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寝室に異世界美男子がいました


千海ちかは、寝るために寝室へ入ろうとして、扉を開けた。


いつも通りに、一人暮らしの何も変わらない行動。


ガチャ


そして、固まった。


そこにいたのは、男だった。


しかも、誰がどう見ても美男子だった。


豪華な着物――いや、違う。

これはたぶん、漢服というものに近い気がする。多分。きっと。


長く流れるような衣。

惜しげもなく美をまとった、とてつもなく美しい男が、千海の寝室に立っていた。


悲鳴より先に、体が動いた。


――バンッ。


千海は扉を閉めた。


(待って。認めたくない。絶対に――嫌だ。脳が寝ているのかもしれない。きっとそうだ)


中から、低く落ち着いた男の声がした。

いや、違う。落ち着こうとしている、年上の男性の声だ。


「待ってくれ。不審者では……多分ない」


千海は扉越しに、そっと目を閉じた。


「えーと……多分ですか?」


「あぁ。多分としか言えなくて……」


「えーと……多分?……かなり困ってますか?」


「あぁ。かなりね」


「ですよね。えぇ、そうだと思います」


「驚かないんだね」


「かなり驚いています」


「…………」


「とりあえず、お互い深呼吸してから扉を開けましょうか……」


「あぁ。お願いするよ」


千海は、深く、深く息を吸った。


そして、吐いた。


もう一度、吸って、吐く。


(――扉を開けたら、幻だったらいいな)


そんな願いを込めて、千海は静かに、ゆっくりと扉を開けた。


「……やっぱり居ますよね」


「すまないね」


男は、かなり気まずそうな顔をしていた。


千海は現実を受け入れたくないまま、もう一度だけ確認する。


「不審者でしょうか?」


「……多分、違ってほしい」


「一応、聞きますね。もう、なんていうか……顔面の圧が違うので、分かりたくないんです。認めたくないんです。これでも作家なので予測はできるんです。でも嫌なんですが……聞きますね」


千海は、できるだけ冷静な声で尋ねた。


「どちらから来られましたか?」


男は少しだけ目を伏せる。


「……わからない」


「ですよね」


沈黙が落ちた。


先に口を開いたのは、男の方だった。


「騒がないのだな」


「騒いだら……あなた、警察行きですが、いいですか?」


「けいさつ?」


千海は少し考えた。


「あ、兵、と言った方が良さげですかね?」


「なっ……!」


「困るでしょ? なので、今は騒ぎません。多分」


「感謝する。それで……ここはどこかな?」


「私の家です」


「あぁ」


「日本です」


「にほん?」


「そうです。日本です」


男は、聞き慣れない言葉を確かめるように、静かに繰り返した。


「……蒼嶺国ソウレイコクを、知らないよな……?」


「ソウレイコク……」


千海は天井を仰いだ。


「はい。初めてお聞きしました」


「だよね……私も、にほんという名は初めて聞いた」


「どうしましょうか……帰り方とか……分からないですよね?」


「あぁ。どうやって来たのかもわからない。私室の扉を開けて入ったら、ここだった」


「そうでしょうね。そんな展開ですよねー。帰り方が分かってたら、帰りますよね」


「そうだね。帰りたいのだが……その……すまない。今すぐ帰ることは出来そうにないね……」


再び沈黙が落ちる。


千海は、この意味の分からない状況に頭を抱えたかった。

けれど、予測できてしまう自分が悲しい。


現実逃避しても仕方がない。


「お名前をお聞きしても?」


璃景りけいという。美しい君の名を聞いてもいいかな?」


千海ちかといいます。お茶でも飲みながら、先のことを相談しましょうか」


「……千海」


璃景が、その名を確かめるように口にする。


千海はリビングへ案内し、席をすすめた。


「お茶をいれますね。席で待っていてください」


ケトルの水を沸かす音が、部屋に響く。


璃景は千海の部屋を静かに観察していた。


千海は千海で、実は脳内が大変なことになっていた。


(最近ライトノベルとか、アニメとかで有名なアレよね? “異世界から来ました”の話よね? 現実で起きる?いやいや。否定したい。うん。否定したいよ。でもね、今……現時点で……)


起きている。

起きているのだけれど、自分が当事者になったとたん、「どうすんの」では済まない。


お茶の準備をしながら、千海の脳内では一人会議が開かれていた。


(イケメンすぎて現実味がないから、異世界から来てるのは確実なのよ。顔面圧やばい)


(このイケメンを家に泊めるのか問題も出てくる)


(そして何より、二十五歳とはいえ女の一人暮らしだし?)


(てか、なにをどうすんのよ……)


(何から考えればいいの?)


何も解決しないまま、千海は璃景の前にお茶を出してしまった。


(帰りたい……家、ここだった……)


「お茶をどうぞ」


璃景は丁寧に礼を言い、一瞬だけ躊躇ったが、お茶を飲んでくれた。


「喉が潤ったよ。千海の気づかいに感謝する」


「私も飲んで落ち着きたかったので、お気になさらず」


千海は自分の湯のみを両手で包みながら、もう一度、目の前の男を見た。


長い髪。

顔面の圧を感じるほどの美男子。

現代ではあまり見ない服装。

角度によって色が違って見える瞳。

そして何より、体つきは細めに見えるのに、雰囲気にはどこか武人の気配がある。


もう一つ。どう考えても、現代日本に馴染まない言葉遣い。


(いや、もしかしたらこのしゃべり方が普通の人もいるかも……いてください……)


どう考えても、やっぱり、どう見ても、何をどう考えて直しても、普通ではない。


「失礼を承知でお聞きしますが……本当に日本を知らないんですよね? コスプレしてるとかではないんですよね? わざと、異世界人のふりしていて家に入ってきていたら、それはそれで警察ですけど……。そうではなさそうですよね……」


「無断での侵入に関しては、すまないね……」


璃景は困ったような顔をして


「身元ということだね? 玉佩ぎょくはいならあるが……それでは、無理そうだね」


「この国では……そう、ですね。あと、それ、できれば聞かなかったことにした方がいいですかね……」


千海は乾いた笑みを浮かべた。


玉佩ぎょくはい


響きからして、もう駄目だった。


絶対に一般人が持っている身分証ではない。


調べてないから分からないが、それ以上を今日の千海は知りたくなかった。


「知り合いなんて、いませんよね?」


「あぁ」


璃景は、先ほどからしている困り顔より、さらに眉を寄せて、困ったように目を伏せた。


「ですよね……。責めているわけではないんです……」


「分かっているよ。私も、説明できないことで……」


千海は、目の前の現実から、やっぱり目を逸らしたくなった。


現実的に考えて、見知らぬ男性を泊めるのはありえない。


分かっている。分かっているのだけれど。


(寝て起きたら夢だった、とかにならないかしら……)


湯のみの中で、温かいお茶に電気の光が反射して揺れる。


(帰りたい……)


そこで千海は、そっと目を閉じた。


(違う。家、ここだった……)


そして、さらに深く思った。


(逃げたい……)


千海が、言いにくそうに口を開く。


「あのー……今、こちらの世界では夜で、寝る時間帯なんです。私、一人暮らしで……」


「一人暮らし……」


璃景は軽く溜息をつきかけて、飲み込んで


「兵に突き出してくれてかまわないよ」


「ここでは、警察です」


「けいさつに引き渡してくれて構わない」


「あと、多分私も事情聴取に説明できなくて困ります」


「そうか。すまないね。では、私をどこかに閉じ込めてくれてかまわないよ」


「え? 閉じ込める!? そんな趣味はありません」


「どんな趣味かな?」


璃景は苦笑した。


いや、そこを拾わないでほしい。


千海は湯のみを握ったまま、視線を泳がせた。


現実的に考えれば、見知らぬ男性を家に泊めるなんてありえない。


けれど、夜の街にこの格好の男を放り出すのも、それはそれで大問題だった。


警察に保護される。

職務質問される。

説明できない。

最悪、ニュースになる。


そこまで想像して、千海は頭が痛くなった。


璃景をもう一度見る。


璃景は少し佇まいを整えてから、静かに言った。


「君に一切手を出さない。約束する」


その声は、先ほどまでより少しだけ硬かった。


「信じてくれと言われても困るだろうが、私には知り合いもおらず、ここがどこなのかも分からない。本当に、どうすればいいのか困っている。状況がつかめるまで、居候させてはくれないだろうか」


そう言って、璃景は丁寧に頭を下げた。


千海は少し驚いた。


見た目はどう考えてもただ者ではない。


言葉遣いも、所作も、妙に品がある。


そんな男が、今は本当に困った顔をして、千海に頭を下げている。


ずるい。


これは、放り出せない。


「……分かりました」


千海は小さく息を吐いた。


「ただし、約束してください。本当に、絶対に、変なことはしないでください」


「あぁ。誓う」


「あと、私が怖くなったら、すぐに警察――じゃなくて、兵を呼びます」


「分かった」


千海は一度ソファを見た。


明らかに璃景の身長では足がはみ出る。


「それと、今日は寝室を使ってください。身長が高いので、ソファでは無理そうですし」


「君の寝る場所は?」


「私はリビングで寝ます。毛布もありますし」


「それは……」


璃景が眉を寄せた。


「いや、そこは譲れません。私の家なので、私が決めます」


千海がそう言うと、璃景はしばらく黙ったあと、静かに頷いた。


「分かった。君の厚意に甘えよう」


千海は席を立ち、寝室へ案内した。


先ほど開けてすぐに閉じた扉を開けて


「ここを使ってください。申し訳ないんですが……男性用の寝間着はないんです。大丈夫ですか?」


「部屋を貸してくれるだけで助かるよ。ありがとう」


璃景は、また丁寧に礼を言った。


千海は少しだけ微笑む。


「いいえ。今日はお互い休みましょう。……たぶん、起きたらもう少し冷静になれると思うので」


「そうだね」


璃景は、柔らかく目を細めた。


「千海。ありがとう。おやすみ」


「おやすみなさい」


千海は寝室の扉を閉めた。


そして、数秒、その場に立ち尽くす。


(……私、異世界から来たかもしれない美男子を、寝室に泊めてしまった)


どう考えても、人生で一番意味が分からない夜だった。


千海はそっとスマホを握りしめた。


(大丈夫。何かあったら、すぐ通報。すぐ通報。すぐ通報)


そう自分に言い聞かせながら、千海はリビングのソファへ向かった。


ソファに座ったものの、すぐに横になることはできなかった。


頭の中に、ふと有名な言葉が浮かぶ。


――現実は小説より奇なり。


「いや……“奇なり”を体験する作家って、どんな人生なのよ……」


千海は小さく呟き、スマホを握ったままソファに横になる。


目を閉じても、眠気はなかなかやってこない。


寝室には、異世界から来たかもしれない美男子がいる。


リビングには、それを泊めてしまった自分がいる。


どちらも、まったく現実味がなかった。


(明日、目が覚めたら、全部幻になっていますように……)


そう願いながら、千海はぎゅっと目を閉じた。


けれど、すぐに別の現実が頭をよぎる。


(……幻じゃなかったら……朝ごはんも、服も……どうしよう……)


千海は、ソファの上で静かに毛布を引き寄せた。


(スマホの緊急で……警察と…車の鍵と…なにより、出来れば幻でありますように……幻で……)


そう何度も唱えるように願いながら、千海はようやく浅い眠りに落ちていった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


千海と璃景のお話が始まります。


異世界から突然やって来た璃景と、瀬戸内を舞台にした小説を書きたい作家の千海。


二人がどんな会話をして、どんな風に巡り逢っていくのか、楽しんでいただけましたら嬉しいです。


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