ゆかずち温泉の歴史
カコーン、ちょうどよいタイミングでししおどしが音をたてた。茶室からは池が見え、小さな滝と水車、そしてししおどしがあった。エントランスを循環する水が、巡り巡って音を鳴らす。それにしてもみはからったようなタイミングのよさだった。
「では、どこかでふたつに別れた、と?」
「まあ、そういう事になるわね」
「それはいつ?」
「それは内緒」
六曜は不敵に笑って答えた。
「……あなたはユキヒトだから」
「その、ユキヒトって、何なんですか?」
「読んで字のごとく、通り過ぎる、行きすぎる人、という事、反して、ここは、留まる場所、時が、流れが、一つ所に循環して巡る場所」
「おっしゃっている意味がよくわからないんですが……」
「迷い込んだだけなのよ、あなたはまだ、ね」
「では、その、内緒の話っていうのは……」
「あなたが行き過ぎず、こに留まる覚悟ができたら教えてあげましょう、ともかく、はじめは、双方に七つの宿があり、表と裏は婚姻によって繋がっていた。……でも、表の方が欠けていってしまったのよ」
「宿の名が違うのはそのせいですか?」
「昔は同じだったのよ、春秋屋は、昔は大日屋といっていた、大日屋は、あなたも聞いたでしょう、七つの宿の一つ、基本的に順列は無いって事になってるけど、並び順すなわち順列なのよ、実際のところは」
「じゃあ、千秋のホテルって……」
「あちらでは、首座って事だったのよねえ、昔は……、でも、今は、どうかなー……」
六曜が、遠い目をして言った。
「繁盛してないって事ですか」
「春秋屋の今の主と千秋は顔も中身もそっくりだから」
その一言で、六曜が千秋のホテルのみならず、その親についてもよく思っていない事がわかった。
「でも、こっちの者は考えが古いままだからねえ、ありがたがっちゃって……、だいたい、先代で向こうから嫁をもらったんだから、立て続けに向こうの嫁をもらう必要は無いんだけど……、でもあなた、『夏』なのよねえ……」
「それ、前も言われました、千秋も名前に『秋』が入ってますよね?」
「外からもらう嫁の名を、季節一巡続けると、家が栄えるって俗説があってね、俗説はあくまで俗説であって、確かな記録も前例も無いんだけど、でも、二人ほど続いた時に繁盛したって事があって、そこにあやかろうって腹積もりなんでしょう、意味ないのにねえ、どうせやって来るのは……」
「来るのは?」
「……それも秘密」
どうやらよそ者には詳しい事は教えられないらしい。しかし、いくつかの疑問についてはいくぶん晴れて、夏波はすっきりとした気分になれた。
たとえば、夏波が選ばれた理由や、ユキヒトという言葉の意味。
「あれ? でも、季節一巡って事は、当代の女将さんって……」
「夏の名前を持つ人だよ」
「じゃあ、順番で言ったら、『夏』の私より『秋』の千秋の方が……」
「まあ、そこは他にも色々あってね、しかも春秋屋の娘は、ハナからウチへの輿入れを狙って名付けたフシがあるからねえ……」
いまいましそうに言う六曜に、夏波は、この人の敵にはなりなくないなあ、と、思った。
この場所が、具体的にどんな場所なのかは、結局はぐらかされてしまった。
けれど、ゆかずち温泉が整備されたのと同時期に発生しているのだという事。
スマホを使って通信する事は可能な事から、物理的に遠い場所では無いのではないかと夏波は結論づけた。
たとえば、隠れ里のような。
人工衛星の画像が民間に解放されて、グーグルマップから隣の国の地形もわかるようなご時世ではあるが、全くごまかす方法が無いわけでは無いだろう。(夏波は都市伝説やミステリのたぐいはけっこう好きだ)
くぐったトンネルが見えなくなった事にも、何かしらトリックがあるのかもしれない。
ともかく、出入りする為に何らかの手続きが必要そうである事、どうかすると公的機関からはアンタッチャブルのような場所であるにしろ、地球上では無い別の場所、という事ではなさそうだという事に、ひとまず安心した。
出入りの仕組みについては、いずれ、この場所を出て行く時に垣間見れるだろうと思えば、そう恐ろしいものでもあるまい。
夏波は、安心して提供された茶菓子と抹茶をいただいた。
「あんたも、なかなか肝が座っているみたいだねえ」
唐突に六曜が言った。
夏波は思わず、はい? と、聞き返すところを、はえ? と聞き返してしまい、六曜に笑われた。
「なんか、毒気を抜かれるっていうか……。ま、小娘があんたを嫌ってるってのも、何だかわかるような気がするわ」
「どういう事ですか?」
「肩透かし、っていうか、ああいう闘争心が先にたつような子は、やりにくいんだろうね、あんたみたいな娘」
六曜は、向けられた対抗意識をかわしていくような夏波の様子は、どうにもはりあいがないように思えた。それでいて、超然としているようなところもある。そんな様子に、千秋のような性質の娘が、むきになって張り合ってしまうのは、歳を重ねたものであれば、性質の違いと割り切る事もできたろうが、同じ歳となれば、いらだって、くってかかっていこうとするのも無理はない、と。
六曜が、夏波と同世代であったならば、千秋のように対抗心を持ったかも知れない。
「あんたいくつ?」
唐突に年齢を聞かれ、夏波は深く考えず、反射的に答えた。
「二十二です」
「本当に? 実は四十とかじゃない?」
「千秋と同級生って言ったじゃないですか」
いくら上に見られるにしても、さすがに四十は上すぎだろうと、少しばかり憤慨した様子で夏波が言うと、
「ああ、ほら、そういうところが若い娘らしくないんだ、あんたは」
「言ってる意味がわからないんですが……」
「若い娘が、あんたらからみたらババアって言っていい歳に見られたんだ、失礼しちゃうってなるもんだろう? けど、あんたは、『客観的な事実』ってやつをまず言った。会話の相手に対して怒りを向けるのでは無く、理解を求めようとするところが、さ、千秋とあんたの一番の違いだ」
満足そうに六曜が言い、夏波の方は、少々釈然としないと思いつつ、悪く言われているわけでは無さそうだ、と、それ以上の会話を避けて、六曜の言葉を待った。
夏波は、自分が特別老成していると思った事はない。しかし、時折『老けて見える』と言われる事は経験があったので、慣れていたのだ。
「じゃあ、早速行こうかね」
六曜は立ち上がり、片付け始めた。
「じゃあ、あの」
「あたしも協力する、あたしは断然、あんたを推すよ」
夏波は、協力をとりつけるべき相手から、協力をとりつける事にはひとまず成功したのだと理解した。




