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ふと、ザーザーという酷い雨音で目が覚めた。時計の針は八時を指している。窓から見えるのは、分厚い雲で閉じられた空と、そこから降り注ぐ数多の天涙。それでも雲をなんとか通り抜けた太陽の光が、今の時間帯が午前であるということを示していた。
結局、寝ても心の中のモヤモヤは消え去らなかった。何かできるようなことなんて、まったくないのは分かっている。そもそもあの話が全て本当だとも限らない。だか……それでも、何かできないかと考え続けてしまう。
「……んん、おはようハナ殿……。」
「っ、お、おはよう。」
ヘルスティアの声に若干びっくりする。眠たげにその目をこすりながら、ゆっくりと彼女は体を起こした。
「もしかせずとも、今日は雨であるかぁ……?」
「まあそうだけど……なんだ、もしかして頭痛とかするか?」
「うむ……酷い曇りの日や雨の日は頭痛と耳鳴りが止まんのだよ……。」
なるほど、どうやら彼女は低気圧性の偏頭痛を患っているらしい。地球でもよく苦しめられたなぁ……こっちの世界に来てからは無縁なものだった。
「うぅ……ひとまず、食事を摂るとしよう……。」
そう言いながら、彼女は体を引き摺るようにして動かす。……なんか可哀想だな、良い方法はないものか……。あ、そうだ。
「そういや、コーヒーはそういう頭痛にいいらしいぞ。」
たしかカフェインが血管を収縮させるとかで、一時的ながら偏頭痛に効果があると聞いたことがある。
「なぬ、それは真か……?」
「まあ、一時的にだがな……あ、でも傘ねぇや……。」
しかし、雨ともなればそう易々とフェアシュテックに向かうことができない。傘買っておけば良かったな……明日放課後買いに行くか。
「いや、雨くらいならば魔法でどうにかしのごう。この頭痛から一瞬だけでも解き放たれればなんでも良い…‥。」
心なしか、ヘルスティアの足取りが軽くなる。眠気覚ましにも気分転換にもちょうどいいし、ヘルスティアも乗り気だし……よし、行くか。小さくあくびをして、俺も着替えはじめた。
「雨の日にウチくるなんて、お二方とも物好きなんすねぇ。」
鈴木ことベルがチーズオムレッタとコーヒーを運びながら話しかけてくる。もはや常連となっていた俺たちは、普通に彼とタメ口で話すようになった。本来であればそんなこと言語道断だが……個人店であるのと、彼がそれだけフランクであるし、なによりも彼自身がタメ口で話される方が気が楽であるらしい。
「いや、こいつが雨の日に頭痛くなるタイプでな……。」
「あ〜、自分もなんすよね。そりゃコーヒーも欲しくなるっすよ。」
そう言いながら、彼は手に持っている全てをテーブルの上に置いていく。
「うむ……。」
気だるげそうにしながらヘルスティアはオムレッタを口へと運び始める。ある程度食べ勧めたところで、彼女は手慣れた手つきでコーヒーに砂糖とミルクを入れる。
「……まあ、落ち着くがこれと言っては……」
一口啜り、何かを言いかけたところで不意にその言葉を彼女は止めた。しばらくして若干俯くと、そのまま震え始める。
「お、おおお……!」
そのまま感激したかのような声を漏らすと、彼女はコーヒーを一気に胃に流し込んだ。
「すごい、すごいぞ! かなり頭痛が軽くなった! これがコーヒーの力か!」
カフェインが入ったせいか、頭痛が多少治ったのがよほど嬉しいのか。えらく感激した様子で彼女は言った。
「ははは……でも、一時的なもんだからな?」
「分かってはおる、分かってはおるが……雨の日はこいつのお世話になりそうだ……!」
まあ、随分と調子が良さそうで何よりだ。
「……あ、じゃあせっかくだし。」
ふと、俺たちの様子を見ていたベルが厨房に戻っていく。しばらくして、片手に少し大きめの瓶を持ってこちらの方へと歩いてきた。中には茶色い粉末が詰め込まれている。十中八九、コーヒーの粉だ。
「これ、個人用のやつなんすけど。せっかくなんであげます。」
「なっ、よ、よいのかこんなに……?」
「ああ、あと十瓶ぐらいあるんで大丈夫っすよ。偏頭痛仲間のよしみっす。寝る前には飲まないでくださいね、寝れなくなるんで。あと空きっ腹に入れると胃が痛くなりますし、飲み過ぎたら体調崩すんで気をつけるっすよ。」
と、ちゃんとコーヒーを飲むときの注意点を述べながら、ベルはヘルスティアにコーヒー粉の瓶を渡した。というかこの前コーヒー豆結構減ったって言ってたのに、個人用のやつはしっかりと確保してあんのな……。
「ありがたい……本当に助かる……。」
感激の涙を流しながら、ヘルスティアは瓶を大事そうに抱きしめた。いや、そんな泣くほどなの……?
他の客もいないので三人で少々談笑しながら、ゆっくりと食事を進めていき、いよいよ食べ終え、帰る時間となった。
「……あれ、ちょっと多いっすよ。二銀貨で充分ですって。」
「いいや、コーヒーを貰った分の恩を……恩を返させてくれ……。」
彼女は三銀貨を追加で払う。ベルは遠慮していたが、彼女の押しの強さもあって結局は受け取っていた。
「またのご来店お待ちしておりまーす。」
そう言って彼は見送ってくれた。
「いやはや、まさか雨天の頭痛への対抗策を入手できるとは……ありがたやありがたや。」
「ははは、本当に嬉しそうだな。」
頭上から降り注ぐ雨が、ヘルスティアの風魔法で優しく弾き飛ばされる。彼女の足取りの軽さとはある意味対照的だ。
「では、帰ったら早速試飲しようではないか! 熱水程度であれば食堂の厨房を借りれば用意できるであろう。」
「だな、俺もちょっと楽しみだ。」
そんなことを言いながら、道を歩く。まだ雨は降っているが、朝よりかはかなり落ち着いていた。
「……。」
結局、コーヒーを飲んでも心のモヤモヤは完全には解消しきれなかった。しかし、そのモヤモヤに何かが引っ掛かる。何か、大事なことを忘れているような。
『遅かれ早かれ、国が動くはずだ。』
ふと、頭の中にあの時のヘルスティアの言葉がよぎった。
「……あ。」
頭の中に電流が流れるのと同時に、思わず声が漏れる。そうだ、その手があった。転生者という立場を利用した、唯一の方法が。
「……殿、ハナ殿?」
ヘルスティアからの呼びかけに、ハッとなる。気がつけば、若干ながら濡れていた。どうやら立ち止まってしまい、それに気が付かなかったヘルスティアが少々先に行ってしまっていたらしい。
「ああ、すまん。ちょっとぼーっとしてた。早く戻ろうぜ。」
「う、うむ。」
内心焦ってしまい、少し急かすような感じになってしまう。……たしか、フェアシュテックは二十二時までやっていたはずだ。そんなことを考えながら、雨を避けるように急いで寮へと戻った。
そして、あれから十数時間後。
「んう……んへへ……。」
ザーザーと、未だに外では雨が降っている。時計の針は二十一時三十分を指していた。ヘルスティアの体調がよくないこともあり、今日は早めに就寝する……予定だった。
「……。」
ゆっくりと目を開け、静かに梯子を降りる。なるべく音を鳴らさずに着替えると、そのまま近くにあった鍵を拾った。
「……頼むから、寝ててくれよ。」
何か追求されたら、ボロを出してしまう気がする。だからこそ彼女が朝まで安らかに眠っていることを願いながら、俺は寮の部屋を出た。
降り注ぐ天涙を一身に浴びながら、夜の街中を走る。しばらくして、まだ明かりの灯っている一軒の建物の前に来た。
「ふぁ……あれ、こんな時間に珍しいっすね……。」
チリンチリンという、入店を知らせる小さな鈴の音を聞き、眠たげな様子でベルが店の奥から出てくる。
「……ってあれ、六花さんじゃないすか。うわ、しかもずぶ濡れ。どうかしたっすか?」
「ああ……ちょっと、聞きたいことがあってな。」
普段の客としてではなく、転生者として。この世界の言語ではなく、日本語を使って彼に話しかける。
「……なんでしょう。」
そこでなんとなく雰囲気を察したのだろう。彼も眠気を振り払い、日本語で応対してくる。
そうだ、ヘルスティアが言うように、遅かれ早かれ国が動く。しかし、国というのはそれ以外にも外交や国防など、やるべきことが多い。それ故に動くのが遅くなるか、動いたとしてもその規模はどうしても小さくなってしまう。であればどうするべきか。
「……次はいつ来るんだ、」
答えは簡単だ。直接掛け合って、大きく動いてもらえるようにすればいい。
「__フィエルド宰相は。」
……この国の、実質的なトップに。
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