こんなバカを野放しにしていたら世間様に迷惑だ。
さて。このネーチャンと出会ってからまだたったの5分。
それでも僕にはわかった。コイツに日本語は通じない、と。
「戦いを拒むというのか! お前は軟弱ものだ!」
あれから僕達の言い合いは続いているものの、話の方は平行線のままだ。
当然、男の僕が女性相手に暴力を振るうわけにもいかないし。それがどんな馬鹿で野蛮だとしても。
「あのな、こっちは戦いたくねーの。わかる? ノー ファイティング」
「逃げるのか! 男らしくないぞ!」
な、なんで気遣ってるこっちがボロクソ言われにゃならんのだ。理不尽極まりない。
「ん? 男らしく?」
待てよ? 今あのネーチャン、僕のこと『男』って言ったか?
いやいやまさか。僕のことを一目で男と見抜くなんて、あるはずが無い。
「あの、さっきの台詞もう一回言って貰っていい?」
「何故だ!」
「頼むよ、もっかい言ってくれ」
「わかった!」
だが、僕の耳は確かに聞いていた。彼女が『男』と言っていたのを。
いろいろ勘違いしてたけど、このネーチャンは良い人なのかもしれない。
初対面で僕のこと男だってわかってくれるなんて、中々あることじゃないし。
「私と戦って勝てば言ってやる!」
「……そすか」
前言撤回。
「さぁ戦え!」
「戦えって言われてもなぁ」
どうする、このままじゃいつまでも朝食にありつけない。
「言葉が通じないなら、やるしかないか」
「おぉ! 戦う気になったか!」
なにより、こんなバカを野放しにしていたら世間様に迷惑だ。だから僕がこのバカに一般常識というものを教えてやることにしよう。
ま、戦いの中で何度か寸止めしてやればきっと観念するだろ。
所詮相手は女。本気になることもないさ。
ひゅんっ! ひゅんっ! ひゅんっ!
「は?」
突如聞こえてきた風を切る音。その正体はなんぞや、と辺りを見渡すと
「っふ! っふ! っふん!」
ひゅん、ひゅん、びゅん!
ネーチャンがパンチの素振りをしていた。なんだウォーミングアップか、熱心なことで。
それにしても鋭いパンチだね。あんなんくらったら、死ぬよね。どう考えても。
「嘘だろ……?」
待て待て待て。冷静になれ。何かの間違いだろ、たまたまネーチャンの拳を突き出す動作と風を切る音が重なってるだけ。きっとそうだ。
ハハッ、脅かすなよ。ちょっとビビッたじゃん。
「そうだお前! なにか格闘技はやっているのか!」
素振りをしながらネーチャンがたずねてくる。
「え、あ。はい、ブートキャンプを少々」
急に僕が敬語になったのは、別にびびってる訳じゃないから! 年上に敬意を示すのは大事なことだと今思い出しただけなんだ!
……ということにしてください。
「なんだ! 軍事訓練を受けたことがあるのか! まさかお前兵士だったのか! 奇遇だな!」
「は? え、軍事訓練?」
「私も新兵だった頃はよくやらされたぞ! ハハハ! 懐かしいな!」
多分僕が言ったブートキャンプと、あなたのおっしゃるブートキャンプは違うと思うけど。
なに軍事訓練って? あれってただのエクササイズじゃないの?
「軟弱なヤツだと甘く見ていたが、もう油断はしない! 私は全力でいくぞ!」
「いやいやいやいや! あんま無理しないほうがっ、いきなり激しい動きは身体によくないと言うか!」
「心配してくれるのか! お前いいヤツだな!」
心配してんのはアンタじゃなくて自分の身体だけどね。
「えっと」
「さ! そろそろやるか!」
「いや、ちょっと待てって」
「なんだ!」
「僕ランニングしてきます! 準備運動は大事ですよね!」
「そうか確かに大事だ! だが、あまり待たせるんじゃないぞ!」
「……ではこれにて」
そう言ってネーチャンに背を向ける。
さて逃げますか。