千秋のたくらみ
千秋は、急に夏波と競い合う事に、最初は面食らっていたが、今は好機だと考えていた。
現・設備長の藤五郎に、星流楼の主だった従業員、手は足りている。何しろ、日頃『湯引き』をしている人員配置をそっくり千秋が握っているのだから。
そういう意味で、すでに夏波との勝負はついているといってもいい、しかし、それでも、千秋はうまく言葉にできない不安がぬぐいきれなかった。
千秋には、宴会場がまるまる一つ提供され、人員の配置や、必要な備品類、準備は整いつつあった。
千秋自身は、ほとんど手を動かしては居ない。『いつも通りの』準備を、いつも仕切っている藤五郎が差配しているのだから。
星流楼従業員の多くは、突如あたわれたユキヒトの夏波よりも、幼い頃から星流楼に出入りしている千秋こそが、次代の若女将にふさわしいと考えている。
若旦那である星太夫よりも、千秋の存在感は大きいほどだった。
わがままなお姫様の千秋を、邪険にするものは星流楼にはいなかったし、半仮面をつけて、あまり口をきかない星太夫よりも、少々角があったとしても、面と向かって会話が成立する千秋の方が、いくらか親しみがもてたからだ。
昔は、ああでは無かったのに。
千秋は、幼い頃の、王子様のような星太夫の事を思い出していた。
何故星太夫はあんな成をするようになってしまったのか。
今、星太夫は、外との関わりは、いつも三太郎の仲介を必要とする。
発せられた言葉が、真実星太夫のものなのか、愚鈍な若旦那を思いやって手代が忖度しているものなのか、わかりようも無い。
宿で働く者達にとって、直接面と向かって対応をしてくれるという意味で、三太郎と千秋が、次代の主という感覚になっていた。
皆、変化を好まない。現状に不都合がなければなおさらだ。
しかし、千秋は、その『いつも通り』行う事が、女将の目論見に叶うかどうかと、ふと思ってしまう。
いつもやっている事を、いつもの通りに行う事に、千秋の介入は必要無い。
ならば、なぜ、敢えて『湯引き』の仕切りをもって、自分と夏波は競うのか。言いようのない不安の根源がここにある。
ましてや、星太夫の母、現女将は、『あちら側』、千秋にとっては自分の元いた世界から嫁いできている。
『こちら側』のゆかずち温泉の者達は、『あちら側』以上に変化を嫌う。
『あちら側』ではすでに無い路面電車が未だにあり続ける事もしかり、便利な技術で、『こちら側』でも使える技術は少なくは無いが、変化を嫌うがゆえに、そのままあり続けるものがなんと多い事か。しかし、そうした『変わらない事』こそが好まれるこの地で、やり方を変えないという事が、吉と出るのか、凶と出るのか。
千秋は、安心したかった。
星太夫が、自分をこそ求めているという事がわかれば不要な安心だ。
千秋は、自分が思うほどに、星太夫が自分を好いてくれていない事には気づいていた。しかし、少なくともわかる範囲の中で、星太夫に積極的に関わろうとする年頃の娘は自分だけだったのだ。昨夜までは。
中川夏波。
幼稚園で、わずかに目を離した隙に、せいちゃんと遊んでいた少女。
思わず手をあげ、突き飛ばした夏波は、きょとんとして、自分が今どうされているのか、すぐにわからないようだった。
しかし、泣き出すでなく、理不尽な扱いをされている事に、怒りすら感じている様子だったあの女を、千秋は徹底して女子の輪から外した。
女は、共通の敵がいた方が結束する。
そして、常に標的を探している。
夏波は、かっこうの標的だった。
女子の輪からはずし、ひそひそと悪口を言い合う事で、千秋を中心とした女子の結束は固まっていった。
しかし、夏波は、女子に相手にされないからといって、小さくおとなしくしているようなタマでは無かった。
女子が遊んでくれないなら男子と、と、幼稚園の間、夏波は、男子達とサッカーやゲームに興じていた。
泣いて詫びてくれば、千秋だって許せたろうに。
千秋にとって、夏波は、『生意気』で、思い通りにならない女だった。
自分の知らないところでひっそりと生きているならまだ許せた。県外の大学に進学して、もう戻ってくるまいと思っていたのに、まさか、よりにもよって、せいちゃんの婚約者として、隣に立っているなんて。
「ちぃ様、ちぃ様」
藤五郎が、声をかけても、千秋は心ここにあらずといった様子で、すぐに気づかなかった。
耳障りな声に千秋が気づくまで、藤五郎が呼びつづける事七度。
「聞こえてるわよ」
ぞんざいな声で、まるで最初から聞こえていたが、敢えて無視をしていたかのように千秋が言った。
「若女将って呼びなさいって言ったでしょ」
呼びかけられて、藤五郎が用件を言うより先に千秋が言った。
「しかし、女将はまだ……」
どれほど千秋が尊大にふるまおうと、今はまだ千秋は『外の』人間だ。藤五郎としては、悩ましいところであり、仮に理路整然と説いたとしても、千秋は聞かない事がわかっていて、言葉を濁す。
「まあ、いいけど、で? 何の用?」
千秋も、頑なに強要しているわけでは無い、あえて上段からの態度に出る事で、自分の行動がどこまで許されているのか、確かめているようなところもある。
まず、上から出て、反発する相手に対しては、あらゆる力を持ってして圧力をかけ、力技で黙らせるのがいつもの千秋のやり口だった。
千秋一人で唯々諾々となる相手ならば、それもいらない。
藤五郎は、幼い頃から知っている、星太夫にとって、兄のような存在の藤五郎や三太郎は、千秋にとっても兄同様であるし、幼いながらも、甘やかされて育ったワガママな千秋に、厳しく出る者はいない。
「すべて支度は終わりましたが、どうしましょう」
「どうしましょうって、湯引きは明日でしょう? 一旦自分の持ち場へ戻せばいいじゃない」
藤五郎は、何か言いたそうな顔をしたが、千秋に反論せず、千秋の指示通り、皆を持ち場へ戻らせた。
「そういえば、あちらはどうなの?」
「あちら、とは?」
「夏波の方よ、どんな様子?」
「さあ、俺は、こちらの準備と手配で、あちらの様子までは」
「何よ、使えない男ね」
藤五郎は、一瞬だけ眉根を寄せたが、それ以上表情は崩さなかった。
「三太郎に聞いてくる、ここは、もういいんでしょう?」
「はい、後は明日、当日の差配をお願いできれば」
「え、それ、私がやるの?」
あきらやに不快そうな顔で千秋が言うと、さすがにこれ以上無言を通すわけにいくまいと藤五郎が言った。
「ちぃ様、今回は若女将にどちらがふさわしいかを見る為の事、女将の前で、『若女将』としてふさわしい様子を見せなくていいんですか」
藤五郎の言い分は正しい。しかし正しいだけに千秋の癇に障った。
「私が仕切ったら、失敗するかもしれないでしょ、それじゃ困るのよ、あんたがつつがなく事を終わらせれば、それでいい、あんたを『使った』のは、私なんだから」
藤五郎としては、いつもしている事をいつも通り準備しただけだ。千秋からの指示はひと言、『まかせた』それだけ。
張り切って、おかしな指示を出されるよりはありがたいが、女将がそれで納得するとは、藤五郎には思えなかった。
千秋がひと言、どうしたらいいか相談をしてくれれば、いくつか考えは用意していた。
しかし、そうした言葉は、最後まで千秋から発される事は無かった。
藤五郎としては、千秋と夏波、どちらが若女将になってもかまわないと思っている。しかし、先代の源次郎に、代が替わって、もう安心だと思わせるのに、これではあまりにも頼りないという気持ちもあった。
……しかし。
自分から意見をして、千秋がそれを聞き入れてくれるとも思えない。
藤五郎は、沈黙を選んだ。
「……わかりました」
千秋は、満足したように宴会場を出て行った。
藤五郎は、念の為、もう一度、機材の数や、壊れたところが無いか、確認を始めた。
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宴会場から、事務室まで、既に客の気配の無い廊下は静かで、人の気配もあまりないところを、大股で歩きながら、千秋は、夏波と六曜が外へ出て行くのを見かけた。
六曜は、今はあまり表に出る事は無いが、かつては中居頭として、主に接客の女達を取り仕切ってきた。
そういえば、六曜も、千秋の思い通りにならない者の一人だった事を千秋は思い出した。
最近はあまり表にも出てこないので、すっかり忘れていたけれど、夏波と六曜、千秋にとっては、同じくくりの二人が連れ立っているのは、なんとも剣呑だ。
ノックもそこそこに事務所に入ると、ドアから遠い、最奥の一番大きな机で、三太郎が書類仕事をしていた。
「おや、お嬢、もう準備は終わったのかい」
書類から頭を上げた三太郎は、メガネをかけていた。細かい字を見る時に、いつもかけている、少し古めの、べっ甲縁のメガネは、三太郎を年齢不詳に見せていた。
「ええ、もうすっかり、後は明日、つつがなくやり終えて見せるから」
「お嬢が、じゃなくて藤五郎が、だろう?」
三太郎は、特別皮肉を込めたわけではなかったが、千秋には皮肉たっぷりに聞こえた。
「何よ、何か文句ある? 適材適所でしょう? 上に立つ者は、直接手をくださなくても、誰が何を得意としているか理解して、しかるべき指示を与えるべきだって、父も言っていたもの」
憤慨している様子を隠しもせず、千秋はむきになって言い返した。
「文句は無いよ、お嬢の父上の言葉だって、間違ってるとは思わないし、ただね」
もったいぶって一呼吸置いてから、三太郎は言った。
「いつもやっているような事をやって見せたとして、果たしてそれで勝負に勝てるのかな、と、思っただけ」
三太郎の言葉は、まさに千秋も不安に思っていたところではあった。
「勝負も何も、あっちはそもそも人手が足りてない様子、源爺に、他に伝手があるとも思えないし、夏波はユキヒトでしょ? 知り合いも、助けを求める相手も居ない」
「母が、夏波さんに力を貸す事にしたようだよ」
「さっき、二人でいるところを見かけた、だから何? 六曜だって、源爺と一緒でしょ? すでに第一線にいるわけでなし、むしろ厳しい六曜は、源爺以上に嫌われているって思ってるけど?」
千秋が一息に言うと、三太郎はメガネをはずし、疲れた目を閉じて、まぶたを指で刺激した。
「お嬢がそう思ってるんなら、問題はないんじゃない? ただ、このまま何もせずにいて、負けて後悔する事が無ければいいね」
それは、とても意地の悪そうな微笑みだった。三太郎は何も言わない、しかし、その笑みで、千秋があせるだろう事すら、予想するような微笑みだった。
「夏波は、どこで寝起きしてるの?」
唐突に千秋が尋ねた。
「若の部屋で一緒に」
冗談めかして言う三太郎に、千秋がすさまじい形相を向けると、三太郎はあっさり白状した。
「さすがに嘘だってわかったか、離れだよ、一番奥の、ちょっと不便なところ、本来は寮の方を使ってもらうべきなんだろうけど、今、空き部屋が無くてね、誰かさんのせいで」
千秋は、寮の一室を使っている。それこそ、婚約者なわけだから、星太夫の家族のいる別棟の方へ泊まりこみたいと、千秋自身は思っているが、星太夫がこばむのでいたしかたなく、だ、宿泊費用を支払うから客室を使わせて欲しいとも言ったが、こちらは女将の許可が降りなかった。
「ずるい! 離れなんて」
「でも、鶴の間だよ? 風呂も無いし、部屋だってたいして広くない、敷地内に無理して作った部屋だから、満室の時でもない限りは使わない部屋だ」
星流楼の敷地内には、最上階のスイートルームの他に、ジュニアスイートほどの規模の離れが五棟ある。四では縁起が悪いという事で、無理に作ったのが『鶴の間』だった。
他の四棟に比べると、規模も小さく、風呂もついていない。三太郎の言うとおり、満室にでもならない限りは使わない部屋だ。当初、千秋が居座る事を決めた時に、三太郎が薦めたのは、寮では無くて、この『鶴の間』だったのだが……。
「風呂へ通うのが不便だから、嫌だって言ったのはお嬢だろ?」
思い返すと、そんなやりとりもあったような気もすると思いながら、千秋が素直に自分の非を認める事が無い事も、三太郎は織り込み済みだった。
「で? 何? 俺もそれなりに仕事はあるんだけど」
そう言いつつ、実は夏波が星太夫の相手をしてくれているので、実は三太郎の手はいつもより空いている。
けれど、それを素直に千秋に話さな無くてはならない義理は三太郎には無い。
「夏波が、あの子が、どんな策をたてているのか聞きに来たのよ」
思いがけない千秋の素直な問いかけに、三太郎は一瞬言葉を失った。
「……馬鹿なの?」
思わず漏れてしまった言葉に、あわてて口を塞いだが、手遅れだった。
「どういう意味よ!」
「言葉の通りだよ、知っていたとして、どうして僕がお嬢にそれを教えるって思えるの」
言ってしまった以上ひっこみはつかない、三太郎はとりつくろう事なく、素直に答えた。
しかし、三太郎は、千秋のこうした単純さは、実は嫌いでは無い。夏波のように、次の行動が読めないよりも、ずっと単純で扱い易いからだ。
千秋は、口を『へ』の字にして、顔を真っ赤にしている。いつもだったら泣き出すところをこらえているのは、夏波と張り合おうという気概があるからだろうか。
「もういい! 三太郎の馬鹿!」
幼児のような捨て台詞と共に、どかどかと足を鳴らしながら、千秋はその場を立ち去った。
「驚いた、あのわがまま娘にも、『女の意地』のような気概はあるようだ」
それを引き出したのは夏波なのか、と、思うと、この時期に夏波を『通して』くれた、天の配財に感謝したくなった。
気に入らない事があると、泣いて騒いでいた千秋が、まるで気位の高い女のように『耐えて』いる。
夏波と張り合おうとするがゆえなのか、それが元々の気質なのか。
あれはあれで悪くないな、と、三太郎は思った。
気の強い女を組み敷く事に愉悦を感じる、三太郎は、自分の少し歪んだ性癖は自覚していた。
夏波の存在ゆえに、若旦那として独り立ちすべく動き出した星太夫、そんな星太夫の妻に収まらんと、幼子からいっぱしの『女』になろうとしている千秋。
夏波自身は、特別な働きかけをしていなくても、彼女の存在は触媒となって、既に二人の人間を動かしたのだ。
では、自分は? と、三太郎は考えた。
星太夫が一人で立てるようになったら、自分の居場所はどうなるのだろう。
今までは、星太夫のそばで、若旦那の役割から逃げようとする影のように振舞っていた自分は、どうすればいいのだろうか。
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怒りにまかせて事務所を出たものの、千秋の行く先はあまり無い。けれど、夏波が投宿する予定だという離れの立ち並ぶあたりに来て、ふと思い立つ事があった。
今日の予約はどうだったろう、それほど多くは無かったはずだ。厨房に張り出してあった食材の手配を思い出す。離れに泊まる客は、部屋へ膳を出す事になっているはずだ。膳の用意はどうだったろう。
千秋は踵を返し、清掃係の所へ行った。既に客室清掃を終えて、夜の仕事を前に、解散寸前の清掃係をつかまえて、当日の入客状況を確かめる。
「ちぃ様、何もあたしらに聞かなくても、事務所へ行ってもらえれば、予約係が元台帳を持っていますよ?」
古参の清掃係のマメが、怪訝そうな顔で言ったが、千秋が自分ごときの言い分を聞いてくれない事もわきまえていて、
「事務所まで戻るのは面倒だもの」
と、千秋が言うと、マメは口をつぐんだ。
もちろん、事務所まで戻るのがわずらわしいのは事実だったが、三太郎に自分の動きを知られたくないという思いも、千秋にはあった。
思ったとおり、離れの手配は入っていない。鶴の間については、清掃、準備不要とも指示が入っている。飛び込みの客に離れを使わせる事はないだろうと予想をつけて、千秋は自分の策に都合がよい事を確かめた。
「私が台帳を見た事は、誰にも言うんじゃないよ」
そう言い捨てて千秋が立ち去ると、夜にまた使うものなのだから、せめて元通りに整えていって欲しいものだ、と、ぶつくさいいながら、読み散らかされた台帳を、マメは整えた。
千秋は、星流楼を後にした。千秋の策には、助け手が必要だ。そして、それは、星流楼の外の者で無くてはならない。
どう策を弄したところで、おさえるべきはしょせん夏波なのだ。
仮に、千秋達を出し抜くような手立てを用意したとしても、夏波自身が居なければ、そもそも勝負が成り立たない。
気に入らない者に対して、どうしてやろうか考えている時に、千秋は言いようのない高揚を覚える。夏波にはずいぶんいやがらせをしてきたが、いつもとりすまして泣きもしない。けれど、今度はどうだろうか。
泣いて千秋に許しを乞う夏波を想像すると、千秋の足取りは軽くなる。
早く、夜になればいい。
自分の思い通りになる事を信じて疑わない千秋は、階段街の方へ跳ねるようにして進んだ。




