「無論、タダでとは申しません。前金として、こちらをお納めください」


 ユーリは懐から、金貨が積められた袋を取り出し、ミハイルの足元に置いた。


「奴隷解放が確認でき次第、追加の報酬をお支払いします。こちらの三倍になります」

「なるほど。しかし、こいつは金だけじゃ納得できねえな」

「それも承知の上です。では我々が、税制優遇措置を取れば、どうなりますか?」

「…どういうことだ」

「正確にはグスマン商会を含めた大規模組織への減税措置、となりますが。

 そしてあなた方が商品を輸入する東アガルタ連合…そこと貿易協定による関税軽減となれば、どうです? グスマン商会が続く限り、貴方たちは永久に利益を得ること出来る仕組みですが。

 更にはあなた方の輸入する、幾つかの麻薬…あれらが幾つか合法化の兆しがあるのを、ご存知ですか? この契約が交わされた暁には、我が主の力で一気に合法化を進めましょう」

「……」


 ミハイルにとっては悪い話ではなかった。

 グスマン商会は表の顔も持っているため、それに関する利益の増大は喜ばしいことではあった。特に麻薬事業が解禁となれば、大手を振って市場を独占できるだろう。

 しかし懸念事項がない訳ではなかった。


「確かに嬉しい申し出だがな…あんたが約束を違えないって保証はないぜ」

「それならば、心配はいりません。この証文をお持ち下さい」


 ユーリは一枚の紙を、ミハイルに差し出した。


「こいつは…」

「契約書です。既に我らの署名と印は済んでいますので、こちらに一筆頂いた後、これを保管して頂きたい。

 もし我らが約束を違えた場合、これを世に出せばいい」

「…おい、ちょっと待て! こいつは…」


 ミハイルは目を見開いた。そこにはイブラヒム現王と王家の署名があったからである。王族関係者が自分たちの様な裏社会の人間と、直接取り引きするなど、まさしく前代未聞だ。


「これが公表されれば、我々はお終いです。法の下で断罪され、即座に死よりも辛い牢獄行きだ」

「お前ら正気か? 俺がこいつをネタに、あんたらを強請るかもしれねぇんだぞ?」

「ご心配なく。あなた方の不義理は、計算済みです。その場合は地の果てまでも追いかけ、息の根を止めるまでです。

 私と王家の力ならば、それが出来る事はお分かりでしょう?」

「……」


 ミハイルは暫し考え込んだ後、首を縦に振った。


「…いいだろう。全ての奴隷稼業は、これで終わりだ」


 一気に周囲がざわついた。


「解放された奴隷は、皆家元に返すよう頼みますよ」

「わかったよ。全く、とんでもねぇ事になったぜ」

「ご協力、感謝します。ではこれで」


 ユーリはミハイルに背を向け、出て行こうとした。


「ちょっと待ちな」


 その背中を、ミハイルが呼び止めた。


「まだ何か?」

「お前ら、何をやろうってんだ? 俺たちと取り引きなんて、普通はやらねぇ…何が目的なんだ?」

「革命ですよ。弱者の救済…大義を為すためです」



 そう言い残して、ユーリは去っていった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ