39
アルカの個室から出てきたセトに、廊下で待っていたハイアルドはセトを背負いあげた。
ハイアルドの腕の中に収まったセトは、小さくため息をついた。
「安心しましたか?」
ハイアルドの問いに、セトは小さく頷く。
「これでいいのだろう?」
「ええ。貴方やシャーリンさんの話を聞く限り、アルカという少年を一人にするのは得策ではありませんから」
ハイアルドの表情は硬い。
「あの誘拐事件によって、少年の心の奥底に眠っていたトラウマが目覚めたようです」
「……両親に捨てられた記憶か」
セトは前に屋上でのアルカの様子が気になってアルカの過去のことを本人に内緒で調べた。わかったのはアルカは六歳に両親が行方不明になったということ。両親がいなくなってから保護されるまでの四日間、妹と一緒に両親の帰りを待ち続けていたこと。
祖父母もいない、親戚の付き合いもない家で六歳と二歳の子が二人、四日間も親を待ち続けていたのかと思うとセトの胸になんとも言えない苦い思いがこみ上げてくる。
「今は脳震盪による記憶喪失で元気に振舞っていますが……記憶が復活したらどうなることか」
「幼児退行していた」
医師の美貌に陰りが見える。
「誘拐されたときの光景を思い出すような言動は控えるべきでしょう。特にあの時に初めて見たことや聞いたこと」
つまりそれは。
「……私はアルカの前に出ないほうがいいのか」
「ええ、あの姿は特に」
沈黙したセトの毛並みをハイアルドは撫でる。
「当分父親と呼ばれませんね」
しごく残念そうに言われた。
「いまさらそう呼ばれるのは違和感がある」
セトはぶっきらぼうに答えた。
もともとあの姿でアルカたちの前に出るつもりは微塵もなかった。あのときは緊急だったから、あの姿で救出に向かったにすぎない。
他の者に任せてもよかったのだが、アルカたちの命を他人に預けるというのはどうにも我慢ができなかった。
「それに人形のセトのほうがいいそうだ」
そう言うセトの緩んだ目元を見て、ハイアルドが笑みをこぼす。
「愛されていますね」
「家族になれるよう、頑張っているからな」
よくよく考えれば人形が人間の家族になるというのも馬鹿げた話だ。だがセトは本気だった。
初めて会ってシャーリンに請われたときに何かに引かれた。だから頷いた。今は自分の感が間違っていなかったと実感できる。アルカとシャーリンの家族になって自分に守りたいものができた。一緒にいたいと思える存在が二つもできた。今は毎日がとても充実している。
真っ直ぐに前を見据えるセトに、ハイアルドは目を見張る。
――変わりましたね、貴方は。
しばらく見ない間になんだか生き生きとしている。人形なのに、人形になる前よりもだ。
前はとてもとっつきにくかった。ハイアルドにとっては見惚れられずに会話ができる人間として十分だったのだが、今のほうが話しやすく好感も持てる。
――それだけあの二人の影響は大きかったということなのでしょうか。
「再びアルカさんの心が壊れぬよう、見守る人間が必要です。少年のことをよく知っていて、頑なな少年も心を開け安心して頼れるそんな人物が」
「それが私か」
セトが出したのは二枚の養子縁組届。片方にはアルカの、もう片方にはシャーリンの名前が書いてある。
ハイアルドは微笑んだ。誰もが魅了されるような魅惑の笑み。
「ええ。貴方以外いないでしょう?」
セトは口の端を上げる。
「当たり前だ。他の者には任せられん」
「セト」
振り向けばシャーリンが息を切らしてこちらに走ってきた。
「お兄ちゃんが「人形が一人で部屋の外にいくな! 他の奴に見つかったらどうする! 連れてこい!」って怒鳴ってまた痛がってる」
「あいつは学習能力がないのか……」
呆れるセトに、ハイアルドは小さく吹き出す。
「おやおや、愛されていますね」
「ハイアルド先生」
シャーリンが手を伸ばすと、ハイアルドは抱えていたセトをシャーリンに渡した。
「ではのちほど」
「はい」
ハイアルドがいなくなってから、シャーリンはセトに視線を向けた。
「セト、戻ろう。お兄ちゃん待ってるよ」
「……ああ」
頷くセトをしっかり抱えると、シャーリンはアルカが待つ病室へと歩き出す。心地よいぬくもりと振動にセトは目を伏せた。
――私の居場所はここにある。
この居場所を、この兄妹を守るためならどんな手でも使おうと決意する。二人を傷つけるものは誰であろうと容赦しないと。
――まぁ……まずは怪我を治すためにもう少し落ち着いてほしいところだがな。
病室で自業自得に苦しんでいる少年を想像して、セトは口元に笑みを浮かべた。




