21・副団長の動揺
温かいポタージュをスプーンで口に含む。とろりとした薄茶色のポタージュには、細かく切られたキノコが入っている。カリカリに焼かれたベーコンがスープに乗っていて、ポタージュを飲んでからベーコンを食べると、その塩味が引き立ち口中に更なる旨味が広がった。
外は寒かったが、スープを飲んだ今はお腹の中から温かい。
「スープ美味しいね」
「うん。色んなキノコが入ってて、玉ねぎの甘みもあって美味しい」
キトリーはジルの感想に、うんうんと頷いた。そうか、この甘みは玉ねぎが入っているからなのか、と納得する。この奥深い香りも、数種類のキノコが入っているからなのである。
キトリーは料理に詳しくはないので、味を楽しむ専門だ。だから今も、ジルの言葉に頷いている。
次いでテリーヌが運ばれてきた。エリクはワインを飲みながらテリーヌを食べている。
数種類の野菜が入った色とりどりのテリーヌに、熟成肉のテリーヌ、白身魚とキノコのテリーヌの三種類だ。
キトリーが、白身魚とキノコのテリーヌの、滑らかな舌触りと深みのある味わいに顔を蕩けさせているのを、エリクは目を細めて見ている。
キトリーはその視線に気付かずに、熟成肉のテリーヌに手を伸ばしていたが、ジルはそんな二人をやれやれといった表情で眺めていた。
メイン料理の牛肉の赤ワイン煮込みと、アグドオスのロースト、二種類の自家製パンを食べ終え、キトリーはデザートのクレームブリュレを食べている。
表面のカラメルの層にスプーンで少し力を加えると、カラメルはバリッと音を立てて割れ、中のピスタチオの優しい緑色が顔を出した。とろとろのカスタードとカラメルをスプーンで掬い口に含む。ピスタチオの香りとカスタードの滑らかな食感、濃厚な味わいとカラメルのほろ苦さが口の中に広がった。
期待を裏切らない美味しさに、キトリーは頬に手を当ててその味を堪能している。その幸せそうな表情を、エリクは口元に微笑みを湛えて見つめていた。
エリクの視線に気付いたキトリーはハッとした。エリクはデザートを食べていない。
「副団長も、食べますか……?」
おずおずと差し出されたスプーンには、ピスタチオのカスタードとカラメルが乗せられ、照明の明かりに鈍く光っている。
エリクは笑みを浮かべたまま固まりスプーンを凝視してしまった。
自分に向けられたスプーンは、先程キトリーが口に含んでいたもので、しかもそれを彼女が食べさせてくれるらしい。
ときめきと狼狽でドキドキしてしまったエリクは、助けを求めるようにジルを見た。だがジルはこちらを見ないように目を閉じてクレームブリュレを味わっている。
……ああ、気遣いをありがとう、ジル……。
エリクは差し出されたスプーンを口に入れ、甘くクリーミーなクレームブリュレを食べた。
「うん。美味い、な」
正直味はよく分からなかったのだが、微笑みながら感想を言うと、キトリーもニッコリ笑って頷いた。
「はい!すごく美味しいです」
そしてキトリーはそのまま何も乗っていないスプーンを口に入れた。キトリーが何も考えずにしたその行為に、エリクは一気に酔いが回った気がした。
翌朝、エリクは早朝から走っていた。走っても走ってもあのキトリーの顔が消えない。今顔が赤い原因が、走っているからなのか、昨日のキトリーのせいなのか判断がつかないでいる。
視界の先に、見慣れた小さな背中が見えてきた。もういつもの倍は走っている。そろそろ終いにしよう。そう思い、スピードを緩めてジルを呼んだ。
「ジル、おはよう。今日も寒いな」
「おはようございます。エリク様、昨日はありがとうございました」
ジルと並んだエリクは、歩調を合わせて微笑んだ。
「こちらこそ。楽しかったよ」
「俺もです。美味しかったし、勉強になりました。……ご馳走して頂いちゃったので、お姉ちゃんがお礼をどうしようかって悩んでましたよ」
ジルの言葉に、エリクは慌てたように言葉を返した。
「礼など……!こちらが誘ったのだから、必要ない!」
「でもお姉ちゃん、貴族様に物を贈るなんてちょっと……とか、色々考えちゃってましたから。エリク様からデートにでも誘ったら良いと思いました。付き合って欲しい所があるとか言って」
ジルがサラリとデートという言葉を言うので、エリクはたじろいでしまった。顔に熱が集中するのを感じる。
「いや、デートなんて……食事に付き合って貰ったのに、その礼に更に付き合って貰うなど……」
「お礼をしたいお姉ちゃんと、お姉ちゃんとデートしたいエリク様。問題は無いはずですよね?」
ジルは小首を傾げてエリクを見た。十以上年の離れたジルに、かなり動揺させられている。
デートをしたいだなんて言った覚えはない……いや、したいけれども。
「……だが、何処に誘えば良いんだ?デートなんて、した事ないぞ……」
「エリク様も、恋物語とか読まないんですね。お姉ちゃんも読んでないですけど」
「ジルは読むのか?」
ジルはエリクの問いに何かを思い出し、気の抜けたような呆れた顔をした。その目は何処か遠い目をしている。
「ニノン……うちの大家さんの娘さんが強引に貸してくれるんです。お姉ちゃんが読まないせいで、俺に感想を聞いてくるから……読ませられてる感じです……」
盛大なため息を吐き出しているジルだったが、何故か口元は嬉しそうに緩んでいた。本当に迷惑だとは思っていないのだろう。
「好みとかもありますし、参考にならない事もありますけどね。お姉ちゃんが恋物語の演劇とか見て喜んでるの想像出来ないし……。ニノンとシイテ大聖堂に行ったのは楽しかったみたいだから、観光名所に行くのはどうですか?あと、お姉ちゃんは食べ歩きも好きですよ!」
ジルは色々と思い出しながら提案してくれる。エリクは隣を歩くジルを微笑ましく見た。ジルがエリクを応援してくれているのが良く分かる。その気持ちに応えるように、エリクは首肯した。
「ありがとう、ジル。そうだな。デートに誘ってみる事にするよ」
ジルは嬉しそうに顔を上げ、少し頬を上気させて笑顔を見せた。その笑顔を見たエリクは、再び昨日のキトリーの笑顔を思い出してしまう。
「じゃあお姉ちゃんに伝えておきますね!日程はお姉ちゃんと決めて下さい!」
「あ、ああ……」
元気に手を振り別れたジルを、エリクは困惑したまま見送った。
「え?何で二人で?ジルはどうして一緒じゃないの?」
ジルの帰宅後、寝起きのキトリーはジルに聞かされた話に、回らない頭で考え疑問を口にした。温かいスープとトーストしたパンを机に置いたジルは、キトリーに機嫌の良さそうな笑顔を向ける。
「うん。今度は二人で出掛けたいってさ。お姉ちゃん、エリク様へのお礼、迷ってたでしょ?なら、付き合って欲しいって」
「んん……?」
キトリーはエリクの意図が掴めないまま洗面所へ向かい顔を洗った。冷たい水に驚き目が覚める。ジルの元へ戻ると、既に朝食の支度は整っていた。
ジルが一緒じゃない理由は何なのだろう。具が沢山入ったスープを飲みながらキトリーは考えている。そして、ヴィオニ村へ行った時のベルナールを思い出した。
もしかして、エリクもベルナールのように、女性が多く訪れる店に行きたいのでは?女性ばかりの店にジルを連れて行くのは気が引ける為に、キトリーだけを誘った。
そう閃くと、考えれば考える程にそうだとしか思えない。
腑に落ちたキトリーは、スッキリした顔で騎士団本部へ向かった。鍛錬場に入るとすぐに、エリクがキトリーの元へ来た。
「おはようキトリー」
「あ、おはようございます!副団長。昨日はありがとうございました!」
元気良く礼をしたキトリーに、エリクは話し辛そうに口を開いた。
「それで、来週の鍛錬日の翌日なのだが……」
「あ!ジルから聞いています!お出掛けはその日にしますか?」
「あ、ああ。その日の予定は空いているか?」
エリクはキトリーの顔を直視出来ずに目を逸らしながら聞いた。こちらに笑顔を向けるキトリーが輝いて見えた。あれをまともに見てしまったら、傍目に分かる程に赤面してしまうに違いなかった。
「はい。大丈夫です。どんな所に行くんですか?」
「色々と考えている。朝迎えに行くから、部屋で待っていてくれ」
「分かりました!」
エリクはキトリーの方を見ないまま、ギャエルの方に行ってしまった。
ベルナールもそうだが、エリクも可愛らしい店で甘いお菓子を食べる事が恥ずかしいのだな。そんなに恥ずかしがらなくても良いのに……。的外れな事を考えているキトリーは、生暖かい微笑みを浮かべてエリクの背中を見ていた。
「えっ!?来週にですか!?」
急に大声を出したギャエルを、周囲に居た班員達が瞬時に振り向き注目した。
エリクから何かを聞かされたらしいギャエルは、目を見開き歯を剥き出して驚いた顔をしている。キトリーは、あんなに驚いた顔をしているギャエルを見るのは初めてだった。
何だろう、と不思議に思い見ていると、諦めたような表情を浮かべたギャエルが号令をかけた。
「十一班!集合だ!」
班員が集まると、ギャエルは難しい顔をして話し始めた。
「来週の鍛錬日に、侵略部隊が訓練を付けてくれるそうだ。皆、しっかり動けるように準備しておくように」
ギャエル同様に難しい顔をしている班員が居る中、ラウルとカンタンは楽しみだと笑顔を見せている。
キトリーは侵略部隊の事を知らなかった。隣に居るベルナールが緊張した面持ちで居るのを見て、侵略部隊を知らないのは自分だけだと気付く。キトリーはベルナールの隣に近付き小声で聞いた。
「侵略部隊って何?」
「ああ、侵略部隊っていうのは……」
「侵略部隊は訓練、演習の際に、敵側を装う役割を担う部隊だ。相手側の力量に合わせた戦いをしてくれる。戦闘における凄腕の集団だな。訓練を施すのが彼等の主な仕事だ」
小さい声で聞いたはずなのに、キトリーの声はエリクにまで届いていたらしい。キトリーの疑問は、ベルナールの言葉を遮ったエリクによって解消された。
「あ、ありがとうございます……」
キトリーが呆気にとられつつもエリクに礼を言うと、ギャエルが重苦しい溜息を吐き出した。
「そんでもって、侵略部隊の隊長が、十一班の元班長なんだ」
そう言ったギャエルの顔は、苦々しい顔に旧懐と憂鬱の色を垂らしていた。




