君がいない朝、それでも僕は生きていく
君がいない朝が来た。
隣の席は空いていて、
返事のないスマホが少し寂しくて、
夢で会えない夜もある。
それでも、湊は歩き始めます。
最終ページ「君がいない朝、それでも僕は生きていく」。
『また君に会う夢を見た』、完結です。
君がいない朝は、思っていたより静かだった。
目覚ましの音で目を覚ました湊は、しばらく天井を見つめていた。
カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。
蝉の声が聞こえる。
どこかの家のベランダで、洗濯物を干す音がする。
何も変わらない朝だった。
けれど、澪はいない。
昨日まで校門の前で待っていた澪は、今、病院の白い部屋にいる。
朝のメッセージはまだ来ていなかった。
湊はスマホを手に取った。
画面には、昨日送った写真が残っている。
はなびの水槽。
自分の手。
屋上の夕焼け。
澪から最後に届いた返信は、夜の短いメッセージだった。
『ありがとう。ちゃんと見るね。湊も寝てね』
そのあと、返事はない。
分かっている。
今日から治療が始まる。
連絡できない日もある。
返事が遅くなることもある。
澪はそう言っていた。
それでも、スマホの画面を見るたびに胸が少し痛んだ。
湊はベッドから起き上がった。
水槽の中で、はなびが泳いでいる。
赤い小さな体が、朝の光を受けて揺れていた。
「おはよう」
湊は金魚に向かって言った。
返事はない。
けれど、水の中で尾がふわりと揺れた。
湊はスマホで写真を撮った。
はなび。
水面。
自分の手。
それから、澪に送った。
『はなび日記 3日目。今日も元気。僕も起きた』
送信済みの文字を見つめる。
既読はつかない。
湊はスマホを伏せた。
大丈夫。
返事がないことは、忘れられたことではない。
澪が今、生きるために頑張っている証なのだ。
湊は洗面所へ向かった。
鏡に映る自分は、少し目が赤かった。
昨日、泣いたからだ。
でも、顔を洗うと、少しだけ現実に戻れた。
リビングでは、美咲が朝食を用意していた。
「おはよう」
「おはよう」
「今日、ちゃんと学校行く?」
「行く」
「偉い」
「何で上からなんだ」
美咲は笑った。
テーブルにはトーストと目玉焼きがあった。
少し焦げている。
湊は椅子に座り、黙って食べた。
味はちゃんとした。
少し苦くて、少し温かい。
「兄ちゃん」
美咲が言った。
「白峰さんから返事来た?」
湊は首を振った。
「まだ」
「そっか」
美咲はそれ以上聞かなかった。
それがありがたかった。
父も新聞を畳み、湊を見た。
「今日、帰り遅くなるのか」
「学校のあと、屋上に行くかも」
「そうか」
父は静かに頷いた。
「気をつけて行ってきなさい」
「うん」
家を出る時、湊は水色の缶を鞄に入れた。
澪から預かった記憶。
そしてポケットには、青い星のキーホルダー。
この二つがあるだけで、少しだけ足元が確かになる気がした。
通学路を歩く。
公園の前で、湊は足を止めた。
ブランコが揺れている。
澪はいない。
けれど、そこには確かに澪がいた。
バニラアイスを食べて笑う澪。
ソーダアイスを一口かじって「冷たい」と言った澪。
ブランコで湊を笑った澪。
記憶は、場所に残るのだと思った。
湊は公園をスマホで撮った。
澪に送る。
『公園。ブランコ、今日も揺れてる』
やっぱり既読はつかない。
それでも送った。
澪がいつか見られるように。
駅前の商店街を通る。
風鈴が鳴っていた。
雑貨屋はまだ閉まっていた。
あの日、二人で便箋を買った店。
未来の澪へ。
未来の湊へ。
あの手紙が、今の湊を支えている。
澪の手紙は鞄の中に入れてある。
ひとりで泣きそうになった時に読む手紙。
昨日読んだばかりなのに、もう何度も読み返したくなっている。
でも、今は読まない。
今は、歩く。
学校へ向かう。
湊はそう決めた。
校門に着くと、悠真がいた。
「おはよう」
「おはよう」
悠真は澪がいつも立っていた場所をちらりと見た。
そして、何も言わずに湊の隣に並んだ。
「今日、購買でアイス買おうぜ」
「昼から?」
「昼から」
「腹壊すぞ」
「青春に腹痛はつきもの」
「意味が分からない」
悠真は笑った。
湊も少しだけ笑った。
その笑いが、自分でも意外だった。
澪がいない朝に、笑ってしまった。
そのことに一瞬、罪悪感が浮かんだ。
でも、すぐに澪の手紙を思い出す。
『私がいない時間にも、湊の世界がちゃんと続いていることが、私は嬉しいです。
それは、私を忘れることじゃありません。』
そうだ。
笑うことは、忘れることではない。
湊は悠真と一緒に教室へ向かった。
教室に入ると、澪の席は空いていた。
窓際の、湊の隣の席。
湊はその椅子を見た。
胸が痛む。
でも、目を逸らさなかった。
そこに澪がいたことを、自分は知っている。
授業中、湊はノートを開いた。
教師の声は耳に入っていたが、心は少しだけ遠くにあった。
湊はノートの端に、今日の記録を書いた。
『澪がいない朝。
でも、公園のブランコは揺れていた。
はなびは元気。
悠真がアイスを買おうと言った。
僕は少し笑った。
笑っても、澪を忘れたわけじゃない。』
書き終えると、胸が少し軽くなった。
記録すること。
それは、澪を繋ぎ止めるためだけではなかった。
湊自身が、自分の毎日をちゃんと見つめるためでもあった。
昼休み。
悠真は宣言通り、購買でアイスを買った。
湊はソーダ味とバニラ味を買った。
二つ持って中庭に戻ると、悠真が目を丸くした。
「二個食うの?」
「澪の分」
「なるほど」
悠真は何も茶化さなかった。
湊はソーダを一口食べた。
冷たさが歯にしみる。
バニラも一口食べた。
甘かった。
澪と交換した時の味を思い出す。
湊はスマホで写真を撮った。
ソーダとバニラのアイス。
中庭のベンチ。
自分の手。
澪へ送る。
『アイス。ソーダとバニラ。今日は僕が両方食べる』
まだ既読はつかない。
悠真が隣でチョコアイスを食べながら言った。
「白峰さん、見たら笑うだろうな」
「食べすぎって言われる」
「言いそう」
「あと、お腹壊すよって」
「言いそう」
二人は少し笑った。
湊は空を見上げた。
今日の空は青い。
澪はこの空を見ているだろうか。
病室の窓から、少しでも見えているだろうか。
午後の授業が終わると、湊は一人で屋上へ向かった。
悠真は「一緒に行く?」と聞いたが、湊は首を振った。
「今日は一人で行く」
悠真は頷いた。
「分かった。何かあったら連絡しろよ」
「うん」
階段を上る。
屋上へ続く扉は、今日も少しだけ開いていた。
湊は思わず笑った。
「澪が好きそうだな」
扉を開けると、夕焼けが広がっていた。
昨日より少し淡い夕焼け。
フェンス。
ベンチ。
町の景色。
風。
澪はいない。
けれど、湊はもうその不在だけを見なかった。
ここには澪と過ごした時間がある。
白いワンピースの澪。
カメラを構えた澪。
好きだと言ってくれた澪。
またねと笑った澪。
全部、ここにある。
湊はベンチに座った。
水色の缶を開ける。
中に入った手紙を一つずつ見る。
十年前の澪の手紙。
十年前の湊の手紙。
花火大会のチラシ。
貝殻。
星の砂。
湊はそれらを並べて、スマホで写真を撮った。
澪へ送る。
『預かった缶。ちゃんとここにある。返す日まで守る』
送信する。
既読はまだつかない。
湊はスマホを置いて、夕焼けを見た。
「澪」
声に出して呼んでみる。
当然、返事はない。
けれど、風が吹いた。
フェンスが小さく鳴った。
湊はゆっくり目を閉じた。
夢ではない。
現実の屋上。
そこで、湊は心の中で澪に話しかけた。
今日、学校へ行ったよ。
はなびは元気だった。
公園のブランコも揺れてた。
悠真とアイス食べた。
ソーダとバニラ、両方食べた。
美咲は朝ごはんを作ってくれた。
父さんは、気をつけて行ってきなさいって言った。
僕は少し笑った。
少し泣きそうにもなった。
でも、ちゃんと生きてる。
澪。
僕は、君がいない朝を生きたよ。
それは、君を忘れることじゃなかった。
君がいたから、生きようと思えた朝だった。
夕焼けが少しずつ沈んでいく。
湊は鞄からノートを取り出した。
新しいページを開く。
そこに書いた。
『君がいない朝、それでも僕は生きていく』
タイトルのようなその言葉を見て、湊はしばらくペンを止めた。
そして、続きを書き始めた。
『澪へ。
今日は、澪がいない朝だった。
校門の前にも、隣の席にも、屋上にも、澪はいなかった。
でも、不思議なことに、澪はいろんな場所にいた。
公園のブランコにいた。
商店街の風鈴の音にいた。
中庭で食べたバニラアイスの甘さにいた。
屋上の夕焼けにいた。
水槽の中を泳ぐはなびの名前にいた。
鞄の中の水色の缶にいた。
僕のポケットの星のキーホルダーにいた。
澪がいないのに、澪がいた。
それは、寂しいけど、少しだけ温かかった。
僕は今日、少し笑った。
少し泣きそうになった。
ちゃんとご飯を食べた。
学校へ行った。
悠真と話した。
はなびに餌をあげた。
屋上で夕焼けを見た。
澪が手紙に書いてくれたことを、少しだけ守れた気がする。
僕はまだ弱い。
返事が来ないスマホを見るだけで怖くなる。
病院の白い壁を想像すると胸が苦しくなる。
夢で会えない夜が来たらどうしようって思う。
でも、もう逃げない。
澪が生きるために病院で頑張っているなら、
僕も、澪がいない朝をちゃんと生きる。
それが、また会うための約束だと思うから。』
湊はペンを置いた。
夕焼けは、ほとんど夜に変わっていた。
その時、スマホが震えた。
湊は息を止めて画面を見た。
澪からだった。
『たくさん送ってくれてありがとう』
既読が、全部ついていた。
湊の胸が一気に熱くなる。
続けてメッセージが届く。
『はなび、元気でよかった』
『公園も見た』
『アイス二つは食べすぎ』
『屋上、綺麗』
『缶、守ってくれてありがとう』
湊は涙が出そうになった。
すぐに返信する。
『大丈夫?』
少しして、澪から返事。
『半分大丈夫』
湊は笑った。
涙が頬を伝った。
『僕も半分大丈夫』
澪から。
『おそろいだね』
湊は空を見上げた。
夕焼けの残り光が、ほんの少しだけ空に残っている。
湊は打った。
『今日、澪がいない朝を生きた』
送信する。
少し長い間があった。
そして、澪から返事が来た。
『ありがとう』
次のメッセージ。
『それが一番嬉しい』
湊はスマホを握りしめた。
泣いた。
でも、昨日とは違う涙だった。
悲しいだけではない。
澪と繋がっていることを確かめる涙だった。
湊は返信した。
『明日も生きる』
澪から返事。
『私も』
その二文字を見て、湊は深く息を吐いた。
私も。
澪も生きる。
湊も生きる。
それだけで、夜へ進める気がした。
その夜、湊は家に帰って、夕食を食べた。
美咲に「アイス二つ食べたのに、まだ食べるの?」と言われた。
「澪にも言われた」
と言うと、美咲は笑った。
父は静かに湊を見ていた。
「連絡、来たのか」
「うん」
「そうか」
父は安心したように頷いた。
その夜、湊は久しぶりに自分から美咲に話しかけた。
はなびの餌の量。
澪から来たメッセージ。
屋上の夕焼け。
悠真のチョコアイス。
大した話ではない。
でも、美咲は楽しそうに聞いてくれた。
湊は思った。
澪がいない時間にも、自分の世界は続いている。
それは悪いことではない。
澪を置いていくことでもない。
澪が帰ってくる場所を、ちゃんと生かしておくことなのだ。
夜、ベッドに入る前、湊はスマホを見た。
澪から最後にメッセージが来ていた。
『今日は疲れたから、もう寝るね』
湊は返信した。
『おやすみ。夢で会えたらいいな』
澪から。
『会えなくても、現実でまた会う』
湊は微笑んだ。
『うん。現実でまた会う』
スマホを置いて、目を閉じる。
その夜、湊は夢を見た。
夕焼けの屋上ではなかった。
夢の中の湊は、朝の公園に立っていた。
ブランコが揺れている。
誰もいない。
澪はいない。
湊は少し寂しくなった。
けれど、ブランコの上に小さな封筒が置かれていた。
拾い上げる。
封筒には、澪の字でこう書かれていた。
『夢で会えない朝の湊へ』
湊は封を開けた。
中には、一枚の紙。
『夢で会えなくても、大丈夫。
私は消えたわけじゃないよ。
湊が公園を見て、私を思い出したなら、私はそこにいる。
湊がアイスを食べて、私を思い出したなら、私はそこにいる。
湊が夕焼けを見て、私を思い出したなら、私はそこにいる。
でも、それだけじゃなくて。
私は病院で生きています。
治療を受けています。
怖いけど、湊にまた会いたいから頑張っています。
だから湊も、夢の中じゃなくて、現実で生きてね。
また会う日は、夢じゃなくていい。
現実で会おう。
澪より』
読み終えると、夢の景色が変わった。
公園が商店街になった。
商店街が川沿いになった。
川沿いが屋上になった。
最後に、夕焼けの屋上に出た。
そこには澪がいた。
白いワンピースではない。
病室の淡いカーディガンでもない。
制服姿の澪だった。
隣の席に座っていた、あの澪。
澪は湊を見て笑った。
「また会えたね」
湊は走り寄った。
「澪」
「今日は短い夢だよ」
「うん」
「でも、言いたいことがあるの」
「何?」
澪は夕焼けを見た。
「湊が、私がいない朝を生きてくれて嬉しかった」
湊の胸が熱くなる。
「まだ一日だけだ」
「一日目は大事」
澪は笑った。
「明日も、明後日も、少しずつでいい」
「うん」
「泣いてもいい」
「うん」
「笑ってもいい」
湊は澪を見た。
澪は優しく言った。
「私がいない時に湊が笑っても、私は寂しくないよ」
「本当に?」
「本当」
澪は一歩近づいた。
「湊が生きていることが、私は嬉しい」
その言葉で、湊の目に涙が浮かんだ。
「僕も、澪が生きてることが嬉しい」
「うん」
「また会いたい」
「私も」
「現実で」
「現実で」
澪は手を差し出した。
湊はその手を取った。
夢の中の手は温かかった。
「湊」
「何」
「いつか、私が退院したら」
「うん」
「またこの屋上に来よう」
「うん」
「その時は、夢じゃなくて」
「現実で」
澪は笑った。
「約束」
湊は頷いた。
「約束」
夕焼けがゆっくり薄れていく。
澪の姿も少しずつ光に溶けていく。
でも、湊はもう泣き叫ばなかった。
また会える。
夢でも。
現実でも。
そして、会えない朝でも、澪は自分の中にいる。
「またね、湊」
澪が言った。
湊は手を振った。
「またね、澪」
目が覚めると、朝だった。
澪がいない朝。
けれど、昨日とは違う朝だった。
湊は起き上がった。
水槽の中で、はなびが泳いでいる。
スマホを見る。
澪からのメッセージはまだない。
でも、湊は焦らなかった。
まず、はなびの写真を撮る。
自分の手も写す。
そして送る。
『はなび日記 4日目。今日も元気。僕も生きてる』
送信する。
それから朝食を食べる。
美咲と話す。
父に「行ってきます」と言う。
公園を通る。
商店街の風鈴を聞く。
学校へ行く。
悠真と笑う。
澪の空席を見る。
ノートに記録を書く。
放課後、屋上へ行く。
そうやって一日を生きる。
澪がいないから止まるのではなく、
澪にまた会うために生きる。
季節は少しずつ変わっていった。
蝉の声が弱くなり、夕方の風が涼しくなった。
夏休みの名残が消え、学校は少しずつ秋の気配を帯びていく。
澪からの連絡は、毎日ではなかった。
返事が来る日もあれば、来ない日もあった。
『今日は少ししんどい』
『はなび見た。かわいい』
『屋上の空、ありがとう』
『手紙読んだ。泣いた』
『湊もご飯食べて』
『治療、怖かったけど終わった』
『また会いたい』
『私も生きてる』
その一つ一つを、湊はノートに書き写した。
はなびは少し大きくなった。
悠真は相変わらず購買でパンを買いすぎた。
美咲ははなびの世話が上手くなった。
父は時々、夕食のあとに「澪ちゃんはどうだ」と聞くようになった。
湊は、澪がいない日常を生きた。
寂しさは消えなかった。
でも、寂しさと一緒に生きることを覚えた。
ある秋の朝。
スマホが震えた。
澪からだった。
『今日、少しだけ面会できるって』
湊は息を止めた。
文字が滲む。
すぐに返信する。
『行く』
澪から返事。
『待ってる』
湊は立ち上がった。
水槽の中のはなびを見る。
「行ってくる」
そう言うと、はなびが尾を揺らした。
病院へ向かう道は、夏とは違う匂いがした。
少し乾いた風。
薄い雲。
秋の光。
病室の扉の前に立つ。
十年前、開けられなかった扉。
今はもう、逃げない。
湊はノックした。
中から、弱いけれど確かな声がした。
「どうぞ」
扉を開ける。
澪がベッドの上にいた。
少し痩せていた。
顔色も白かった。
髪も少し短くなっていた。
でも、澪だった。
湊を見ると、澪は笑った。
泣きそうで、嬉しそうで、ちゃんと生きている笑顔。
「湊」
湊の胸が震えた。
「澪」
澪は小さく手を振った。
「また会えたね」
湊は病室へ入り、椅子に座った。
「夢じゃないな」
澪は笑った。
「現実だよ」
湊は涙を堪えられなかった。
澪も泣いていた。
けれど、二人とも笑っていた。
湊は鞄から水色の缶を取り出した。
「まだ返さない」
澪が目を丸くする。
「どうして?」
「退院したら返す約束だろ」
澪は少し驚いて、それから嬉しそうに笑った。
「そっか」
「だから、まだ預かる」
「うん」
澪は頷いた。
「ちゃんと取りに帰る」
「約束」
「約束」
その日、二人は短い時間だけ話した。
はなびのこと。
公園のこと。
悠真のこと。
美咲のこと。
屋上の夕焼けのこと。
澪が読んだ手紙のこと。
湊が毎日書いていたノートのこと。
面会時間はすぐに終わった。
帰る時、湊は澪の手を握った。
「また来る」
「うん」
「夢じゃなくて」
「現実で」
澪は笑った。
「またね、湊」
湊も笑った。
「またね、澪」
病室を出る。
廊下を歩く。
外に出ると、空は高かった。
湊は空を見上げた。
君がいない朝。
それは、これからも何度も来るのかもしれない。
澪が病院にいる朝。
返事が来ない朝。
夢で会えない朝。
不安で胸がつぶれそうな朝。
けれど湊はもう知っている。
君がいない朝でも、君が消えたわけじゃない。
記憶の中に。
手紙の中に。
写真の中に。
水槽の中の小さな命に。
屋上の夕焼けに。
そして、自分が今日を生きようとする気持ちの中に。
君はいる。
だから湊は歩く。
泣いてもいい。
立ち止まってもいい。
怖くてもいい。
それでも、また会うために生きていく。
その夜、湊はノートの最後にこう書いた。
『また君に会う夢を見た。
でも今は、夢だけじゃない。
君がいない朝を、僕は生きている。
君がいた夏を抱えて、
君とまた会う未来へ歩いている。
だから、これは終わりじゃない。
またね、澪。』
湊はペンを置いた。
窓の外には、静かな夜が広がっている。
水槽の中で、はなびが泳いでいる。
スマホが震えた。
澪からだった。
『今日は来てくれてありがとう。夢じゃなくて会えて嬉しかった』
湊は返信した。
『僕も。次も現実で会おう』
澪から返事。
『うん。またね』
湊は微笑んだ。
『またね』
送信して、湊は目を閉じた。
夢を見るかもしれない。
見ないかもしれない。
でも、どちらでもよかった。
湊はもう知っている。
大切な人は、夢の中だけにいるわけじゃない。
会えない朝にも、
返事のない夜にも、
歩き続ける自分の中に、ちゃんといる。
君がいない朝。
それでも僕は、生きていく。
また君に会うために。
君がいた夏を、未来へ連れていくために。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
『また君に会う夢を見た』は、忘れてしまった約束と、もう一度向き合う物語でした。
夢で会うこと。
現実で別れること。
それでもまた会うと信じて、生きていくこと。
湊と澪の物語が、誰かを思い出す優しい時間になっていたら嬉しいです。
またね、という言葉が、あなたの心にも残りますように。




