一顰一笑
【五月一日 二十二時】
死に物狂いで掃除を終えた私は、自分のベットで寝転がっていた。時間が無常にも流れていく。このまま止まってしまえばいいのに。
「お~い! 春紀っ」
ノックもせずに翔太が部屋へと入って来た。私は無防備に寝ていたので焦った。翔太の前で醜態を晒してしまうのはまずいと、慌てて起き上がる。
「おま……フフフ! 大の字になって寝るとか! 笑うんじゃけど!」
翔太は大爆笑した。
「勝手に入って来とるくせに、なんなん!」
イラッとした私は、翔太に枕を投げ捨てる。その枕は見事に翔太の横を通り過ぎた。
「うわ! あぶね~、スープ零れるかと思った」
「え?」
よく見ると、翔太の手には白い湯気の出るスープカップが握られていた。もし、私の投げた枕が直撃していたら今頃翔太が火傷していたかもしれない。
「気付かんかった……ごめん」
「いや、隠しとったけん。こうやって」
そう言って翔太は向かって左の手を後ろに隠した。
「それより、そのスープどしたん?」
「どしたんってここに持って来たんじゃけぇ、春紀のために決まっとるじゃろ」
翔太の言葉で私の鼓動の音が大きくなる。からかっているのか、本気で言ったのか、どっちにしても嬉しい。ただ残念なことに翔太の作った料理を食べるのは自殺行為だ。今日の昼食作りで目を塞ぎたくなるくらい理解した。
「き、気持ちは嬉しいんじゃけどさ……食欲ないし……翔太が飲んだら?」
「やー! 俺はお前のために作ったの! 見た目も匂いも美味そうだろ?」
翔太は私の隣に座って、ほれほれとスープを鼻に近づける。
確かに、コンソメのいい匂いもするし、見た目も至って普通のスープだ。しかし、それだけでは油断ならない。一番の問題は味なのだ。ポテトに砂糖をかけ間違える天才が、果たして普通にスープを作れるのだろうか。
「味見した?」
「したよ! めっちゃ上手いけ! もう過去最高の出来なんだって! 俺の二十三年の人生の中で一番!」
今までが酷過ぎただけでしょ……というツッコミはしないでおこう。
「う~ん……」
「頼むけぇ……飲んでや、お願い」
今までのひょうひょうとした口調から一転、少し悲しそうに言った。それを聞いたらなんだか申し訳なくなってきた。表情も昔みたいに弱々しくなっている。それに、お願いされたら断れない。
「う~ん、分かった。じゃけぇ、そんな悲しい顔せんで?」
私は、翔太の手からスープを奪い取るように持って一気に飲み干した。湯気が出ていたが気にしなかった。熱いのがスープの醍醐味だと思うから。
熱いスープの汁が舌を通って喉へと消えていく。正直かなり熱かったが、耐えた。野菜もまとめて一気に流し込む。野菜が触れる度にヒリヒリした。
「マジか……火傷してねぇ?」
「私の舌は強いんよ」
翔太を安心させるため、笑って見せた。
「……フフ。てか、美味しかっただろ?」
「うん。翔太が作ったとは思えんくらいじゃわ。どうやったん?」
「よく聞けよ? まずお前んちのキッチンの棚を開けるじゃろ? で、そこにある袋を持つじゃろ? 袋を開けて、それをカップに入れる。さーて、ここで登場やかん! そのやかんに水を入れて沸騰するまで待つ! 沸騰したらカップに注いで完璧!」
「インスタント!?」
料理の過程を聞くと、翔太はただのインスタント食品を私に飲ませたということが発覚した。まぁそりゃそうだ。あんなに料理が下手な翔太が急にこんなに美味しいスープを作れるようになる訳がない。
「ちゃんと味見したぜ?」
「インスタントでまずいの作ったら、人間失格じゃわ」
私は翔太にカップを返した。
「ま、何も食べんよりはいいじゃろ」
翔太はニンマリと笑う。
「はいはい……そういえば、お風呂どうなっとん?」
「風呂? あー今確かお父さん入っとったよ」
「じゃあ次はお母さんか」
「な、ちょっと気になったんじゃけど、勝紀はいつ風呂入るん?」
「勝紀はね~深夜にこっそり入っとるよ。たまに音が聞こえる」
「ほうなん、さ~てと!」
翔太は立ち上がって、背伸びをした。
「翔太はいつ入るん?」
「……風呂が空いたら入るかな」
そう言いながら翔太は、ゆっくりとドアの前まで向かった。そして、ドアを引いて廊下へと出る。
「おやすみ」
「いやいや……まだ寝んし、お風呂入っとらんのじゃけ」
「あ、そっか。ハハハ! じゃあな!」
「うん」
ドアが閉まっていくと時に見えた翔太の笑顔は、いつも通りの太陽みたいな優しい笑顔だった。
私は再びベットの上で寝転がり、目を閉じた。




