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もう一人の協力者

 夏波と源次郎、星太夫は、湯口に揃っていた。星太夫は仮面を外し、髪は後ろで一つにくくり、前髪もあげている。装束はいつもの黒い着物だったが、顔を出し、背筋を伸ばしているだけで、同一人物とは思えないほどの変わりようだった。


「ぼんの顔を見るのはいつぶりだろうなあ、大人になって……」


 と、感慨深そうに源次郎が言うと、星太夫はわずかにはにかんで照れたような顔を見せた。


 顔を隠していたのは、外との繋がりを断つためだったのか、千秋を遠ざける為だったのか、『若旦那』になる事を暗に拒否していたのか、星太夫にはわからなかったが、『夏波と共にありたい』という気持ちが発奮させるのか、自然と背筋が伸びているのを自覚していた。


「時間があまり無い、説明させてもらってもいいか」


 星太夫が二語以上の言葉を話す事も喜ばしいのか、源次郎は反対に言葉を失った様子で感動していた。


 うれしそうに目をうるませる源次郎をよそに、星太夫は話を始めた。


「源爺の話はわかった、星流楼の従業員は藤五郎を中心に千秋に協力するという事なのだな」


 源爺は己の人望の無さに打ちひしがれていたが、星太夫はそれについて言及せず、理解した様子でうなずき、続けた。


「人手が足りないなら別のところから集めればいい」


 何かを確信した様子の星太夫は頼もしく、路面電車の車内で会った彼とは別人のようだった。


「源爺、予備の法被はどれくらいある?」


 唐突に法被の話をされて、源爺は驚いていたが、少し考えてから答えた。


「洗濯室の倉庫を確かめにゃならんが、古い方の図柄のやつなら五十枚ほどあったような気がするな……」


「図柄が今のものと違うならちょうどいい、それを、一度洗っておくよう洗濯室へ言ってくれ、それから、調理場へ弁当を発注する、それは僕がやろう」


「私は? 私に何かできる事はない?」


 てきぱきと思いつきを言う星太夫に対して夏波が申し出た。


 星太夫は、君は僕の横にいてくれさえすればそれでいい、と言いそうになる言葉をぐっとこらえて、言った。


「手ぬぐいの整理と、休憩所を整える手伝いをしてもらおうか、夏波ちゃん一人では大変だから、誰か手伝ってもらえればいいんだが……」


「六曜のババアが暇をもてあましているぞ」


 源次郎が思いついたように言うと、星太夫は少しばかり渋い顔をして言った。


「あー……」


「ぼんからの頼みならいくらでも協力してくれるんじゃないか?」


 源次郎の言葉に、星太夫は少しばかり苦々しい顔をした。


「六曜……さんて?」


 夏波が尋ねると、源次郎が即答した。


「ばあや、だよな、ぼんの」


「違う、元中居頭だ」


 言い捨てるように星太夫は言って、そして補足するように続けた。


「源爺と一緒だ、代替わりで隠居した、元は中居頭だ」


--


 星流楼には、来客をもてなす為の茶室がある。玄関をくぐり、広いエントランスの一角には小川が流れ、小さな太鼓橋を渡った先にある、こじんまりとはしているが、季節ごとの室礼が見るものを楽しませる。そんな場所だった。


 夏波は一人、茶室で待たされていた。


 茶室と名前はついているものの、時にはふすまを取り払い、管弦などもする場所という事で、建物の構造は茶室のようなにじり口はついていないし、茶釜も埋め込まれてはいないが、敷板の上に置かれた茶釜や、茶器、茶筅の用意がされていて、これからふるまわれるであろうお茶を前に、夏波は、緊張した様子で戸口を見ていた。


 静かに襖がスライドし、美しい女性が現れた。どことなく鉄火肌な星太夫の母とは対象的な、見ようによっては銀髪にも見える白髪に、白い肌、人形師が迷いなく引いたようなすっとした目元は、どことなく三太郎に似ているようにも見えた。


 静かに、夏波に一瞥もせず、無言で着席したこの女性が六曜、星太夫の『ばあや』だとか。ばあやと言うには、少し若すぎるのではないかというような風貌だったが、異質な美しさは年齢不詳にも見える。


 夏波は、思わず平伏してしまい、声を発する事ができなかった。


「どうぞ、お楽に」


 口元は柔らかく笑っているものの、目は笑っていないところが怖いな、と、夏波は六曜に言い知れない恐怖を感じた。


「は……はじめまして、私は……」


「聞いております、夏波さん」


 出鼻をくじかれた夏波は、一方的にまくしたてる六曜の言葉をしばらく黙って聞いているしかなかった。


「若にも、困ったものですね、……まあ、春秋屋の小娘よりは、まだ、あなたの方がマシかしら……」


 一瞥もしなかったさっきとはうってかわって、六曜は夏波の頭から膝頭を上から下までじろじろと睨めつけて続ける。


「あなたを、次代の若女将と認める事はまだできませんが……、春秋屋の小娘を追い出す為という事でしたら、喜んで協力いたします」


 そこでは初めて、六曜はにっこりと笑った。


 ……極道の妻達……、夏波は、東映の有名なシリーズを思い浮かべた。


「あ……あの、質問、いいですか」


 躊躇わず夏波が尋ねると、六曜は機嫌を損ねる事なく


「はい?」


「春秋屋っていうのは……」


「あの小娘、千秋の家ですよ」


「私の記憶が確かなら、千秋の家はホテル春秋じゃあ……」


「昔は春秋屋といったんですよ」


 事も無げに六曜は答えた。


「あの、せっかくなんで、色々教えてもらってもいいでしょうか」


「私でわかる事なら」


 怖そうな見た目に反して六曜は聞かれた事を出し惜しみするような事は無かった。もちろん、星太夫や三太郎に聞いても答えてはくれたのかもしれないが、今はどんなとっかかりでもいいから六曜とコミニケーションをとるつもりで、夏波は続けた。


「こちらのゆかずち温泉には七つ旅館があるそうですが、私の知っているゆかずち温泉はもっとたくさん旅館がありました、全部の旅館が『こちら』の存在を知っているんですか?」


「それを話すには、ゆかずち温泉の歴史から話す必要があるね、まあ、先に一服さしあげましょうか」


 率直に質問を重ねたのが良かったのか、見た目に反して気難しいところが無いのか、六曜は機嫌をそこねる事なく、茶をたてはじめた。


 その流麗な所作を見て夏波は思った。もしや星太夫の所作は六曜の指導の賜物なのか、と。


 すっ、と、差し出された茶器を回し、正面を避けて、夏波が口をつけると、抹茶の苦味が広がったが、それは嫌な苦味では無く、すっと飲み干す事ができた。


 夏波が飲み終えるのを確かめて、六曜が言った。


「ま、作法については、おいおい言うとして」


 どうやら夏波の所作は六曜の眼鏡にはかなわなかったようだけれど、六曜は話を続けた。


「ゆかずち温泉が、戦国時代に整備された温泉地だという事は知っている?」


 夏波がふるふると首を振ると、六曜は、しかし、そのまま話を続けた。


「時の武将が、戦で疲弊した兵を慰安する為に、整備したのがここ、ゆかずち温泉、七人の配下に命じ、それぞれが宿を作った、それが、そもそもの始まり」


「でも、それは、『あちら』側の歴史なのでは?」


「始まりは、ひとつだったのよ」


 遠い目をして語る様子の六曜には、創設当時のゆかずち温泉が見えているようだった。

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