18
18:28。
たらふく冷たいカクテルを飲んで、勝手にお腹が痛いと言い出したリキッドを追い払うように見送ってから、事務所の共用パソコンで浮気調査の報告書を作っていると、突然僕の携帯が鳴った。見ると、知らない番号である。
最近は源介から渡された業務用のPHSばかり使っていたが、自分の携帯が鳴るのは実に数か月ぶりだ。電話帳には家族くらいしか登録されていない。ネットはパソコンでしかやらないので、パケット通信定額の契約もしていないし、数世代前の骨董品のような機種だ。最早解約してもよいくらいだが、家族からの連絡用に、やむなく延命させている。
間違い電話だろうか。気味が悪いので、無視した。留守録に切り替わる。
「……あの、お忙しいのに、突然ごめんなさい。シックスの、瑞穂です。また、ご連絡します」
電話は切れて、留守録一件ありのポップアップが表示されている。シックスの瑞穂。覚えている。しかし、なぜ僕の携帯にかけて来たのか。記憶を必死に辿る。
二週間前、事件が起きたあの夜。そうだ。僕は源介の名刺を瑞穂に渡し、何を血迷ったのか、依頼用の源介の携帯番号を消して、代わりに僕の携帯の番号を書いたのだった。ペンカメラを使う為とは言え、下心があったことは否定できない。
「今の、オトの携帯?珍しいじゃん」
リリィが不思議がっている。山のような事務作業が一区切りついたようで、機嫌は良くなっているようだ。
「何?女?オトっち、女なの?どうなの?そうなの?」
リリィがニヤニヤしながらひやかして来る。可愛いけれど、少しウザい。
「……まだわかりません。ちょっと電話して来ます」
「ここでかければいいじゃんかよー」
「嫌です」
リリィのちょっかいを無視して、僕は事務所の外に出た。夕方から夜に変わろうという頃なのに、ムワッとした湿度の高い空気が、肌にまとわりつく。しかし、短い北海道の夏を感じさせるこの空気は、嫌いではない。深呼吸しながら、まずは着信番号を電話帳に登録する。
『瑞穂』
人生で初。他人の女性の連絡先が、僕の携帯に登録された。顔より先になぜか、小麦色の肌と、控え目な胸元から見えた黒い下着が脳裏をよぎった。違うそうじゃない。やがて、パッチリした大きな瞳と、綺麗な茶髪のサイドテールが、頭の中で再現された。そうだ。あの娘だ。僕は意を決して、リダイヤルをかけた。
「もしもし、瑞穂です」
「あ、お電話いただいて。すみませんでした。浜田です」
「浜田さん、先日はありがとうございました。実は、大事なお話があってお電話したんですが……」
結婚の申し込みか!?
「だ、だだ大事なお話ですね。ななな何だろう?」
「あの、浜田さんに、ご相談があるんです」
子供の数とかかな!?
「そそそうですね、大事なことは、よく話し合わないと……」
「お電話ではなんですので、どこかでお会いできないでしょうか?」
店か!?いきなりホテルか!?
「えと、あの、僕はもう、今日はあがってますので、そそそちらの都合に合わせられますが」
「よかった。あたしも今日は休みなので、できたら、これから会いたいです。浜田さんは、狸小路でしたよね?」
渡した名刺には、狸小路の事務所の住所が書かれている。
「あ、はい狸小路ですが。ええと、そちらまで参上しますので、場所を指定してくだされば」
「いえ、そんな。あたしがそちらに伺ってもよろしいですか?」
ここに来るのか!?
「え!?」
「えっ?」
「あ、ああの、名刺の住所は、その、職場でして」
「あれ、お仕事のご相談……だったのですが、ご迷惑でしたでしょうか?」
そういうことかよ。
「あ!えーと、そう、ですよね!大丈夫です。まだ、事務所、営業してますよ、ハハハ」
「……お邪魔して、大丈夫ですか?あたし近いので、19時頃には伺えるのですが」
「大丈夫です!お待ちしております!道は、わかりますか?」
「はい、もし迷ったらご連絡いたしますので。それでは、後ほど。急なのに、本当にありがとうございます。よろしくお願いします。失礼します」
電話が切れた。体中の毛穴から、汗が噴き出した。フラッシュバックする、耳元で何やら囁いて来た時の、僕の顔にかかった瑞穂の吐息。
もし、リリィと瑞穂、どちらかとセックスしてよいと言われたら、僕はどちらを選ぶだろうか。突然、そんな自分勝手で気持ち悪く意味不明な二者択一が頭に思い浮かんだ。本気で自らの頬を平手打ちし、現実に戻る。
事務所前の路地を、ママチャリに乗ったパンチパーマのおばさんが通りがかり、僕を見つけて手を振ってきた。全く知らないおばさんだが、源介の知り合いなのだろう。まさかとは思うが二人は寝ていないことを祈り、適当に手を振り返し、事務所の中に戻った。
「あの、リリィさん。これから一件、お客さんなんですけど」
「へ?依頼?さっきの電話?」
「はい、相談希望で」
「……何であんたの携帯に依頼が来たの?」
リリィが、眉をしかめた。
「えと、その、あの」
「依頼は、まず源介が受けるってルールだったよね?」
「……はい」
「オト。女でしょ」
「はい」
「粋がって源介の名刺に自分の携帯書いたの?」
「や、いや、ペンカメラを自然に出す為の演出というか、その……」
リリィが呆れてため息をついた。
「お説教と教育的指導は後回し。とりあえず、お客さんだからね。相談案件として、話を聞いてみよ」
「すみません……」
やってしまった。軽率だった。こうなったら、一生懸命に瑞穂の相談を聞いて、受注して、良い仕事にするしかない。そうすれば、僕の下心も営業だったとして、認めてもらえるかも知れない。
19:05。
「ごめんください!」
瑞穂がやって来た。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
リリィが、接客モードで迎えた。
瑞穂の私服は、黒のキャミソールに、半袖のピンクぽいネルシャツ、細身のジーンズというコーディネートだった。髪は、高い位置でポニーテールにしている。店で会った時とは印象が違うが、とても可愛いらしい。
「可愛い〜!」
瑞穂は、事務所内に飾られた雑貨達を見回して、そう言った。探偵事務所らしからぬ風景に、驚いたのだろう。
「あ、先日は、ご迷惑おかけしました」
瑞穂はそう続けて、リリィに向かってペコリとお辞儀した。リリィを覚えていたらしい。
「いえそんな。お店、大変でしたね。お元気そうで安心しました。どうぞ、おかけください」
瑞穂は会釈してからソファに座り、リリィはお茶の用意の為に、キッチンへ向かった。よし。僕は探偵だ。気合を入れろ。
「いらっしゃいませ。あの、わざわざお越しいただきまして。せ、先日は、とても楽しかったです」
僕は、瑞穂の顔色を伺いながら、真向かいのソファに座った。頑張れ僕。
「浜田さん。また会えましたね。相変わらず、真面目ですよね」
瑞穂が、クスッと笑う。ドキッとした。
「いや、あの、大変でしたよね。もう、少しは落ち着かれましたか?」
いいぞ僕。大人な社交辞令だ。
「はい。おかげ様で。浜田さんは、あの後大丈夫でしたか?」
大丈夫ではなかった。
「あ、僕の方は、全然。ところで、その、ご相談というのは?」
「はい。単刀直入に言いますと、ユラを……探して欲しいんです」
背筋に、電撃が走った気がした。吾妻が殺された夜。変わり果てた吾妻の姿。無造作にばらまかれた線香。開けっ放しの窓。様子を見る為に出て行き、それっきり帰って来なかった、華奢で小柄で、色白なユラ。恐ろしい始末屋、ボウズの伝説。僕に暴力をふるい、リリィを傷付けた虻川。油断ならない工藤。錆びたハシゴ。目立たない階段。頭の中で、それらが次々と鮮明によみがえる。
「警察は、ユラを探していますが、見つかりません。浜田さんなら、見つけてくれますか?」
戻って来たリリィは静かに、瑞穂の前にマグカップを置いた。会話は、全て聞いていたようだ。
「ユラは、あたしの親友なんです。夜の歴はあたしより先輩だけど。色々あって、助けてもらったり……」
瑞穂の目が、少しずつ潤んできた。
「ユラは……きっと犯人じゃないって、あたし、信じてて……そんなことできる子じゃないって」
リリィが困った顔で、僕を見た。
──受けていいですか?──
アイコンタクトをしたつもりだった。リリィは、小さくため息をついた。首を縦にも横にも振らない。虻川と工藤に、恥をかかせてやりたい。そして、瑞穂を助けてやりたい。僕の中の小さな欲望が、たちまち大きく膨れあがった。もう少し話を引き出そう。
「瑞穂さん。これは、とても難しいご依頼です。ですが、えー、僕としても、できることなら、力になりたいです」
「……」
瑞穂は、僕の目をじっと見つめている。
「あのぅ……不躾ですが、その〜、ご予算は、どのようにお考えでしょうか?」
どもらずに、何とか気持ちを伝えることができた。程よく緊張し、頭が冴え渡る感覚がした。尾行の時のあの感覚に近い。正直、報酬なんてどうでもよかった。調査を行う大義名分だけあればよかった。
「あたしの今の貯金……二百万。足りないでしょうか?」
「いえそこまでの」
「お引き受けいたします!!」
リリィが僕の言葉を遮って、即答した。




