10.隷属
それから半年の後、カストール・ルイス公爵は天へと旅立った。進行した腎臓の病の為、最後の一月は神経もほとんど麻痺し、結局は大往生となった。
その葬儀は盛大に行われ、政財界の名士たちが一堂に介した。
イブラヒムは喪主となり、参列者たちへの挨拶回りに奔走した。葬儀の一切を取り仕切り、最後まで公爵の旅立ちを見届けた。
そして軍楽隊が葬送のラッパを吹き、兵士達が捧げ銃の銃声が響き渡っても、イブラヒムは毅然とした表情を崩さなかった。
(父上…お許しください)
すでに天へと昇ったであろう父に、イブラヒムは語りかけた。
(でも私は…ユーリを愛しているんです。きっと、あなたが私を愛しているのと、同じように)
「偉大なるアドナイの導きにより、カストール・ルイスの魂を導きたまえ…」
祈りの言葉は述べられ、皆が悲しみに俯く中、イブラヒムだけは空を仰いでいた。
そしてわずか数日後には、イブラヒムは玉座へと続く赤い絨毯を、一歩また一歩と踏み締めていた。視線の先にはこのアズリエル王国を滑る存在であるジャスティン1世が、イブラヒムを見下ろしていた。
やがてイブラヒムが玉座に続く階段の手前まで来ると、彼は片手を付いて跪いた。
「イブラヒム・ルイス…聞いてはおろうが、貴様は私の養子となる」
「はい」
「いずれはこの国を統べる存在となるのだ…私の意志をついでな」
(……残念ながら、あんたの意志を注ぐ気はない)
この奴隷制を作り上げた張本人であるメルヴィン王、その息子であるジャスティン王は、その思想や言動を色濃く受け継いでいた。
数々の英雄譚で聞かれる独立戦争の武勲は事実だが、それも隷属させた亜人達による経済力の増強や、特攻兵としての配備に支えられての話しだった。
しかしイブラヒムは本心を隠したまま、ジャスティン王に言った。
「はい、陛下」
「まずはルイス公爵に続き、元老院に入閣してもらおう…我ら人間の地位を更に盤石とする為にな」
「…その中にユーリは、入っていないんだよな」
「? 何か言ったか、イブラヒムよ」
「いえ、何でもありません。大任ですが、やらせていただきます」
本心を隠したまま、イブラヒムは頭を下げた。
「まさか王族入りするとはな…」
「とんでもない出世の仕方だよね!」
久しく会っていなかったダンとアイザックに、イブラヒムは対面していた。しばらくはルイス家の屋敷にも戻ってはこられず、議員としての仕事も忙しくなるとの事で、イブラヒムの部屋でささやかな祝杯を3人で上げていた。
アカデミーを卒業後、アイザックは弁護士になり、そのまま功績を認められ爵位を授かった。世襲制ではない限定的地位ではあるが、一般的に見れば栄誉な事ではあった。そしてイブラヒムよりも早く元老院議員として入閣した。
ダンは家督を継ぎ、そのままデュボワ家の家業である魔法による製薬・販売や流通に携わっていた。奴隷を使わない分、流通規模は小さかったものの、貴族としての地位を失わない程度には成功していた。
「ああ…だが、まだ何も始まっていない」
「確かにな。憲法も法律も、今のままでは非純粋種を置いてきぼりにしたままだ」
「確かに、未だに街中で奴隷って見かけるよね…それに亜人で裕福な人間なんて、聞いたことないや」
「そうだろう。ユーリはまだ、この世界では自分らしく生きてはいけない。だからこそ、俺が世界を変えなければいけないんだ。きっとそれは、俺にしか出来ない事だ」
「おいおい、この俺を差し置いてか。まったく、相変わらず舞い上がりっぱなしだな、玉座についたわけでもないのに」
「いずれそうなるよ。いつかはお前を追い越すのが確定ってわけだな」
「こ、この野郎! その性格、歳食っても治らないな」
「ああ、もう…ここで言い合いになるのも、昔から一切変わってないよね…」
昔と一切変わらないやり取りに、3人は多いに笑い合った。
「イブラヒム様、新しい瓶はこちらに」
「ああ、ありがとう」
ユーリは3人の間に、まだコルクが抜かれていない酒瓶を置いた。空いた皿や瓶を手早く片付ける様は、正しく気の利いた給仕であった。
「あれ、彼女って…」
「そうか、2人は会うのは初めてか。こいつがユーリだよ」
「はじめまして。ユーリ・カミールと申します」
ユーリは2人に向かって、礼儀作法のお手本のような15度の礼をした。
「あ、いや…こちらこそ、どうも」
「はじめまして、カミール嬢。私はアイザック・ロレンゾだ。こっちはダントン・デュボワ。2人とも、このロクデナシの腐れ縁でね」
「ろ、ロクデナシだと⁉︎ このガリ勉野郎め、俺がいなけりゃぼっち生活確定だったくせに!」
「それを貴様が言うか、放蕩息子! 俺がここまで成績が良くなければ、お前は張り合う相手すらいなかったんだぞ!」
「あー、はいはい。もうわかった、わかったから…」
ダンが頭を抱えながら、2人を宥めた。
「なるほど、お話に伺っていた通りですね」
「お話?」
「イブラヒム様曰く、お二人はご自身の唯一の親友であり、特にアイザック様はどれだけ小馬鹿にしても大丈夫な方だと」
「お、おい! 本人の前でバラすな‼︎」
「なななな、何という奴だ、クズ野郎め! この場で引導を渡してくれる‼︎」
更に喧嘩は激しくなり、夜は更けていった。
2人が帰り、イブラヒムの前には静けさが戻ってきた。
「あ〜、まったく…3人だといつもああなる」
「仲が良ろしいのですね」
「…まあな……ユーリは、友達って」
「アイザック様やアルフレッド様のような純粋な友は、私にはおりません。私が奴隷となった際に、殺されてしまいましたから」
「……!」
イブラヒムは、思わず絶句した。
「故郷を襲撃され、抵抗した同胞達は命を落とし…唯一生き残った私だけが、侵略者達の気紛れで生かされ、奴隷商人に売り渡されました」
「……」
「同い年の子供まで殺されましたので…今この屋敷にいる奴隷達も、仲間意識はありますが、友達ではないはず」
「…すまない、酷な事を聞いてしまって」
「……いえ、もう50年近く前の話しですので。では、失礼します」
「……ユーリ!」
不意に、イブラヒムはユーリを呼び止めた。
「如何されましたか?」
「……」
自分の気持ちを伝えたかった。しかしそうした所で、何にもならない事をイブラヒムは痛いほどに分かっていた。
それで何かが変わるわけではない。彼女を取り巻く環境に変化はない。ユーリにしても、イブラヒムの気持ちを知ったところで嬉しいはずもないだろう。
「…いや、なんでもない。もう寝るから、今日はお前も休め」
「かしこまりました。では、お先に失礼させていただきます」
軽く頭を下げて、ユーリは出て行った。沈黙だけが残された部屋で、イブラヒムは頭を抱えた。
「……くそっ」




