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「かかって行くわけねーだろ!!」


 僕達三人の声が揃った。そして三人同時に、また全力でその場から走り出した。ヤガミも当然、追いかけて来る。


「あたし、来た意味なくない!?」


「すまん!まさかドス持って来られるとは思わなかったもんでな!」


「ど、どーするんですか!?」


「どうせあいつはパクられる!ここまで来たんだ!あいつが警察に拘留される前に、ユラのことを何とか喋らせたいよな!」


「むむむ無理ですってば!!」


「そんなことないぞ!ドスさえ何とかできれば!」


「リキッド!本気でやんの!?」


「あぁ!俺はいつだって本気だ!」


「オッケー!死んでも知らないからね!」


 地の果てまで逃げるんじゃなかったのか。先頭を走っていたリリィが、右に曲がって、狭い路地へ入った。リキッドも続く。僕は、続くしか選択肢がない。どうやら、リリィとリキッドは、本気でヤガミを迎撃しようと考えているらしい。

 後方で、看板を倒す音と、通行人の悲鳴が聞こえた。ヤガミが追って来ている。結構近い。僕は、一番遅い。つまり、三人の中で僕がヤガミに一番近い。もう、小便は出ない。更に、暗く細い路地へ入って行く。


「オト!ごめん、囮になって!」


「オト君!頼んだぞ!」


 空耳かな?


「すみません!聞こえませんでした!」


「やっぱ何でもなーい!」


「何でもないぞ!」


 金ヶ崎の戦いで、追ってくる浅井長政の軍勢を撃退するため、秀吉がしんがりを買って出たのは、信長に対する忠誠心があったことと、出世したい野望があったからだろう。僕は、誰かへの忠誠心も、野望も持ってなんていない。毎日楽しく安全に、適当に暮らせればそれでいいと考える元ニートだ。しんがりなんて務まるわけがない。

 前を行く二人は、素早く路地から、ビルとビルの隙間へ入って行く。大人一人入るのがやっとの空間。そんな所へ入って大丈夫なのか。追い詰められているんじゃないのか。続いて僕も入ったそこは、袋小路。行き止まりだ。リリィと、リキッドがいない!


「……もう逃げらんねーぞぉぉぉぉ」


 振り向くと、刀を振りかぶったヤガミが迫っていた。声が出ない。一歩一歩後ずさるが、確実にヤガミはジリジリと間合いを詰めて来る。その目は真っ赤に充血し、爛々と輝いて、僅かにも僕から視線を逸らそうとはしない。背中が、壁にぶつかった。もうおしまいだ。


「死ねやぁぁぁぁぁ!!」


 ヤガミが吠える。


「ぼぼぼ、僕は漏らしてるんだぞ!近寄っていいのか!?」


 意味不明なことが口をついて出る。


「あぁ?」


 ヤガミが一瞬、考えた。


「死ぬのはおまえだ!」


 突然ヤガミの背後に、リキッドが空から降って来た。ヤガミは、咄嗟に振り向いて刀を振り下ろす。金属がぶつかる音。リキッドの見事な足刀が、ヤガミの刀を、その手から弾き飛ばした。


「俺は常に安全靴だ!」


 工事現場などで履く、つま先に鉄板が仕込まれたあの靴か。リキッドは間髪入れずに、中段の正拳を叩き込む。ヤガミが、苦悶の表情を浮かべて腹を抱え、前屈みになった。


「これでも喰らえっ!」


 そこへさらに、同じく上空から現れたリリィが、薪割りのような踵落としを躊躇なく直撃させた。ヤガミは、後頭部に踵を受け、そのまま前のめりになって倒れた。


「死んだか?」


「……うぅ、痛ぇ……」


 ヤガミは生きている。車にもぶつかっているのに、何と言うタフさだろうか。しかし、さすがに相当のダメージを受けているようで、立ち上がれない。


「何だこれ、模造刀じゃねえか!驚かせやがって!」


 リキッドが、ヤガミの刀を拾ってそう言った。


「オト、囮お疲れ〜!」


「しししし死ぬかと思ったんですけど!僕囮やってもいいなんて言ってないですよね!?」


 安心すると、怒りが爆発した。


「聞こえてたんじゃん」


「っていうか二人共どこから落ちて来たんですか!?何やってたんですか!?」


「ビルの壁に、両手両足を突っ張って登って、上から隙を伺ってたのさ!」


 上を見上げた。確かに、両手足を突っ張れば登れないこともなさそうだが、あの短時間でヤガミに気付かれない程高く登るのは、かなりの身体能力が必要だろう。


「オト君のおかげで、奴の背後を取ることができた。素晴らしい囮だったぞ!」


 納得いかない。


「ヤガミ君とかいったな。なぜ、アパートを見張って、俺達を襲った?シックスの女、ユラをどうした?喋ってもらうぞ」


 リキッドは片膝をついて屈み、うつ伏せになって苦しんでいるヤガミに言った。


「……あんたらが、俺を盗聴して、監視してるって……言われたんだ。だから、やられる前に、やってやろうって思って……」


 盗聴とか監視とか、さっきからヤガミは何を言ってるんだ。


「君、失礼だが、もしかして心の病気で苦しんでたりするか?」


 ヤガミは、悲しそうな顔をして、答えを渋った。


「……なるほどな」


 リキッドは、溜息をついた。一体どういうことだろうか。


「統合失調症、なのか?」


「……そうだよ」


 統合失調症。詳しくは知らないが、治療が難しい精神病の一種だと聞いたことがある。症状も様々で、一つの例としては異常な被害妄想に襲われてしまい、周囲を疑い始めると収拾がつかなくなるのだとか。今のヤガミが、それなのだろう。


「……普段は、大丈夫なんだけどよ。安いドラッグとかやると、な……」


 薬物で、症状が大きくなるらしい。


「言っても信じてもらえないかも知れんが、俺達は君のことなんて知らなかったし、そんなことをした覚えなんてないぞ。君、誰にそんなこと言われた?」


「……コノハって女だ……」


「辛いことを言って悪い。そのコノハって女が何者か知らないが、病気の君を騙して、こんなことさせたのかも知れないな」


 ヤガミは、今度は悔しそうな顔をして黙った。


「昨夜、君達を激しく返り討ちにした二人組。まぁ、俺達のことだが。探してたんだろう?」


「……そうだ。そしたら、さっき、キャロルから連絡があったんだ。変に昨夜のことを嗅ぎ回ってる客が来たってな。あんたら側だって、襲った俺らのことを調べてるはずたと思ったからな、ビンゴだったな……」


「その通りだ。今日は、前半は君達の勝ちだったな。今は、こうだが」


 リキッドは笑って言った。ヤガミは、さすがに笑う余裕はなさそうだ。


「女は……ユラは、どうした。君達がさらったシックスの女だ」


「……さっきから、そのシックスのユラってのは何だ?知らねえよ」


「とぼけても無駄だぞ」


「俺は、コノハから言われて、あんたらを襲っただけだ。あのアパートもよく知らねえ。あそこで張っていれば、必ずあんたらが来るって聞いてたんだ」


 リキッドが、リリィと僕に目を向けた。リリィは首を傾げている。ヤガミが嘘を言っている様子はない。


「そのコノハって女は、何者なんだ?君の彼女か?」


「俺も、よく知らねえ。皇心の集会によく遊びに来てた、チャラチャラした女だ。ススキノのどっかの店で、キャストやってるってのは聞いたけど、店になんて行ったことはねーし」


「なるほどな」


 一通り話し終えたヤガミは、激しく咳き込んだ。口から、血塗れの折れた歯が何本か飛んだ。かなり辛そうだ。無理もない。パトカーのサイレンの音が近付いて来た。まずい。警察に見つかると、非常に面倒だ。


「リキッド!ズラかるよ!」


「ヤガミ君、もっと詳しく聞きたいが、俺達は帰る。情報、感謝する。しかし君達がケガをしたのは、どちらかと言えば、君達が悪いよな。悪く思うなよ」


「……おい」


 ヤガミが、僕達を呼び止めた。


「うちの奴ら……ビール、ご馳走様」


 狭い路地から、人通りのある道路へ急いで戻る。リキッドは公衆電話を見つけて、119番をプッシュした。最近は公衆電話も、街中ではなかなか見かけなくなってしまった。


「……はい、えぇ!南四の西三……はい。はい。ビルの隙間の所です。そうです。大ケガしてます。はい……私ですか?通りがかりです。携帯?持ってないです。はい、ではよろしく!」


 一方的にそう伝えて、ガチャンと乱暴に受話器を置いた。


「ヤガミ君はこの後、薬で間違いなく逮捕される。しばらく出てこれないだろうな」


 ユラをさらったのは、皇心會ではなかった。ヤガミをそそのかして、僕らを襲わせたコノハという謎の女。一体何者なんだろうか。

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