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 結局、19時45分頃まで張り込んだが、吾妻らしき人物は現れなかった。もしかしたら見逃しているかも知れない。じっと目を凝らし、それでいて自然に振る舞い、待ち続ける。予想を遥かに超えた重労働だ。


「まさか、すぐ見つかるわけはないよね〜」


 リリィはさすがに慣れているようだ。張り込む場所も変えなくてはならない。同じ場所に何時間も居ては、店からも怪しまれる。

 19時に吾妻を見逃している可能性を考慮し、次の戻りの23時も別の場所で張り込むことにしたが、やはり現れなかった。クタクタになり、眠気が襲って来ている。源介に本日の報告をし、直帰解散ということになった。明日も同じく、19時前からの張り込みを続行する。

 源介が入院している間は、事務所に自由に寝泊まりして良いと言われている。浜田探偵事務所の客はそのほとんどが予約客だが、まれにせっぱ詰まった客が遅い時間に駆け込んで来ることがあるので、誰かが事務所に居た方がビジネスチャンスを取りこぼさなくて良いらしい。今夜はリリィが泊まることになった。


「オトも来る?」


 リリィがずるい笑顔で言った。ドキッとしたが、絶対にからかっているのだろう。まだギリギリ、僕の部屋の最寄駅である澄川駅までの終電は残っている。


「僕は、自分の部屋が落ち着くので……」


 その時、道の向こうから歩いて来ていた、頭の悪そうな若い男三人組が、リリィを見付けて近付いて来た。


「なまらかわいいしょ!お姉さん一人?」

「仕事帰り?俺らと遊ぶべ?」


 どいつも20歳になるかならないか、ダボダボの服を着て、口を開けっ放しにしているような、今時のガキ共だ。


「ちょっとだけっちゅってるべや」

「お姉さん怖がってんの?変なことしないって」


 ゲラゲラと汚い笑い声をあげて、リリィの行く手を阻もうとしている。心臓が高鳴り、冷や汗が出る。トラウマが、僕の体を、冷たく重い鎖で縛り付ける。防衛本能のスイッチが入る。止めなくては。しかし、情けない。僕は足がすくんで、動けなくなっていた。源介なら、こんな時はどうするんだ。そうだ、僕は、今は源介だ。革ゲンなんだ。僕がリリィを守るんだ。リリィは、ガキ共をずっと無視している。


「おい、気取ってんじゃねえぞ、ヤリマン」


 侮蔑的な言葉を喚きながら、ガキの一人が、リリィの腕を掴もうとした。


 ──こいつ……!──


 覚悟を決めて一歩踏み出そうとした瞬間に、それは起こった。リリィの、白いストレッチパンツに包まれた細く長い右足が、地面から弧を描いて、ガキの即頭部に直撃した。一瞬の出来事。今確かにリリィの足は地上から二メートル弱くらいの高さまで上がり、直撃する瞬間は太腿からつま先までが、まるで芯を通したかのように一直線だった。ガキが白目を剥いて、膝から崩れ落ちる。舌を噛んだらしく、口から出血している。


「汚ねえ手で触わるんじゃねえよ、ガキが」


 リリィが、その外見からは信じられないくらい、迫力のあるドスの効いた声で吐き捨てた。


「てめ!調子くれてんじゃねえぞコラ!」


 激昴したもう一人の太ったガキが、殴りかかる。が、先に動いたはずの太ったガキよりも速く、リリィが左ジャブを顎にスパッと叩き込み、動きを止めてから、体を捻り、体重を乗せた完璧な右ストレートを鼻に突き刺した。ワンツーというやつだ。グシャっという鈍い音が確かに聞こえた。太ったガキは、まるでマネキンのように直立不動の体勢のまま倒れ、潰れた鼻から血を流して痙攣している。リリィはアップにしていた髪のシュシュとゴムを素早くほどき、長い金髪をおろして気だるそうに首を振った。


「あ……あぁ……」


 最後に残った、キャップを横にして被っていたガキが、怯えながら後ろポケットに手を入れた。


「それ出したら、こっちも殺す気でやるよ!覚悟あんの?」


 リリィが、恐ろしい剣幕で詰め寄る。


「ひっ!!」


 キャップのガキは、何もせずに脱兎の如く走り去って行った。いつの間にか、周りに人だかりができており、騒ぎになりかけている。しまった。


「オト!逃げよ!!」


 リリィは、僕の手を掴んで走り出した。息を切らしながら、二人で無我夢中で走った。日付が変わり、終電はもうなくなった。気付けば、昼間にヘンドリックスをくれた立ち飲み屋の前まで来ていた。息があがり、足が痛み、疲労困憊とはこのことか。リリィも、辛そうだ。


「オト、ごめんね」


「いえ、僕こそ、情けなくて、何もできず……すみませんでした」


「びっくりした?」


「少し」


 少しどころじゃなかった。


「終電、なくなっちゃったね」


「……僕も、事務所泊まっていいですか?」


 リリィが、笑顔になった。僕をメロメロにさせる、いつものリリィの笑顔だ。安心した。


「いや〜参ったね、あたしさ、これやってんだ」


 リリィは、ファイティングポーズをして見せた。


「蹴ってましたよね。ムエタイ?キックボクシングですか?」


「そう、キック。結構強いんだよ」


 強いのはさっき思い知った。妙に締まった上半身の理由は、これだったのか。そして、リリィが男であることが間違いないと確信できた。出会った当初は、リリィがなぜこんな危険な仕事をしているのかと不思議だったが、納得できた。源介にとってリリィは、強力な兵隊なのだ。


「ナイフ出されそうだったから、もう少しで本気になるとこだったよ、危ない危ない」


「えっ、そうだったんですか!?」


 キャップのガキか。


「オトくん、ちょっと付き合いたまえ」


 リリィは、立ち飲み屋の暖簾をくぐった。僕も慌てて続いた。


「いらっしゃい!あっ、リリィちゃん!革ゲンさんも!来てくれるなんて、なまら嬉しいなぁ!」


「ヘンドリックス、早速いただきましたよ!あ、クラシック二つ」


 リリィが勝手に僕の分までオーダーした。


「クラシック二つ、はいよ!」


 僕とリリィは、サーバーから注がれた、綺麗に泡立つサッポロクラシックで乾杯した。北海道限定のビールで、黒ラベルよりも飲みやすいと言われている。酒の味がわからない僕にとっても、喉が乾いていたので、犯罪的に美味い。

 この立ち飲み屋の名は、「72」という。由来はわからない。今度聞いてみようと思う。読み方は、セブンティトゥーだったり、ナナジュウニだったり、ナナニーだったり、人それぞれらしい。僕はナナニーを採用した。オナニーのアクセントではないことに注意だ。小さな店だが、流木を加工したカウンターは趣きがあり、酒の種類もなかなか多い。バーのような洒落た雰囲気を醸し出してはいるが、堅苦しくては良くないと言うことで、タトゥーだらけの店主はくだけた人柄で接客し、おでんや串揚げも出している。


「疲れてるでしょ?今、椅子出しますんで」


 立ち飲み屋なのに、店主は気を使って、スツールを2脚出してくれた。座った瞬間に、下半身が喜びの叫びをあげる。


「リリィちゃん、暴れたの?拳、擦りむいてるね」


 店主が楽しそうに聞いた。気付かなった。リリィの拳の薄皮が少し剥けて、赤くなっている。


「あ、わかっちゃった?ちょっとね」


「リリィちゃんに喧嘩売るとか、そいつ田舎者か、ガキでしょ?生きてた?」


「うん、若かった。学生だったかも。ケガはしてたけど、死んではないと思うよ」


 店主とリリィが、爆笑した。この屈強なタトゥーだらけの店主でも、リリィの喧嘩の強さを認めているようだ。


「いやー、したけど、革ゲンさんって、大人しくて、何か腰低い人ですね。俺、もっとおっかねえ人かと思ってたさ」


 店主も一杯やりながら、親しげに語りかけて来た。店主は、リリィとはちょくちょく会っていたようだが、源介とはさほど会ってはいないようだ。


「うちの大将は、シャイなのよ」


 リリィが、僕を見ながらそう言った。間違ってない。本当は大将ではないけれど。


「腹減ってないですか?」


 店主が気遣い半分、商売っ気半分なことを言う。確かに、緊張が解けた途端に、空腹感が襲って来た。ビールがやたら美味いのも、空腹の為か。


「串揚げ、適当に10本お願いします」


「はいよ!苦手なものとかないですか?」


「ないです」


 リリィが勝手に僕の飲み物を決めたので、仕返しに食べ物を勝手にオーダーしてやった。


「いいねぇ、食べる食べる」


 リリィも望むところだったようだ。

 しばらくしてから、店主に任せた串揚げの盛り合わせが出て来た。手始めに、輪切りのズッキーニの串揚げに、ウスターソースを絡めて食べる。口の中を火傷しそうになったが、絶品だった。続いて定番のしいたけ、ピーマン。変わり種としては、たこ焼きや餃子(ぎょうざ)の串揚げも美味かった。

 結局この日は、終始クラシックをお代わりし続け、僕が四杯、リリィが六杯飲んで帰路についた。僕は事務所のソファに身を投げ出し、そのまま気を失った。

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