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「失礼します、リーゼ第三皇女」
俺がリーゼ皇女の部屋を訪れると、椅子に座りうなだれる彼女の姿があった。俺の立つ扉の位置からでは、前髪によってリーゼ皇女の表情をうかがうことはできない。けれど脱力した全身からにじみ出る負の雰囲気が、何よりも彼女の心情を物語っていた。
おそらく彼女は今、何が起こったのかはなんとなく分かっているのだろう。彼女は世間では愚か者の癇癪持ちと呼ばれているが、実際のところその評判で正しいのは半分だけだ。彼女は愚かではない。特にきっと他人の悪意には人一倍敏感なはずだ。
だが今は、そんな感傷に浸られている場合ではない。
「時間がないので詳細ははぶきますが、リーゼ第三皇女。あなたは第一皇女とおそらく第二皇女にはめられました。隊長が親衛隊以外の兵をみなつれ、王都へ帰還しております。今この拠点にいるのはリーゼ第三皇女と、親衛隊の副隊長以下我々のみ。すぐにでも逃げなければ、山賊に殺されてしまいます」
「……」
「ですが馬もありませんので、我々は森の草木に紛れて隣国に亡命を図ることにしました」
「……亡命、だと」
私の言葉に、リーゼ第三皇女が顔を上げた。そして横髪の隙間から除く鋭い目が、私をじろりとにらむ。
その瞳には、いまにもあふれそうな怒りが込められていた。
「これ以上、また私は侮辱されるのか」
第三皇女が言葉を紡ぐ。
「生まれた瞬間から、卑しい生まれとして疎まれ、皆に疎まれ、魔法の才がないことがわかってからは、皆に笑われた」
「……」
ふと、社交場にリーゼ第三皇女の護衛としてお供した私は、そこで彼女が普段味わっている苦しみの一部を垣間見た。
”あれが、娼婦の子” ”王族なのに魔法すら使えぬ、出来損ない” ”見た目だけで中身は空っぽの鳴く人形”
美しく着飾り、完璧な美貌を持ったリーゼ第三皇女。そんな彼女が歩いた後に聞こえるのは、感嘆の声ではなく、彼女をやじる声。
能面のような表情で前を向くリーゼ第三皇女の周りには、ぽっかりとした空間があいていた。まるで
見世物の動物を眺めるように、客人たちはリーゼ第三皇女を眺めていた。
「誰にも期待されず、馬鹿にされてきた私に、今度は亡命してまた醜態をさらして、笑われろと申すのか」
握られた彼女のこぶしから、赤い血が流れ出ていた。
俺だって平民の孤児である。彼女のように生まれで差別された経験は幾度もある。けれど、とても「私にはあなたの気持ちがわかります」なんて言えなかった。
「……隊長、大変です!」
俺がなんと説得しようかと考えていると、後ろから隊員の一人が血相をかえてやってきた。その隊員は一瞬リーゼ第三王女の顔を見たが、無視して俺に要件を伝えた。
「さ、山賊達が根城の村とは反対側、俺たちが来たほうの道から近づいてきています」
「なに、本当か?」
「ま、間違いありません」
部下の報告に驚きながらも思考を巡らせる。
なるほど、どうあっても相手はリーゼ第三皇女をここで殺したいようである。王都側の道から近づいてきている山賊が、本当の山賊なのかどうかはさておき、このままでは挟み撃ちにされてしまう。
「報告の通りです。リーゼ第三皇女、すぐに逃げましょう」
「……お前たちだけで逃げればよいではないか、もう私はここでよい」
リーゼ第三皇女がすべてをあきらめたような顔でそういった。
「我々だけでは、どこに行っても受け入れてもらえません。隣国に亡命したところで、リーゼ第三皇女の力がなければ一蹴されて終わりです」
「……」
「ですから我々はリーゼ第三皇女のお力にすがるしかないのです」
「……お前らだってわかっているだろう、私なんてなただのお飾りだということに。だから私を連れて行ったところで無駄だ」
俺の言葉にリーゼ第三皇女は自嘲気味に笑ってそう言った。
「いいえ」
俺は反射的に否定していた。確かに俺以外の人からすれば、無駄だと思うかもしれない。けれど俺には、隣国オルフェン王国の公爵となっていたリーゼ第三皇女の記憶があるのだ。
この記憶が本当に未来の出来事なのか、それともただの妄想なのかはわからない。けれど可能性としては十分にありえると私は思っていた。
「可能性としては、5:5くらいでいけると思っております」
私がまじめな顔でそういうと、リーゼ第三皇女の目がわずかに見開かれた。そして固まったように数秒見つめてきた後、ふっと声に出して笑った。
「そこは10:0ではないのか」
「確証があるなら、とっくに説明しています」
「それもそうか……なら、好きにしろ」
リーゼ第三皇女は、私を見ながらあきらめたようにそう言った。
「どうせ、もう死んだも同然の命だ。ならお前の好きに使えばよい」
そう言って立ち上がる、リーゼ第三皇女。
あまりの素直さに、驚いたのは俺のほうである。
「どうした、行かないでいいのか?」
「い、いえ、どうぞ、こちらへ」
そう言って、リーゼ第三皇女をエスコートする俺。
外に出て、ほかの隊員がいる場所に彼女を連れて行った。
「副隊長!」
ミルが私の姿をみやるなり、私のもとへと近づいてきた。
「どうだ、準備のほうは万端か」
「はい、敵にばれないように、三人から四人のグループで森の中を進むことに決めました。副隊長のグループは、副隊長とリーゼ第三皇女と、私です。それと、これが私たちの食糧です」
ミルがそう言って、麻袋を差し出してきた。受け取って中を見ると、干し肉と水がわずかながらに入っていた。
「敵が両方から挟み撃ちにしてきています。今すぐにでも逃げましょう」
「ああ、リーゼ第三皇女、これからはこの森の中で身を隠しながら進んでいきます。お召し物などもすぐ汚れますが、ご容赦を」
「……ああ」
普通の礼状なら発狂しそうなことを言っているけれど、意外にもリーゼ第三皇女は素直にうなづいた。
あれほど周りに癇癪を起していた彼女が、なぜここまで素直なのかわからないが、今は気にしている場合ではない。
「お前たちもみな、またおちあおう」
俺はほかの隊員たちにそう告げ、さっそくリーゼ第三皇女とミルとの三人で森の中へと足を踏み入れた。
敵の足音はすぐそこまで迫ってきている。我々部隊はちりじりになり、息をひそめながら匍匐前進で隣国を目指すのであった。