第十三話 君臨
「ぐっ…は、ぁ…⁉︎」
サリーの顔に苦痛と驚愕が広がった。腹を指し貫かれた痛みと、有り得ない事が起こった現状を信じきれない心がそのまま映し出されたようだった。
「れ、レイ、様…?」
「な、何を…血迷ったのか、デズモンド!」
「くっ…あははははっ」
レイは血振をするように剣を振り払い、サリーの体をエレナたちの下に思い切り投げつけた。
「あ、が…」
「サリー、しっかりしろ!」
「お姉ちゃん! 大丈夫、すぐ治るからね!」
エレナは全力で治癒と加護の魔法をかけた。腹を貫通するほどの怪我であれば、並大抵の魔法では対処できない事はわかり切っていたが、それでもエレナは全力で姉の怪我を治そうとした。
「美しい姉妹愛だな、感動するぜ。心配しなくても、殺した後に生き返らせて、俺の側室の一人くらいにはしてやるってのに」
「貴様…まさか、洗脳でもされたというのか⁉︎」
「レイ様、目を覚ましてください!」
「俺はまともさ。エレナ、サリー、大佐…ただ俺は気付いただけさ。俺が本当に欲しいものは、この俺に従属し崇めるもの。俺が本当に消し去ってしまいたいもの…この世界に存在する、俺に傅かしずかない全ての物だよ」
レイ・デズモンドが発するもの、それはこの世の全てを塗りつぶさんとする闇。これまでの彼女らが知るものではなかった。
口元にはその残酷さを反映したような笑みを浮かべ、その体からは強大な魔力の奔流が感じられた。圧倒的な力で全てをねじ伏せようとするというのは、今までのレイでは考えられないことだった。
「…どうやら話が通じそうもないな」
マリアは腰のサーベルを抜き、切っ先をレイに向けた。
「手荒な真似もせねばならん…覚悟してもらおうか!」
そのまま地面を蹴り、マリアはレイに切り掛かった。コンマ1秒で10メートル以上の距離を一気に詰め、常人ならば攻撃を受けることを感知する前に串刺しになっている所である。しかしその先端部を、レイは指先だけで受け止めた。物ともしないといった表情で、レイは見下したような笑みを浮かべた。
「大佐も冗談が過ぎる。貴女程度の実力で、本当に俺が止められるとお思いですか?」
「くっ…貴様っ!」
レイは思い切りマリアの腹部にボディを喰らわせた。マリアの体はくの字に曲がり、その場に膝を着いた。
「がっ…はっ…!」
呼吸さえもままならない様子で、マリアはその場に倒れ込んだ。
「この野郎…調子こいてんじゃねぇぞ!」
サリーはよろめきながらも立ちあがり、敵意に満ちた眼でレイを見据えた。
「お姉ちゃん、無茶だよ! 傷が完璧に塞がってないのに‼︎」
「平気だよ、エレナ…あの野郎、ちょっと熱で頭が沸いてんだ。私が鎮めてやらないとな」
そういうとサリーは、全身に炎の魔力を纏い始めた。両手に浮かんだ術式の周りには、眼に映る全てを灰になるまで燃やし尽くさんとするような、灼熱の炎が渦巻いていた。
「お前は私たちの知ってるレイじゃない…偽物は消えな!」
その超高温の炎をレイに投げつけ、その身体は飲み込まれた。通常の人間であれば、このまま骨の髄までもが焼き尽くされ、全ては灰になり消えていくだけのはずだった。
しかしレイは無傷だった。その服の裾さえも焦げてはいなかった。その口元には残虐さをそのまま湛えたような笑みを浮かべながら、その目は鋭くサリーたちを見据えていた。
「クックック…こんな緩さじゃケーキも焼けそうにないな」
「マジかよ、力は本物ってか…」
とその時、レイの足首を掴むものがあった。
「…捕まえたぞ!」
先ほどまで足元に転がっていたマリアが、地面を這いながらレイの足元に縋り付くように近付いていた。
「ゼロ距離ならば、貴様といえどタダでは済むまい!」
その両手の甲に氷魔法の術式を浮かべた。しかし魔力の発現範囲は、掌の中。つまりレイの体内である。体の外側から鑑賞したのでは、膨大な魔力で防がれてしまうし、何より食らったところで魔法に対する耐久力が尋常ではないのだ。ならばレイの体の内側から魔法を発現させ、その防護を透過した所から直接人体にダメージを与える作戦だった。
「骨髄まで凍れ!」
マリアは死の全力を振り絞り、絶対零度の魔力を展開した。その効果は甚大であり、部屋中の地面に霜が降りるほどであった。徐々にレイの体は凍結されていき、やがて液体窒素を振りかけられたように氷漬けとなった。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
マリアはその場で崩れ落ち、肩で息をした。文字通りの全力だったのだろう、相当に消耗していることが見受けられた。
ピシリ、と何かがひび割れるような音が響いた。
氷漬けになったレイの体には徐々に亀裂が走り、またその氷結部分も徐々に溶けつつあった。やがて亀裂は徐々に広がっていき、最後には音を立ててレイの体の周りの氷は砕け散った。
「なるほど、俺もこれには少々堪えましたよ。だが、俺を倒すには至らないようですね」
「ぐっ…」
「さて、遊びは終わりにしようか…本当の俺の、神の威光を見せてやるよ」
そうしてレイは、力なく地面に横たわるマリアの肩口に、思い切り剣の切っ先を叩きつけた。
「ぐああああっ!」
「て、てめぇ‼︎」
サリーが叫んだ瞬間に、その眼前にはレイの体躯があった。その猛スピードに、サリーの意識の方がついていかなかった。
「なっ…!」
「腹に穴が空いているというのに、よく吠えるな。その気概だけは認めてやるよ。だがな…」
レイはサリーの爪先を踏みつけ、その場から離れられないようにした。
「俺に抗うなど、傲慢極まりない。女など、ただ俺を敬い、股を開いておけばいいだけだ」
まだ傷が癒えていないサリーの腹部の傷に、レイは躊躇うことなく親指を突き立てた。そこから治りかけた傷がさらに裂け、ドス黒い血が溢れ出した。
「あ、ぎゃああああっ‼︎」
サリーは激痛にもがき、レイの手を掴んで距離を取ろうとした。しかし足先に全体重を乗せられ、思うように身動きを取ることすら困難だった。
踏みつけていた足をレイが退けると、サリーは後ろに倒れ込んでのたうち回った。
「ぐ、ぎいいいっ‼︎」
「お姉ちゃん!」
エレナは叫んだ。
「…あとはお前か、エレナ」
その指先に血を滴らせながら、レイはゆっくりとエレナの方へ近付いた。コツコツと足音を響かせ、エレナの眼前までレイは詰め寄ったが、エレナはただ毅然としてレイを睨み返した。
「なんだよ、その目は。お前は俺を愛しているんじゃなかったのかよ?」
「…貴方は、私が愛したレイ様なんかじゃない。一体貴方は誰なの?」
「はぁ…全く、何故こうも皆物分かりが悪いのかね」
溜息をついて、レイは頭を抱えた。
「俺は洗脳されたわけでも、誰かに体を乗っ取られているわけじゃない。俺は単純に目覚めただけだよ、エレナ。俺は現人神として、この世界に君臨する権利があるのさ。大衆だってそれを望んでる…リチャード王があれだけ支持を集めた事が何よりの証拠だろうが?
俺たちがどれだけ正論を言ったところで、争いは止まらない。人は差別し異端分子を排除する、遺伝子の奥深くに刻まれた、生物としての本能だよ…だからこそ、俺は常に人間社会で見下され、搾取され、蔑まれてきた。エレナも知ってるだろ? だからこそ俺がこの世界に君臨し、世界をこの手に納める資格がある。皆は俺に首を垂れていればいい…俺は神の力を持つ者なんだからな」
「…私の知ってるレイ様は、絶対そんなこと口走ったりしない」
「くくく…そうか」
レイは血のこびりついた右手で、エレナの顔を乱暴に掴んだ。
「…いつの日もお前は、お前だけは…俺のものにならないんだな」
「?」
「お前は俺が吸収しようとしても、頑なに拒んだ…だからこそ、その魂は常にこの世界で生まれ変わり、俺と出会った。
俺はそれぞれの時代で神として、英雄譚が語り継がれるほどの存在になったよ。そんな俺でも、お前は常に俺を拒んだ…何度生まれ変わっても、な」
「生まれ変わった? 私が?」
「お前も元はただの人間。神への供物として、そこの醜い肉塊と同化する運命だったのさ。それでも俺を拒否し、肉体が死に絶えた後、魂は俺から逃げ続けた…どこまでも、腹の立つ女だ」
怒りに満ちた眼差しで、レイはエレナを睨み付けた。それはエレナがかつて見たことのない表情だった。




