おまけその2 Fの個人的考察
ひらり、ひらひら。二度ある事は三度ある。
今思い返しても、何故卒業した中学校の文化祭へなど行く気になったのかしら。そこが最大の疑問だったわけだけど、彼と彼女を見て思う。運命や必然なんてものは所詮後付けの言葉で、自分の未来を決めるのは、何時だって他ならぬ自分しかいないのだ。
ひらり、ひら、ひら。
『全国統一模試高校入学試験結果一覧 藤倉健太郎』
賑やかな熱気溢れる廊下の一角。喫茶店だのお化け屋敷だのと各クラスが楽しそうな出し物で騒いでいる中、そのぐしゃぐしゃの切れ端は埃に塗れて私の元までやってきた。
くたくたに折れ曲がり、手書きのボールペン文字の名前はインクが滲んで掠れている。拾い主が私でなければきっとゴミ箱へ一直線だったろう。何となく卒業した3年のクラスを渡り歩いていた私は、足元に転がってきたそれを興味本位で開いてみたのだ。
とりあえず、全教科があまりにひどい点数だという事だけはよくわかった。私は生まれて初めて、偏差値の折れ線グラフが底辺を這うという奇怪な現象を目にした。そして合格ランク表示の星が枠外へ墜落する、類まれなる様相にも。
とは言え見知らぬ他人の成績など関係ない。ただ拾ってしまった手前、処分に困った。なにせはっきりと生徒の氏名が記入されている。
「うわっ、見ないで!」
私がそれを片手に思案していると、近くの教室から悲鳴に近い声をあげた男の子がやってきた。
「君の?」
わかりやすいリアクションに苦笑してみると、少年は顔を真っ赤にして目に涙を浮かべている。なかなか整った顔立ちをしているのに、そのギャップがひどい。
ああ、あの日に見た写真そっくり。
「そうです、うわああ! てかしっかり見すぎだし!」
「ごめんごめん、ほら」
半ばゴミと化している結果表を、彼はよろよろと受け取ってがっくりと肩を落とした。
「うう……こんな点を知られたら、母ちゃんに殺される」
「しっかりしなさいよニース。たかが模試の結果くらいで」
弟がいたらこんな感じなのだろうか。一人っ子の私にはこの素直な反応が新鮮だった。
「何で俺のその名前を知っているんですか?」
不思議そうに私を見つめるニース。
君の名前どころか、その家族も、秘密も、私はみんなみんな知っている。
「さぁ、どうしてかな? 君の頭がもう少し良くなったらわかるかもね。応援してるわよ」
ちょっと意地悪く微笑んでみせると、彼はもっと顔を赤くして私の手をとった。
「俺、もっと勉強頑張ります! だから名前を教えて下さい」
そう、同郷人の好み。
それから、彼がマヤさんの息子で、私とは全くの無関係というわけでもなかったから。
何となく教えたアドレスと、他愛のないやりとり。彼との関係はこの日から始まった。
予想外だったのは、その後やたらと彼に懐かれてしまった事だったけど。
※
ひらり、ひらひら。いい加減芸が足りないのではと疑い出す四度目の事。
つまりこの一家と関わるとき、私はいつもこの風の洗礼を受けなくてはならないらしい。
さぁ今度は何を受け止めればいいのかしら。休日に街を歩いていた私の元へやってきたのは、一枚の領収書。
ひらり、ひら、ひら。
『△△書店 お買い上げありがとうございます
1雑誌 オワライ ¥560
2雑誌 オワライ ¥840
3月刊誌 リョウリ ¥420
合計¥1820
またのお越しをお待ちしております』
「あれ、綾乃ちゃん?」
「藤倉先輩、何してるんですか?」
丁度書店から出てきたらしい先輩は、両腕に書籍の入っているであろう紙袋を抱えていた。流されてきたレシートを返すと、彼女は買ったばかりの雑誌の表紙をちらりと私に見せてくる。
「ありがとう、実はちょっとお笑いの研究中なの」
若手芸人のとぼけた顔が掲載されたそれを、先輩はパラパラとめくっている。
「一体どうして?」
「私情である人に毎日メッセージを送る事にしてるんだけど、何を送ればいいのか迷ってて。物凄く遠い所にいる人なのよ」
休日の、人通りもそこそこある商店街。私は待ち合わせがあるのですぐに別れようとしていたけれど、何故この人がまたこんな本を購入し出したのかが気になった。あきらかに趣味ではないと思う。
「それでそのお笑いの本は?」
「いつでも笑っていて欲しいから、とりあえず選んでみたの」
「それってちょっと」
違うのでは? と続けたくなった私に、先輩は仕切りに首を傾けていた。
「やっぱり綾乃ちゃんもそう思う?」
うんうんと頷いて、溜息混じりに呟く。
「実はわたしも不安だったの。だって仮に百億光年も先だったら、今の流行なんてとっくに遅れているものね」
いやだからそこじゃなくて。
どうして気にするポイントが違うのだろう。普通に愛の言葉を囁いてくれるのならば、彼は十分ではないかと思うのですが。
「ここは色褪せない古典名作を選ぶべきなのかしら」
「えーとですね」
だから違うんだって。
どう説明すればいいのやら。このずれた先輩を前にして、私はつい最近の出来事を思い出していた。
※
憧れって言うか、恋に恋するって言うか、つまりは淡く儚い乙女心なんて表すべきなのか。
私が佐川先輩に対して抱いていた感情は、まぁそんな可愛い範囲のものであって。だから藤倉先輩が彼と正式に付き合う事になったときは、落胆よりも納得というべき感情の方が強かった。
けれど、素直に認められないのがまた乙女心というもの。
「藤倉先輩」
「何?」
「ビュータをこんなふうに使おうって人、初めて見ましたよ」
マヤさんに修理したビュータを渡した翌日、コンタクトをとってきたのは藤倉先輩本人からだった。
放課後のテニスコート。あれから私達は顔を合わせれば自然と会話する仲にはなった。傍から見ていれば部活の先輩と後輩として。ただ実際はどうなのだろう。
「結局は自己満足ですよ。彼が辛く寂し想いをするのは変わりません」
ほんの少しだけ、意地悪をしてみたくなる気持ち。藤倉先輩を前にしていると、たまにそんなものが心に思い浮かんでくる。おぼろげな恋心の残滓とでも言うべきか。
「それでもいいんですか?」
我ながら情けない気もするけれど、先輩は別段気にしたふうもない。ボールをラケットの上に乗せて、離れた所で壁打ちしている片瀬先輩の方を見やる。
この距離なら問題ないと判断したのか、先輩はフェンス越しに外でボール集めをしている私の所へやってきた。
「わたしには想像する事しか出来ないんだけどね、あんまり長い時間記憶って持たないと思うの」
小さく耳打ちするような声。そしてあっさりと、思いがけない言葉を口にする。
「だから何だかんだ言っても、きっといつか忘れてくれるでしょ」
一瞬、彼女が何を言いたいのか私にはわからなかった。思わず目を見張ると、先輩はその場でゆっくりと球つきを始めていた。
「そうなって欲しいんですか?」
「うん。本当は彼にわたしの事なんてさっさと忘れて欲しいの。だって長い時間は心を慰めてくれるし、とっくの昔に死んだ私をずっとぐずぐず求められても困るじゃない」
「随分、はっきりと言い切りますね」
ぽこんぽこん、と可愛らしく地面を跳ねるボール。なのにその動作の主は私が思っていた以上にドライで容赦がない。
「それが一番健全だもの。でも不意に思い出してしまうかもしれないから、そのための希望を残す事に意味があるのよ」
「……そうですか」
もっと、自分と相手を最大限に尊重する考えをとる人だと思っていた。そしてそれが優しさなのだとも。
でも違った。この人は誰より何より、現実を見ている人だった。
温かな言葉と態度で相手を縛るよりも、自分も彼も前を見て生きていく事を選んだのだ。
その選択に善し悪しはない。あるとすれば、そこに秘められた彼女の人知れぬ決意だけ。
「なら私は何も言いません。来週のデートに向けて、大好きな恋愛映画の新情報でもチェックしなくっちゃ」
私はこの人の事を好きでも、嫌ってもいないけれど。
ふとした瞬間に、泣きたくなる事がある。
人生を歩んでいると、偶にどこかで出会う事があるだろう。特別に親しいわけでもないのに、心の奥底で感情を揺さぶるような人と。何故かいつまでも記憶に残り、長く時が経っても心の片隅で鮮やかに思い出せるような人と。
生き方や信念に感化された、多分その表現が一番近い。けれど厳密には違うのだ。彼女の感情に思いを巡らせ共感する事はあっても、私がその道を選ぼうとは思わない。
ただ、時折。どうしようもなく複雑な思いが胸中に押し寄せる。名前のつけられないこの感情が、涙となって頬を伝う。その零れ落ちる雫の一つを見て、私は理由がなくても泣けるという事を初めて知った。
喜びでもなく、悲しみでもなく、ましてや痛みや感動でもなく。
私にとって藤倉先輩は、その涙の象徴のような人だった。
※
数分の押し問答の結果、私は何とか先輩のお笑いという方向性を変えさせる事に成功した。百億光年先で、彼は私に感謝をする事だろう。けれど今はそろそろ待ち合わせ場所へ移動しないと遅刻してしまう。
「今日は弟とデートなんでしょ?」
腕時計を気にする私を見て、先輩はお見通しとばかりに笑っていた。
「健太郎昨日の夜随分興奮してたから、もう映画館の前にいると思うよ」
「そうですか」
彼の様子は容易に想像出来る。期待に応えるか否かは別として、こういうところが私は可愛くてたまらない。
「それより先輩。どうにも心配なので、最後に遠距離恋愛の秘訣を教えてあげます」
よく晴れた青い空。久しぶりに湿気のないからりと晴れた夏の午後。確かに今日はデート日和なんだろう。道行く親連れや友人同士、夫婦や恋人達の流れ。みんなどこか楽しそうな表情を浮かべている。
「待たせて待たせて、とことん焦らしてあげるんですよ。それを楽しめる男を選べなきゃ、却って選んだ女の見る目が疑われます」
そう、ほんの少しくらい遅れていくの。彼がじりじりと待ちわびているのを、意地悪く心の底で喜びながら。
それは女の特権。先輩にも、勿論私にだってあるのだから。
「綾乃ちゃんたら、意外に悪女だったの」
「先輩には負けますけどね」
近くの横断歩道の信号が青になるのを見計らって、私は先輩へ軽く会釈する。
「エスドット族の女の子は、名前にみんなエフの文字を入れているんです。その意味は、貴方を惑わせる光」
人波の中最後に囁いた言葉に、先輩は穏やかな笑みを浮かべていた。その微笑みが彼を迷わせ、そして救った。
「健太郎の事も、お手柔らかによろしくね」
さぁ、それはどうでしょう。あの子ってからかい甲斐があり過ぎて。とりあえずは映画館の入り口で待つ彼の顔を見て、それから決める事にしようかな。
Far, far the future……
I never forget the thing that you are waiting for me somewhere in space.
Hope is always there.
It is a maybe ――
いつまでも君が待っている事を、僕は決して忘れない。
希望がいつもそこにあるのなら。
それはきっと――
Thank you for reading.
It is a maybe , happy ending!