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第五章

 美波に連れてこられたのは、駅から離れたみすぼらしい裏通りにあるラーメン屋だった。俺は「あんたが場所を決めて連れていって」と言われてもいいようにきちんと下調べしていたのだが、いざ当日になってみると、美波は多くを語らずにさっさと俺の前を歩き始めてしまったのだ。

「おい、大丈夫なのかこの店」

「何が?」

「味とか衛生面とか、色々危うそうなんだが」

「余計なこと考えないで、黙って一口食べればわかるわよ」

 店の前で失礼なことを言う俺に、美波は口元に人差し指を当てて言う。彼女は自信があるようだった。

 話を聞いてみると、どうも彼女は俺が思っていた以上にラーメン通らしい。休みには仕入れた情報をもとに色々なラーメン屋に足を運んでいるようで、この店は今まで食べたラーメンの中で一番のお気に入りなのだとか。期待出来そうだった。

 店に入ると、閑静な場所にある割には客が入っていた。昼食時に被っていたら、待たされたかもしれない。

 愛想のいい主人に迎えられ、壁際の二人席に案内される。美波と向かい合って座るのは、何となく気恥ずかしいものがあった。彼女も同じように思っているようで、視線を合わせたくないのか知っているはずのメニューをじっと眺めている。

 俺は悩んだ末に、妙なアレンジもない極普通な豚骨を頼むことにした。美波も同じものを頼んだところをみると、俺の選択は間違っていなかったらしい。通な人間に、変なところで怒られなくて良かったとどこかでホッとしている自分がいた。

「そういえばね」

 注文後、無言になりかけたのを察して美波が口を開いた。

「今日のことを同僚に話したら、冷やかされちゃった。デートだ、って」

「色気のないデートだ」

「あたしはともかく、もう一人は完全に不審者だしね」

 俺の格好のことを言っているらしい。キャップにマスクにといかにもな変装だが、こうでもしなければ熱狂的な人間に水をさされてしまう。皆が美波のように、俺のことを知らないとは限らないのだ。

「でもね、あんたの正体を伝えたら、その子あんぐりとしちゃって」

「伝えたって……信用出来る人なのか、その同僚とやらは」

「出来るわよ。あたしの一番の親友だから。あたしだって、誰彼構わず言いふらしたりしないわよ」

「なら、いいんだが」

 俺がどうこうというよりも、美波に被害が及んでしまうようなことにならないかと危惧していたのだが、彼女と彼女の親友とやらを信じることにした。

 美波は周囲を気にしてか、声をさらに小さくして顔を近づけてくる。彼女は気にしていないのかもしれないが、周囲から見たらキスでもしていると勘違いされそうな距離だった。

「それでね、その子がきゃーきゃー騒ぐのよ。野球ファンで、あんたのこともよく知ってるんだって。あんたがどれだけ優れた選手かを、お説教のように叩きこまれちゃった」

「そりゃ、災難だったな」

「災難だとは思ってないけど、どう凄いのかよくわからなかったのが悔しいわね。まだまだ野球の知識が足りないみたい」

「知った時に失望されるのが怖いな」

「大して期待してないから大丈夫よ」

 それも悲しいが、美波なりの気遣いなのかもしれないといいほうに解釈することにした。

 会話が途切れたところで注文したラーメンがやってくる。そうなれば、後は食べるだけだった。口に運ぶと、その美味さがすぐに理解出来た。上手く言葉には出来ないのだが、確かにこの店のラーメンは絶品だと思う。野球以外で、これほどの感動を得たのは初めてかもしれなかった。

 言葉もないまま、あっという間に食べ終えてしまう。美波も同様で、こちらも結構なスピードで食べたつもりだったのだが、彼女は劣ることのない速さで平らげていた。本人には言えないが、そんな男前なところも何となく彼女らしい。爪楊枝でも扱い始めそうな気がしたが、さすがにそれはないようだった。

 昼時が近づき店内が混雑し始めたので、早々に退散することとした。提案も店の紹介も美波によるものだったので、食事代くらいは俺が払おうと思っていたのだが、彼女は自分の分は自分で払うと言って譲らない。これくらいの出費ならあってないようなものだと敢えて嫌な表現までしたのだが、それでも彼女が首を縦に振ることはなかった。

 店の外に出ると、新鮮な空気が出迎えてくれる。店の中の空気もそれはそれで悪くなかったが、やはり清々しいほうが気分もいいというものだ。

「……うん、いい顔になったわね」

 伸びでもしようかと考えていると、美波が満足げにそんなことを言った。

「顔がどうかしたか?」

「ひょっとしてあんた、もう忘れたの?」

 溜め息をつかれても、わからないものはわからない。美波は露骨に呆れて見せる。

「あんたが笑顔になれないって言うから、ラーメン食べに来たんじゃない」

「おお、そうだったな」

 言われてみれば、そんな建前だった。ラーメンの味で心が満たされたおかげか、悪いことは綺麗に忘れ去ってしまっていたらしい。美波も呆れるはずだった。

「まあ、気分が晴れたんなら、それでいいんだけどね」

 美波が子供のような笑みを浮かべる。彼女には大きな借りが出来てしまった。彼女はそんなものいらないと言うかもしれないが、何とかして借りを返したい。満足げな美波を余所に思考を凝らしてみると、一つのアイデアが浮かんできた。我ながら、なかなかいい考えのように思う。美波もきっと、喜んでくれることだろう。

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