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7.命の値段



 その後、イブラヒムたちの下に憲兵たちが押し寄せ、全員連行された。

 現行の法律に基づくと、彼らの行動は器物破損に近かった。他人の所有物である奴隷を独自の判断で殺傷し、機能を停止させたということは、言うなれば道具を一個破壊された程度の罪の重さであった。

 ちょうど殺害された奴隷の主人も現れ、奴隷を殺害した男たちに対しては多少文句を言ってはいるものの、それも所詮は持ち物を一個壊されたくらいの怒りでしかなく、それがさらにイブラヒムを落胆させ、また憤らせた。

 そして何よりも惨いのは、少女が出した銅貨2枚は結局本物の金だったという事だった。専門家の鑑定によれば、硬貨の偽造など亜人の持つ技術や教育では到底叶わず、やるとしても背後に純粋種の人間がいるなど、組織的犯行が主であると聞かされた。

 最終的な処分として、彼らは二週間の業務停止命令と罰金、さらには主人に対する賠償だけで済むことになった。殺人としての罪は最後まで問われる事なく、男たちも少々の渋い顔で済まされていた。

 その様子を見ながら、イブラヒムは茫然と立ち尽くすばかりであった。


 そしてイブラヒムが帰ろうとする中、殺された奴隷少女の主人が目の前を通りかかった。


「あれ、あんたは…」


 主人はイブラヒムの顔を覗き込んだ。


「あんた、俺の奴隷を助けようとしてくれたみたいだな。ありがとよ」

「え…いや…」

「しかしまぁ、あいつも使えねぇな。せっかく新しく買ったばっかだってのによ」


 その言葉を、イブラヒムは聞き逃さなかった。


「あ〜あ、火葬代もかさむしよ…買ったところで良い事ねぇな」


 主人は奴隷証文をペラペラと振りながら答えた。その姿を見ると、イブラヒムは腹の底から煮えたぎる様に熱くなるのを感じた。


「…なら、それを俺に寄越せ」

「は?」

「そんなに面倒なら、俺が買う。そいつを俺に寄越せ」

「な、何言ってんだアンタ?」

「さっさとしろ! 金なら払う、言い値で買ってやるって言ってんだよ‼︎」

「わ、わかったよ…銅貨3枚で買ったから、5枚でどうだ」


 銅貨5枚。この男にとって、それが彼女の人生の値段だった。その前は3枚で、人に無条件で隷属する存在として売られていた。その事実が恐ろしいほど残酷に響いた。


「…無罪の女の子の命が、その程度なのか」


 その事実に、イブラヒムは俯いた。


「わ、わけわかんねぇよ…とりあえず、証文は渡しておくぜ。ほれ、主人の名前は塗り潰しておいたから、後はあんたの名前を上書きすりゃいいだけだ。何なんだよ、全く…」


 ぶつくさと文句を言いながら、男は足早に去って行った。もはやこの男にとって、イブラヒムは理解不能な言動を繰り返す狂人の様にしか見えなかったのであろう。


「…くそっ…」


 ただ一人残されたイブラヒムは、どうしようもない現実に、ただ膝を折るしかなかった。主人の名が塗り潰された証文を握りしめ、力無く項垂れた。

 どうしようもない無力感を、イブラヒムは人生で初めて体験していた。




 ルイス家の屋敷には、奴隷達の為の共同墓地があった。そこには今までに命を落とした、全ての使用人が眠っていた。

 少女の遺体は、そこに埋められる事となった。あのまま主人に任せていても、碌に火葬もせずに埋められるか、最悪遺体を何処かに放置する可能性すらあった。

 それならばと、イブラヒムはせめて墓に埋めてやりたいと、遺体を引き取った。証文によれば、幸か不幸か身内は一人もおらず、生まれた時から天涯孤独の身の上だったらしい。

 親戚による参拝を考える必要がなくなったが、それでも出来る事なら先祖たちと一緒に埋葬してやりたいと、イブラヒムは強く思った。


 埋葬に関しては、使用人たちが大部分を手助けした。少女の死因を聞き、多くの者が共感し涙した。土を掘り、遺体を洗い、彼女の為の追悼の(ことば)を読んだ。


「聖ミロワの導きが在らんことを…」


 皆が少女の為に両手を握りしめ、せめて死後の旅立ちの中では安らかであってほしいと、祈りを捧げた。イブラヒムは彼女の事を何一つ知らなかったが、その少女の強者に服従するだけの生涯を思うと、胸が抉られるような感情を覚えた。


「誰も傷付けてはいないのに…端金(はしたがね)のために命を奪われなければいけないと言うの…」


 ユーリは涙を流しながら、両手を強く握り締めた。


「それが彼女の、私達の命の値段だというの? 銅貨2枚? こんなの…あんまりよ」


 イブラヒムは俯いたまま、何も言う事が出来なかった。それは変えようのない事実であった。遣いの為の銅貨程度で、人間達は少女の命を奪った。それを皆罪とも思わなければ、罰する法もない。無情すぎる現実をイブラヒムは言葉にする事が出来なかった。



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