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ひとまず510号室は、予感通り一番外まで遠い部屋だった。幸いなことに一階から五階までを一本の螺旋階段が繋いでおり、シャトルランみたいなことをする必要はなかった。
鍵穴に鍵を挿して捻ると、ガチャリという音を立てて扉のロックが解除される。ドアノブを捻れば、すぐに部屋が俺たちを出迎えた。二段ベッドに大きめのテーブル、そして椅子が二つに大きな棚が一つという質素ながらも充実した空間だ。どうやらシャワールームとトイレもついているらしい。
「……ふぅ。」
重い荷物を床に置き、一息つく。重いとはいってもその大半は教科書で、俺の私物と言えば例のナイフと神様からの手帳、あとは財布代わりのポーチと王都百怪談程度だ。ちなみにこの学園、学内及び寮内での武器の使用は禁じられているが、所有は禁じられてない。そして自衛のためならば使用を許可する……という感じらしい。あちこちから人が集まる分、自分のことはある程度自分で守れということだろうか。
「うむ、なかなか悪くないではないか。しっかりと空間もある故不自由することはあるまい。」
ヘルスティアはそう言いながら、早速棚に自身の教科書や本を並べ始めた。……どうやら相当多くの本を持ってきたらしい。数十冊ほどの怪談・オカルト本が詰め込まれた。それでもまだ棚にはだいぶ余裕がある。
片付けを終え、俺とヘルスティアはひとまずベッドに腰掛けた。柔らかすぎず硬すぎずという質感だ。
「……なあ、フェアシュテックって喫茶店分かるか?」
それとなく、ヘルスティアに聞いてみる。
「む……ああ、あそこか。それがどうかしたのかね?」
「ああいや、学内で誰かがそこに行くみたいな話をしてたのを思い出してな。少し気になったんだ。」
ヘルスティアからの逆の問いに、そうでっち上げて答える。あの祝電に書いてあったからとか言えるわけがなかった。
「ふむ。ちょうどこの近くにあるぞ、水色の看板が目立つからすぐに分かるはずだ。確か"こーひー"という飲み物が有名だったか。」
おっ、コーヒーなんてあるのか。そういえば、この世界に来てから一度も見かけなかった飲み物だな……あんまりコーヒー豆の栽培や輸入がされてないんだろうか。
「我も何度か行ったことがあるが……あそこのチーズオムレッタは絶品だぞぉ、ふわふわした卵の中に蕩けたチーズと程よい酸味のトマトが入っていてな……。」
彼女はじゅるり、と涎を少し垂らしながらほぼ独り言のように話し始める。やめろ、まだ昼飯食ってないんだから腹減ってきたじゃねぇか……。
「……うむ! 折角だしともに行こうではないか!」
「決断はっやお前。」
彼女はだんっと立ち上がると、口元を袖で拭った。あまりの即決に思わずツッコんでしまう。
……まあ、二日後のための偵察になるしら丁度腹も減ってきたし。少し苦笑いしながら、俺もポーチを手に取った。
寮から出て数分ほど歩いたところに、喫茶店フェアシュテックはあった。周囲の色彩には見合わぬほどに鮮やかな水色看板に、灰色の文字で「フェアシュテック」と筆記体で書かれている。ちなみに今更ながら、この世界の文字はアルファベットに似ていて、語感からはドイツ語的な印象を受ける。
「いらっしゃいませ、空いているお席にどうぞ。」
黒色と金色が混じった髪が特徴的な店員の言葉に従って、ひとまず窓際の席へと腰掛ける。メニューは結構充実していて、単品からセットまで、色々あるらしい。そしてドリンクの欄には確かに"コーヒー"と書かれている。
「すみません」と店員を呼び、ヘルスティアのお薦めしていたチーズオムレッタとコーヒーを注文する。オムレッタは要するにオムレツのことだ。
「えーと……私も同じものでお願いします。」
「かしこまりました、少々お待ちください。」
ヘルスティアがコーヒーを注文したのに少し驚いた。
「あれ、お前コーヒー飲んだことあんのか?」
「いや、ない。しかし前から気になっていたのでな……お主が注文するようだし、我もというわけだ。」
なるほどねぇ……。
数分ほどして、湯気を立てたチーズオムレッタとコーヒーが運ばれてくる。
「ミルクと砂糖はお好みでどうぞ。」
そう言って店員は角砂糖とポットを置き、戻っていく。
「む……?」
「ああ、コーヒーは苦いからな。そのまま飲んでもいいが……まあ入れておいた方が無難だと思うぞ。」
頭に疑問符を浮かべる浮かべるヘルスティアにそう教え、そして見本を見せるようにミルクと角砂糖を一つ入れた。褐色だったコーヒーが柔らかな茶色に変わる。
「ふむ……。」
彼女はブラックのまま一口啜ったが、すぐに顔を顰めてミルクと砂糖を入れていた。その様子に思わず苦笑しながら、俺も一口啜る。コーヒーの香りが鼻を抜けるとともに、ミルクで和らげられた苦味と酸味・砂糖の甘みが口の中で調和する。美味しい。
「……なかなかに良い香りがするのだな。」
心地良さそうな顔をしながら、ヘルスティアは呟く。もう数口啜ったのちに、今度はオムレッタを一口大に切り分け始めた。断面からチーズが垂れ、赤いトマトが顔をのぞかせる。
「ん〜〜〜! やはりいつ食べても美味い!」
フォークに刺して口に運ぶと、瞬く間に彼女は頬を緩めた。そこまでなのかと思い、俺も自分の分を切り分けて一口。
「……あ、うま。」
ふわふわとした卵ととろけた濃厚なチーズの味わい。それ単体ではしつこく感じてしまうようなものであるが、トマトの甘酸っぱさが良い感じに抑えてくれている。これもまた美味い……。
しばし静かに食事を楽しんでいると、ヘルスティアが話しかけてきた。
「……にしてもハナ殿は随分とこーひーを飲み慣れておるのだな。」
不思議そうな顔をして、ヘルスティアは言う。思わず一瞬ドキッとした。まだ一般的じゃなさそうな飲み物を躊躇なく飲んでるんだし、そりゃそう思うか……。
「ああ、いや……地元じゃ当たり前にあったからな……。」
「ふむ? となるとハナ殿はどこ出身なのだ?」
あぐっ、やばい。そこまでツッコまれるとは思ってなかった。どうしようか……。
「えーと……覚えてないんだよな。東の方だった気はするんだが……。」
「ふむ、そうか。」
……ふう、なんとかなりそうだ。これなら彼女がアーマリアとかに聞いたとしてもこれまでの話と矛盾はしないだろう。
しばらく二人で食事を楽しんだ後、店を出ることになった。
「はい、二銀貨ちょうどですね。」
……うーん、今思うとアーマリアの貴族ぶりが窺える。あいつあんだけ食ってたんだし、そりゃそれだけ金も払ってるよなぁ……。もしもあいつがここに来たら一体いくら飛ぶのやら。
ふと、店員が一瞬ヘルスティアのことを見る。そして、俺にしか聞こえないような小さな声で言った。
「……二日後っすか?」
独り言にも聞こえるそれは、実に久しぶりに聞いた流暢な日本語だった。
「っ!」
思わず目を見開くと、彼はうっすらと笑った。
「それでは、またのご来店をお待ちしております。」
そんな声を後ろに、俺は心臓をバクバクさせながら店を出る。……まさか、あの店員も同類だとは思わなかった。まあでもよくよく考えてみれば、確かになんで宰相がわざわざ街のなんでもないような店を指定したのかが謎だったからなぁ。そういうことなら多少納得はできる。
「……。」
いやしかし、どこでバレたんだろ。まさか直感だなんて訳はないし……もしやコーヒーのときのやりとりを聞いてたとか? でもそれだと明確な判断はつかないような気がするが……うーん。
「どうだハナ殿、月に一度くらいはともにここに食べにこようではないか! 無論アーマリア殿やヴェアティ殿も連れてきてだな……。」
そんなことを考えていると、ニコニコしながらヘルスティアがそう提案してきた。
「……そうだな、そうしようぜ。」
……まあ、色々難しいことは二日後答え合わせすればいいか。今日ぐらいは軽い気持ちでいよう。
互いに満足感と満腹感に満たされながら、寮へと戻っていく。その足取りはなんとなく軽かった。
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