はじめに
イブラヒム・ルイス1世の名を知らぬものは、アズリエルにおいては恐らくいないであろう。奴隷制の廃止を訴え、最終的にその思想を継ぐ者が王国憲法第15条を改正し、現代においては立憲民主主義の父とも称される偉人の一人である。
歴代の王の中でも、その偉業は常にトップクラスであると称えられ、リベラルは勿論の事、保守派からも一定の支持を得ている存在だ。
その生涯も華々しい。王家を縁あるルイス公爵家に生まれ、最先端の英才教育を施された彼は、親族一堂から政界入りを嘱望されていた。それらの期待を大きく上回り、彼は子宝に恵まれなかったジャスティン王に養子入りし、アズリエル王国の王となる。
しかし、その生涯には謎や悪評も付き纏う。
何を契機として彼が奴隷制に反対をし始めたのかを公言することは生涯なく、彼の心中は常に謎に包まれてきた。
また保守派・急進派の買収疑惑や、当時の裏社会のトップであるグスマン協会との癒着など、黒い噂も絶える事は無かった。
最終的に彼は弾劾裁判にかけられる直前で玉座を退き、今世では悪法と名高いモンゴメリー法を制定した、あのモンゴメリー王にとって変わられる事となる。
そして最後には、当時流行した疫病にかかり、死亡することとなる。享年89歳であった。
一方で、彼が亜人少女の奴隷を連れていたのを知るものは少ない。記述によれば彼は少年時代、グスマン商会がの一人である奴隷商人から、亜人少女の奴隷を一人購入している。グスマン商会は、当時の作物や家畜といった一般物資から武器や麻薬、果ては奴隷まで取り扱う大陸最大の貿易商会だった。
保管されていた証文によれば、その少女の名は”ユーリ・カミール”というそうである。残念ながら、この少女に関する記録はほぼ残っておらず、その生涯を辿ることは不可能だった。
また彼は歴代の王の中でも珍しく、生涯において独身を貫いた王である。側室として何人かの女性を囲ったことはあるものの、最後まで正室としての妻を娶る事は無くこの世を去った。その理由も彼は終生明らかにする事は無かった。
これは、歴史の裏に隠された、世界を変えるほどの”愛”の物語。




