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5.悪夢

「うぃ〜っく…ど〜れしゅかイブラヒムしゃま…わらくひは立派な大人でしょ…」


 顔を真っ赤に紅潮させたユーリは、フラフラと頭を振りながら呟いた。テーブルの上には既に何本もの空き瓶が並び、料理が乗った皿も既に空になっていた。

 そんな光景を、イブラヒムは半ば呆れながらも、愛おしげに見つめた。


「子供みたいに意地を張りやがって…とことん人間臭いやつだな」

「わらひは人間でしゅよ…ヒック…うっ…ぎぼぢ悪い」


 ユーリの赤い顔色が、一気に真っ青になった。彼女が度を超えて飲んでいるのは、誰に目にも明らかであった。その上あれだけ急ピッチで酒を飲み干せば、こうなる事は自明である。


「あぅぅ…世界が回るぅぅ〜…うぐぅ」


 テーブルに頭突きをするかのような勢いで、ユーリは意識を失い、そのまま突っ伏した。


「はぁ…全くもう」


 イブラヒムは彼女を背に背負い、そのままテーブルに複数枚の金貨を置いた。


「釣りはいらないぞ。ごちそうさん」

「ええ⁉︎ こ、こんなに沢山…ありがとうございます!」


 女性一人の重さを背に感じながら、イブラヒムはそのまま店を出た。





 イブラヒムは自分の部屋のベッドに、投げ捨てるようにユーリの体を放った。奴隷たちの詰所にわざわざ出向くのは非常に面倒だったので、そのまま自分の部屋に直行した。

 彼の苦労など全く知らず、ユーリは安らかな寝息を立てていた。一見しただけでは亜人とはまるで思えない、人間と瓜二つの美しい顔だった。その顔は普段の冷めた表情などまるで感じさせない、完全に無防備で無垢な顔だった。眉間の皺など一つもない安らかな表情を、イブラヒムは見つめていた。


(こいつが俺の奴隷じゃなければ…いつもこんな表情なのか)


 イブラヒムは、指先でユーリの頬や目蓋、そして唇に触れた。その肌は白かったが血色は良く、唇も仄かに赤かった。どれも純粋種の人間と変わらない、体温を感じさせる肌であった。そうしている内に彼は、胸の中に暖かい物が芽生え始めている事に気付いた。


「俺は…」

「う…うぅん…!」

「⁉︎」


 突如として、ユーリの表情が険しくなった。呼吸は荒く乱れ始め、額からは汗が出始めた。


「お、おいユーリ⁉︎」

「や、やめ…助けて…おとうさ…」


 どうやら酷い悪夢を見ているようであった。ゼイゼイと喘ぎながら、助けを呼ぶ様な寝言を呟いた。ベッドの上を左右に転がるようにして、必死で何かから逃れようとしているようにも見えた。


「お母さ…やめ、て…!」

「ユーリ、起きろ! 目を覚ませ‼︎」

「いやぁっ‼︎」


 イブラヒムがユーリの身体を揺すると、悲鳴をあげて彼女は飛び起きた。彼女は両肩で息をしており、衣服も汗で微かに透けていた。ともすればそのまま心臓の激しい鼓動が聞こえてきそうな程でもあった。


「はぁ、はぁ、はぁ…ここは…お屋敷…?」

「帰ってきたんだよ。酒場で倒れてベッドで寝てたら、急に魘うなされ始めたんだ。平気か?」

「…お見苦しいところをお見せしました。もう大丈夫で………ゔっっっ‼︎」


 ユーリはいつも通りの超然とした態度を装おうとしたが、襲いくる嘔吐感の前に表情を崩した。その人形のような顔は一気に青ざめ、必死に口元を押さえながらプルプルと震えていた。


「はぁ…薬湯持ってくるから、ちょっと待ってろ。その間、回復魔法でもかけてろ」

「うっぶ…申ぼうじ訳ばげありばぜん…」




「ほれ、飲め。大抵の体調不良は、これで何とかなる」


 それは、イブラヒムが倒れた他の奴隷たちのために買ってきた物の、少しだけ余った物であった。アルとの繋がりで買い付けたものであり、希少価値の高い薬草を煎じたものだった。その薬効は大陸でも随一とは聞いてはいた。


「ありがとうございます…苦っ!」


 薬湯がたっぷりと注がれたカップに口をつけた瞬間、ユーリは酷く渋い顔をした。


「我慢して飲め。全く、本当に舌が子供のようだな」

「こ、子供ではありません! この程度、飲み干してやりますとも!」


 まさに売り言葉に買い言葉で、ユーリは口付けたカップを一気に傾けた。


「〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎」


 涙目になりながら、文字通り苦々しい薬湯を嚥下した。言葉にならないような声を上げて、ユーリは下に残る毒物のような味を、必死で耐え忍んでいるようだった。


「どうだ、体調は良くなったか?」

「…はい。口の中以外は、大分すっきりしました。お騒がせして申し訳ありませんでした」


 そうしてユーリはベッドから出ようとした。


「おい、待て」

「はい?」

「…まだ動き辛いだろう。今夜は、その…ここで寝ろ」

「え…」


 イブラヒムは躊躇いながらも言った。ユーリは怪訝そうな顔をしたが、すぐに察したような表情になった。


「夜伽ですか。あまり体調は優れませんが、どうぞ」


 そう言って、ユーリは服のボタンを外そうとした。


「違う、そうじゃない! …何もする必要はない。ここで寝るだけだ」

「何もなさらないと言う事ですか?」

「ああ、そうだ。その…まだ体調が優れなさそうだからな。俺のベッドの方が、寝心地がいいだろ」

「…かしこまりました、ご厚意感謝いたします。お気が変わりましたら、お申し付けくださいませ」

「別にいい…先に寝てろ。寝巻きに着替えてくる」




 そして夜も更けた頃、イブラヒムの隣ではユーリが安らかな寝息を立てていた。

 先程と同じ、安らかな表情で眠りに着く彼女を、イブラヒムはずっと見つめていた。


(この感覚は、何だ)


 彼女を見ていると、無性に大切に扱いたくなる気持ちを感じていた。それは他の奴隷とは根本的に違う、心臓に痛みが走る様な感情だった。


(俺は…どうしてしまったと言うんだ…)


 そうして、長い夜は深まっていった。



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