20・三人で食事を
ジルは冷たい空気の中、朝市へ向かい歩いていた。吐く息が白い。今日は空をどんよりとした雲が覆っていて、朝の日の光が弱々しく見える。
雪が降りそうな天気だな。そう考えながら歩いていると、軽やかに走る音が後ろから近付いて来た。
きっとエリクだ。そう思ったジルが振り返ると、やはりエリクが走って来た。
「おはよう、ジル」
「おはようございます、エリク様」
ジルのその声色は、今までの親しみを感じさせるものとは違った。距離を感じさせるその声色に、エリクは心配そうな瞳でジルを見た。
「ジル、どうかしたか?」
「食事に誘って頂いた事、お姉ちゃんから聞きました」
「ああ。ジルには美味しい食事を作って貰ったからね。君達との食事を楽しみにしているんだ」
エリクは優しく微笑み答えたが、ジルが何故浮かない顔をしているのか見当が付かない。
「本当はエリク様、お姉ちゃんだけを誘いたかったんじゃないですか?だってエリク様、お姉ちゃんが好きなんでしょう?」
「えっ」
ジルは何かを訴えるような表情でエリクを見上げた。エリクは驚いた声をあげてジルを見返す。ジルにまで気持ちを悟られていたとは、エリクは顔が熱くなるのを感じた。
だがジルとの食事も楽しみだったエリクは反論しようと口を開いたが、ジルの方が早かった。
「でも、エリク様は貴族様で、俺達は平民です。エリク様と居る事で、お姉ちゃんが辛い思いをするんじゃないですか……?」
ジルはキトリーからエリクとの約束を聞いた夜、エリクが貴族だった事を思い出し悩んでいた。身分の差は明らかで、しかも自分達姉弟は録な教育も受けていない。
貴族の世界の事は未知の世界だが、お金があっていつも楽しい、という訳ではないだろう。ライアンやその父母、貴族の騎士団員達を見ていて、身分に関わらず何処にでも苦労や悩みはあるものなのだと感じていた。
そして自分をいつも大切に思ってくれている姉を、ジルも大切に思っていたし、案じていた。
エリクはジルの気持ちを察し、真剣な眼差しでジルを見つめた。
「先ずはジル、俺は君とも一緒に食事に行きたいと思っているよ。とても楽しみに思っているんだ。……そして、君の言う通り、俺はキトリーが好きなんだと思う。実はつい昨日、その気持ちに気付いたんだ。まさかジルにまで気付かれているとは思わなかったが……」
そんなに分かりやすく見えるのか、とエリクは少し恥ずかしい気持ちになった。そして言葉を続ける。
「確かに俺達には身分の差がある。だが、だからと言って何もせずに彼女を諦めたくはない。何か手は無いか考えるよ。まぁ、まだ俺の片思いだから、キトリーに振られる可能性もあるしな……」
エリクは苦笑し、問題提起してくれたジルに礼を言う。
「ありがとうジル。ジルのお陰で気付けたよ」
「いえ、あの……本当は応援したいんです……。俺、エリク様、好きだし。でもやっぱり、お姉ちゃんには幸せになって欲しいから……」
エリクは微笑み優しくジルの頭に手を乗せた。
「ああ。俺もキトリーの幸せを願う。出来る事なら、俺が幸せにしたい」
ジルはエリクを見上げ、微かに微笑み口を開いた。
「エリク様、お姉ちゃんにはもっとハッキリ言った方が良いですよ。エリク様の好意に全く気付いてなかったから」
エリクは、ラリマーと同じ事をジルからも言われ、力無く笑った。
買い物を終えジルと別れたエリクは、走りながら考えていた。キトリーと自分の身分の差。エリクは三男で、爵位を継ぐのは長兄だ。
両親はエリクに貴族の娘と結婚し、他家との繋がりを持つ事を期待しているらしい。特に母親は見合いの打診を幾つも持ち帰って来る。
全くもってその気が無かったエリクは、騎士団の仕事が忙しいと姿絵を録に見もせず断っていた。
初恋に舞い上がっている自覚はあるが、エリクはキトリーとの将来を考えている。両親には反対されるだろう。だが、エリクはキトリーを諦めるつもりは毛頭無い。
だが何よりも、キトリーとの距離を縮める事が先決だ。彼女のエリクの評価は、副団長で魔王という、異性に対しての好意があるとは言えないものだ。
キトリーの視線から感じるのは、緊張感と尊敬と敬意といったもの。
夜会で令嬢達がエリクに送る、憧れ焦がれる視線やその表情とは違うもの。
嫌われたり過度に怖がられていない事は救いだったが、やはり身分と騎士団内での上下関係から来る距離感は確実にあった。
面倒だと感じていた令嬢達の視線と同じものを、キトリーから送られたなら、それはどんなに心嬉しい事だろう。
課題は多い。エリクはその対処について考えながら朝食を済ませ家を出た。
エリクとの約束の日、仕事を終えたキトリーとジルは家で着替えを済ませていた。数日前から雪が降り始め、町は白い雪に薄く覆われている。
パワードスーツを解除したキトリーは寒さに首を竦め服を着ると、帽子を被り同じ色のマフラーを首に巻いた。
「寒いね~。パワードスーツ脱ぐと、すごい寒く感じるよ~」
着替えを終え自室を出たキトリーの言葉に、ジルは振り向き呆れ顔でキトリーを見た。
「お姉ちゃん、また今日も寝る時パワードスーツで寝るつもりなんでしょ?」
ジルに行動を読まれているキトリーは、にぃっと歯を見せて笑った。
「だってさ~、寒くないし、疲れが取れてスッキリ起きれるんだよ~?パワードスーツ無しには戻れないよ~」
「朝起こしに行く時、結構吃驚するんだからね。それに、スッキリ起きれる割には起きるの遅いよ」
ズバリと言われ、キトリーは苦笑いした。スッキリ起きる事が出来ても、起きる予定の時間まで布団に入っていたいと思ってしまうのは、自分の悪い癖だとキトリーは思う。悪い癖だと思っても、やっぱり布団から出る事は難しい。
パワードスーツを着ていると、布団の温かさは感じないが、パワードスーツ未着用時と微睡みの心地良さは変わらない。
そんな事を考えながら外に出ると、途端に冷たい夜の空気に包まれた。凍える空気は、露わになっている頬を刺すような冷たさだ。
思わずキトリーはマフラーに頬を埋める。
「寒ぅ……」
部屋の中と外の温度差に、思わずジルも体を縮めた。
約束の時間より少し早く外に出たが、エリクは程なくして現れた。
「馬車だ……」
「また馬車……」
以前ライアンと食事に行った際も馬車だった。しかも、平民が利用する馬車とは違い、貴族の所有している馬車。乗り心地も座席の座り心地も、かなり上質な代物だ。
数ヶ月前までは、見掛ける事すら珍しかった豪華な馬車。それに乗るのは、これで二回目。
セギュール家の馬車に乗る際も恐縮し緊張しっぱなしだった二人は、苦笑いを浮かべ顔を見合わせた。
「待たせてしまったな、すまない。寒かっただろう」
馬車から降りたエリクは、ジルとキトリーの手を取り馬車に乗せた。エリクの仕草はとても自然なのに、キトリーは普段そのような扱いを受けていない為、更に緊張してしまう。
赤くなっているであろう頬をマフラーで隠し、柔らかい座席に座った。
向かい側に座ったエリクは、上品な濃紺色の暖かそうなコートを羽織っていた。エリクの金色の髪とよく合っている。エリクは柔らかく微笑み二人を見た。
「二人共、誘いを受けてくれてありがとう。楽しみにしていたんだ」
「いえ、こちらこそ、お誘い下さりありがとうございます。お姉ちゃん、すごい楽しみにしていたんですよ。エリク様が選ぶお店なら、きっと美味しいんだろうって」
エリクはジルの言葉に一瞬気分が舞い上がったが、ああそういう事かと納得した。
森の中で一緒にサンドイッチを食べた時も、食堂でのアグドオス料理も、ジルの手料理も、キトリーはそれは幸せそうに食べていた。キトリーが食べる事が好きなのであろう事は、容易に察せられる。
一瞬のぬか喜びをおくびにも出さずに、エリクは平静を装い笑顔を作った。そんなエリクを、キトリーは俯き気味に見て口を開いた。
「楽しみにしてたのは間違いないのですが、副団長に注文をつけてしまった事は反省してます……。平民が行くようなお店なんて、副団長は利用しないんじゃないかと、後になって気付きました。すいませんでした……」
申し訳なさそうに上目遣いで謝るキトリーに、エリクは首を横に振り否定した。
「いいや。今日行く店は騎士学校に通っていた時に友人に教えて貰った店で、今でもよく利用しているんだ」
安心させるよう微笑むエリクにそう言われ、キトリーは少しホッとした。舗装された石畳の上を進む馬車は揺れが心地良く、馬車が停まる頃には緊張感はかなり薄くなっていた。
「ここから少し歩くよ」
エリクに差し出された手に支えられて、キトリーは表通りに降り立った。ジルも馬車から降りると、エリクは歩き出した。キトリーとジルも後に続く。
少し歩くと、裏通りにある一軒の小レストランが見えてきた。寒空の下で現れたそのレストランの、窓から見える温かい光にキトリーはホッとする。エリクはそのレストランに入り、予約している旨を店員に伝えている。
すぐに中に通され案内された席に座った。店の外装もそうだったが、店内も自然で落ち着いた雰囲気だ。日替わりメニューが、壁に掛けられた大きな黒板に書いてある。
それを眺めていたキトリーを、エリクは向かいの席から覗き込んだ。
「食べたいものはあったか?」
「はい!ピスタチオのクレームブリュレが食べたいです」
店内のオレンジ色の照明に照らされたキトリーの瞳がキラキラと輝き、思わず見惚れそうになったエリクはすぐにジルの方へ視線を移した。
「そうか。では食後に頼もう。ジルは?」
「俺はキノコのポタージュと肉料理が食べたいです」
エリクは頷き、店員を呼んだ。エリクが注文を伝えている間、キトリーは壁に掛けられている幾つもの絵画を眺めていた。
小ぶりの額縁に入った絵画がランダムに配置されていて、ギャラリーを彷彿とさせる。常連らしい客と和やかに話す店員の親しげな様子も目に入る。
店の気さくで落ち着いた雰囲気にキトリーが目を細めていると、向かい側から視線を感じた。
キトリーがそちらに視線を向けると、優しい笑みを浮かべたエリクがこちらを見ていた。その瞳に宿る温かな光に、キトリーはドキリとしてしまう。
キトリーの心臓はそのまま音を立て続け、何だか恥ずかしくなったキトリーは、エリクの方を見る事が出来なくなってしまった。




