3.人間
"懲罰部屋”とは、ルイス家の奴隷で主人に対して粗相をした者、あるいは明確に反抗の意志を示した者に対する罰としての部屋、文字通り懲罰を与える場所である。
そこにユーリを閉じ込めて、早三日が過ぎ去っていた。一切の日が差さず、食事は最低限。カビ臭く、ネズミや虫も平気で沸く環境は、大抵のものにとっては耐え難い。
しかし食事を運びに行ったメイドの話では、ユーリは一切表情を動かさず、ただ部屋の中央で座り込んでいるだけとの話だった。
そうした話を聞く内、遂にイブラヒムは痺れを切らし、直接ユーリの様子を見に行くことを決意した。
「…どうだ、少しは反省したか?」
扉の外側から格子窓を覗き込むと、そこには後手を縛られたユーリが、相も変わらずの無表情で座っていた。両手が使えないまま食事をしなければならないので、彼女は犬の様に這いつくばって食事を取らねばならなかった。そのため口の端や床が所々汚れており、虫が集っているのも見えた。その光景にイブラヒムは嫌悪感を覚えた。
「いいえ」
「何故そうまで頑ななんだ? 俺に頭を下げてれば、こんなところとも即おさらばだぞ?」
「恐れ入りますが、イブラヒム様。人の尊厳と心は、奴隷契約でも犯す事は出来ません。証文にもそのような記載はないはず」
「……はぁ」
イブラヒムは溜め息をついた。この様子では、ユーリは例え餓死しても自分の考えを曲げようとはしないであろう。そうしてイブラヒムが、大枚を叩いて購入した奴隷を死なせたとあらば、大恥をかく事にもなる。それは出来うる限り避けたい事態でもあった。
「全く…夕方には出してやる。このまま死なれたら、大損だ」
「ご厚意に感謝致します、イブラヒム様」
最後にはイブラヒムが根負けする事となった。暗がりの中で、ユーリはイブラヒムに向かって頭を下げた。
そうして数日間、ユーリはイブラヒムの奴隷として、身の回りの世話をする事となった。館の掃除や食事の配膳をいった他の奴隷との共同作業から、イブラヒムの着替えやベッドメイクなどの個人的な事まで、全てカバーした。その分彼女は幾ばくか上等な食事と服が与えられ、いつしか他の奴隷の間でも彼女は特別視される存在となっていった。
そうして彼女が忙しなく働いていた、ある日の事であった。
「帰ったぞ」
イブラヒムが部屋のドアを開けて入ってきた。その日ユーリは着替えやベッド、風呂の用意などの都合上、玄関への出迎えはせずに部屋で待機していた。
「お帰りなさいませ、イブラヒム様」
いつもの様にユーリは、主人であるイブラヒムに向かって頭を下げた。それだけならば常日頃変わらない光景であるが、しかしこの日だけはいつもと違う事が一つあった。
「…おい、その本は何だ?」
ユーリの右手には、少し古びた本が置かれていた。その本は確か、イブラヒムが呼んでいた連作物の小説の一作目で、今日全て読み終えたという事でゴミとして捨てた物だった。
「こちらは不要な物として焼却される予定の物でしたので、私が頂きました。お気に障るようでしたら、燃やして参りますが」
「ああ、いや。別にもう要らないからいいんだが…お前、字が読めるのか?」
「基本的な読み書き程度でしたら、可能です」
「それは…本当か?」
それは俄かには信じがたいことであった。文字を読む事が出来る亜人など、イブラヒムはまるで聞いた事がなかったからである。それまで亜人というのは、純粋種に比べると著しく知能・知性・品性に劣る人種であり、だからこそ純粋種の貴族が支配し管理せねばならないというのが、上流階級の常識であった。
「…なら、その本のタイトルと、何処でもいいから好きな一説を読み上げてみろ」
「かしこまりました。タイトルは『田園物語』です」
ユーリは本を開き、その頁の中の文に目をやった。
「…『やがて夕陽が沈むと、豊かに実った稲穂が色鮮やかな橙色に染まる。彼はその光景に暖かさを感じ、また同時に幾ばくかの寂しさも感じていた』…こんなところでしょうか」
「嘘だろ…」
思わずイブラヒムは口を開けてしまった。
「しかし、学校など行ったことはないだろ? どうやって、誰から習ったんだ」
「両親がまだ存命だった頃に、教わりました。あとは独学で何とか」
「…亜人は読み書きが出来ないと教えられてきたぞ」
「それは誤解です。個人差はありますが、ちゃんとした教育を受けさせれば、大体の亜人が読み書き程度はできるようになるはず」
「……」
半信半疑であった。確かに現実に彼女は、本の一節を寸分違わず読んで見せたが、それもユーリのような種族だけがなせる業ではないかとも感じられるからである。
「なら証明して見せろ。これからは他のメイド達に文字を教えてやれ。他の仕事の量を多少減らしてもかまわん」
「かしこまりました」
ユーリの言ったことは正しかったと、イブラヒムは思い知る羽目になった。メイド達の教育を命じてから一月もしない内に、館にいる亜人たちは皆簡単な読み書きが出来る様になっていった。もちろんユーリのように読書を嗜むレベルには未だ遠かったが、それでも知能が低いとされていた種族がここまで知識を吸収できるということに、イブラヒムは驚きを隠せなかった。
「えーと、これは『くだもの』だったよね」
「これは『まど』って読むんだよね。この前教わったわ」
屋敷の至る所で、文字の読み書きの練習をするメイド達を見かけるようになった。さらには、文字の読み書きを応用して覚書や伝言なども紙に残すようになり、屋敷内の作業効率は跳ね上がった。以前は口頭でしかコミュニケーションが取れず、意思疎通にかなりの手間と時間を要していたが、これで一気にスムーズに意思の伝達が可能になった。
「これは…」
「確かにツノや耳など、余計なものは付いてはいますが、私たちも人間ということです」
「人間…」
確かに、目の前のメイドたちは、純粋種の人間である貴族たちと同じレベルの知能水準を持っているようにも見えた。それはイブラヒムにとって、これまでの経験や世界観を一気にひっくり返すような出来事でもあった。その事実に彼はひどく戸惑い、また動揺もした。
(こいつらは…人間だというのか?)




