夢
【五月二日 六時】
「冗談じゃろ? 冗談よね? 冗談って言って……」
どうして翔太が、どうしてお姉ちゃんを? こんな現実を受け入れたくはなかった。違う、翔太じゃない。きっと翔太は誰かに脅されて――。
「……こんな時に冗談なんて言う余裕なんかない。ちゃんと証拠も言ったろ? その時間帯に動いてたのは俺しかいねーし」
翔太は、私の方を向いた。零れ落ちた血が、翔太の足で床に擦りつけられる。
「でも翔太がやったなんて証拠は……」
「証拠なら腐るほど部屋にある」
私が必死にその現実を奪おうとしても、翔太がそれを許さない。
「証拠……それって」
私は、お風呂に飛び散る血を横目で確認する。あれだけ血が飛んでいるのなら、殺したその人にも確実に血は付着している。洗ったり、その血を完全に落としていたのなら別だが。
「流石に体についた血は洗った。でも服についた血は全然落とせんかった……最初は言われた通りにするつもりじゃった……でもスマホで色々調べようたら、そんな優しい世界じゃなくて……そんな漫画みたいなこと無理じゃって思った」
「言われた通り? それはどういう意味じゃ?」
怪訝な顔でお父さんは、私達の間に入り込む。そして、私を翔太から離すように後ろへ押しやった。
「言われたんです、由紀さんに。『春紀に私を殺して貰うけぇ、翔太君は犯人を勝紀に仕立て上げて』って」
「はぁ!?」
勝紀が鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる。多分、私も勝紀と同じ表情になっていると思う。
「どういうことじゃ、春紀。お前も当然何か知っとるんじゃろう」
お父さんは、私を貫きそうな目で睨む。
「それは……」
怖くて、お父さんの顔を見ていられない。私は、目線を逸らす。
「お父さん、俺が全部言うけぇ春紀は責めんで下さい。春紀は別に何もやっとらんのんで……基本的に色々やったのは俺と由紀さんなんで」
「春紀……お願い、春紀の知っとることもちゃんと私達に教えて」
願うように絞り出したお母さんの声は震えていた。少し複雑な気持ちだったが、言わないと余計な争いが起こってしまうと感じた。
「昨日言われたんよ……私を殺してって。断ろうと思ったけど断れんくて。断ったら、お姉ちゃんが悲しむと思って……本当じゃったら、私がお姉ちゃんを殺してた。でもそっから先のことなんてほとんど聞いてないよ。翔太がこれに協力してたなんて……全然知らんかったし」
「じゃあ、春紀は由紀を殺すことに迷いはなかったの?」
お母さんからの指摘にドキッとした。
人を殺すことには勿論抵抗があった。だけど、お姉ちゃんを殺すということには一切の抵抗がなかった。今までの思い出とかも何もよぎらなかったし、浮かばなかった。私はもう二度と普通の生活なんて出来なくなる、翔太とも会えなくなる、仕事も居場所も何もかも失う。それだけで頭がいっぱいだった。
そう、私にお姉ちゃんを殺すこと自体に一切の迷いはなかったのだ。
そして、お母さんの問いに対して「はい、そうです」なんて言えるはずもない。
「答えろ! 春紀!」
お父さんは怒鳴る。どうしてこんな時になってお姉ちゃんを二人共気遣うの? どうして今までそれが出来ないの? お母さんに至っては、お姉ちゃんが女優になるって言ってから関わるのも避けていたくらいなのに……どうして今更戻ってこなくなってからなの?
「答えんさい、春紀!」
「……ちっ、くそくだらねぇ」
勝紀はそう呟くと、呆れたようにお風呂場から出て行こうとする。
「勝紀! 待ちんさい! これは家族のこれからに――」
お母さんがそう言うと、勝紀は歩みを止め、鼻で笑った。
「家族ぅ? 今更まだ俺達のこと家族出来てるって思ってんのかよ。底辺家族ごっこくらいしか出来てないと思うぜぇ? ま、家族分断したんは由紀だと思うけど。それを粉々にしたのは……親じゃろ? いい加減目、覚ませや」
それだけ言うと、勝紀は去って行った。私もこの場にこれ以上いると、二人に手を上げてしまいそうだ。勝紀の後について行こうとしたら、お父さんが私の腕を掴む。
「待て! 話は終わっとらん! 殺人事件がこの家、しかも今それなりに話題のタレントが殺されたとなったら、もう手が付けられん! しかも殺人犯がお前の幼馴染じゃ……一切余計なことを言わんようにせぇよ。そのためには辻褄合わせを――」
「……子供の気持ちも何も知らんくせに! 今更ああだこうだ言った所で、二人がお姉ちゃんを追い詰めたのには何も変わらんのに! 二人がちゃんとした親じゃったら、お姉ちゃんはあんなこと考えんかったのに! 辻褄合わせ? ふざけんでや……事実は事実なんよ。そこまでして何を守りたいん? お姉ちゃんを殺した本当の犯人は――お父さんとお母さんじゃ」
我慢の限界だった。今まで心の底に隠してきた怒り、悲しみ、苦しみ、孤独、それら全てを吐き出した。
二人は何も言ってこない。何を思っているのかは分からない。きっとろくなことを考えていないだろうけれど。
私は去り際に翔太を見た。翔太は涙を流していた、昔のあの頃のように。
***
【五月二日 午前八時】
私は翔太の部屋の前に来ていた。今、翔太はここに閉じ込められいる。あの後、何かを話したのか、していないのかは分からない。ただ、ここを通る足音と翔太とお父さんの声がした。
恐る恐る私はドアを叩く。
「翔太……おるよね?」
「おるよ」
「入るよ」
「駄目」
「なんで?」
「殺人犯のとこに来ようとか思うなよ」
意地でも開けてくれなさそうだ。仕方ない、強硬手段……とドアを引っ張ってみたのだが開かない。おかしい、鍵はこの部屋にはないはずだ。
「もしかして開けんよう押さえとる?」
「うん」
「お願い、開けてや」
「無理。それだけは……無理」
ドアに耳を近づけると、翔太の声が震えているのが分かった。泣いているんだ。泣き顔を見られたくない、そんな所だろうか。でも、さっき泣いてたの見えたんだけどな……。仕方ない、ここは男を立てよう。
「分かった。でも何個か聞きたいことがあるんじゃけど、いいかね」
「別にそれはいいけど」
「翔太はいつからお姉ちゃんに頼まれとったん」
「昨日の晩御飯の時。由紀さんは本当は三人揃った時に言いたかったらしいんじゃけど、まぁそれが無理だったって」
お姉ちゃんが私に電話をして呼び出した時、翔太がいないことに少し驚いていたのはそれだったのか。困っていた所で、翔太からの外食の誘い。不自然ではない流れで誘い出せたということか。
そもそも誰か信頼出来る人連れてこいと言ったのは、お姉ちゃんだ。これを聞いた、なるほどと色々納得した。
「……それで、どうして私の代わりに?」
「お前にはこれからがある。じゃけど俺には未来なんてない。お先真っ暗」
「何言っとるん? 今働いとるって……」
「あれ、嘘」
「え?」
「いい年して情けないって思われたくなかった……それだけ。あとは?」
どんな言葉を翔太にかけてあげたらいいのか、分からなかった。
「お姉ちゃん、私がこんくてなんかようた?」
「いや。俺が『お姉ちゃん眠ったら行くってよーりましたよ』って言ったけん。何も」
「そっか……」
安らかな顔で逝っていた様子を見ると、一切苦しみや痛みを感じることなどなかったようだ。その代わり、翔太が全ての苦しみと痛みを背負った。
「てかさ、お前気付いてないん?」
「気付いてないって何が?」
「……昨日の夜、急に眠くなったじゃろ」
「急に?」
急に眠くなったかどうかは覚えてないが、寝るつもりはなかったのにすっかり朝まで眠っていた。それが一体……。
「分かっとらんのんか~い。実はさ、あのスープに睡眠薬入れたんよ。そうでもせんと、お前を止められんと思ったし」
「睡眠薬!? 睡眠薬って……もしかしてお姉ちゃんから貰ったの?」
「そ、ちゃんと眠ってくれて良かったわ」
「ねぇ……どうしてそこまでして……」
「昔、言ったろ? 俺はヒーローになりたかったんだ。ま、正義とは程遠いけど……。お前のための、お前を救うヒーローになりたかった。叶ったとは思わん。だってやったことは最悪じゃけ。でも、春紀にはずっとピアノを弾き続けて欲しい。それだけよ」




