表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/45

17

 あれから二週間。すでに七月中旬を過ぎた。毎日欠かさずに新聞を確認しているが、吾妻が殺された事件の進展は全くない。警察はユラの行方を追っているのだろうが、まだ見つかっていないらしい。

 僕は、あの後に浮気調査を一件任され、源介やリリィに教えてもらいながら、日数をかけて少しずつ浮気の証拠を集めている。長時間の張り込みは相変わらずキツい。先日は、車の中で人生初めてのペットボトル小便をするはめになった。

 しかし、尾行は大好きだ。吾妻の尾行中に感じた高揚感は、今回も感じられた。こんなことは口には出せないが、まるで、子供の頃に遊んだかくれんぼや、「だるまさんがころんだ」などのスリルに近いような気がする。しかし、鬼に見つかったら鬼交代では済まないので、子供の頃とは違って命がけだ。

 時には目立たないように、特徴のないジーンズにスニーカー、Tシャツ、サングラスではなく伊達眼鏡などで武装してみたりした。Tシャツはリバーシブルのものを選び、任務の途中でトイレでこっそり裏返して、眼鏡も外してしまえば、結構印象を変えられる。もちろん、じっくり観察されてしまえば、同一人物とはバレるだろう。だが、張り込みで長時間同じ場所に留まったりする時には、まぁまぁ使えるテクニックだった。

 探偵の仕事は大変だが刺激的であり、退屈しない。ニートだった僕が、まさかこんな仕事をすることになるなんて、本当に不思議だ。悪くない毎日だ。そして、リリィから少しずつ格闘の指導も受けており、これもなかなか楽しい。


 16:00。


 今日の調査はだいたい終わり、事務所に戻って報告書を作ることにした。


「オト、ただいま戻りました」


「おかえり!お疲れ様!」


 髪をお団子にして、眼鏡をかけた事務モードのリリィが、デスクの書類の山から顔を半分出して、怒鳴るように言った。事務作業が溜まっているらしく、やや機嫌が悪そうだ。だが、その姿もまた魅力的ではある。


「やぁ!オト君!お疲れ様!」


 続いて、威勢よく声をかけてくれたのは、リリィの傍に立っていた、初めて見る大きな男。年齢は僕より少し上くらいだろうか。丸坊主の頭、無精髭、筋骨隆々とした体。身長は180cm以上ありそうだ。タンクトップにミリタリーパンツの組み合わせが非常に似合っている。


「どうも、リキッドだ!よろしくな!」


 大きなその男は僕に歩み寄り、握手を求めて来た。源介から聞いていた。この男がリキッドか。


「あ、横山音栄……オトです。よろしくお願いします」


 リキッドの手はグローブのように大きく、分厚かった。


「源介とリリィから聞いてるよ。その姿で、頑張ってるようだな。あの日の夜、俺も君を助けたんだぜ」


「あ!その節は、本当にありがとうございました。ご迷惑おかけしています」


 つい「ご迷惑をおかけしています」と言ってしまったが、まあ、僕はご迷惑をかけられた側なのだが。それでも、助けてくれたことには素直に感謝しなくてはならない。


「全く、今でも信じられないよなぁ!」


 リキッドは、明るく笑った。源介と同じく、彼もとても前向きで、楽観的な男らしい。彼は、リリィと同じく源介の頼れる仲間の一人だ。見てのとおり、腕っ節はリリィよりも上、格闘に関しては源介の仲間内で最強と言われている。元自衛官で、なんと空手と柔術を使う。極端なパワー系担当かと思いきや、頭もキレる。人当たりも良い。

 しかし、そんなリキッドにも大きな弱点がある。生まれつき腸がとても弱く、年中お腹を下しており、トイレにこもる時間が非常に長いのだそうだ。ウォシュレット付きのトイレがない環境では、満足に行動ができない。その体質から長期戦には向かず、短期決戦に特化した要員であり、使いどころが難しいらしい。

 リキッドとは源介が付けた通り名である。源介の悪意がやや感じられるが、本人も気に入っているようなので、気にしないことにした。


「今日は、源介から頼まれていた、例の調査の中間報告で来たのさ」


 リキッドは、何やらA4サイズのプリントを数枚ファイルから取り出して、ソファに向かい、僕に向かって手招きした。一体何の調査なのか。慌てて僕も後を追う。リキッドと僕は、応接スペースのソファに向かい合って腰掛けた。


「リリィ!ごめん!ちょっと喉乾いた!」


「うっさい!自分で勝手に何でも飲んで!」


 リリィに怒られ、リキッドは首をすくめながら僕の方を見て、笑った。


「オト君、何がいい?」


「えっ、僕ですか、いや、お構いなく。お茶なら僕が……」


 立ち上がろうとした僕に、リキッドは手のひらを向けて制止した。


「よし、大人のお茶にしよう。そうしよう。なっ!」


 リキッドはそう言って、立ち上がった。この男もやはり源介やリリィの仲間なだけある。酒か。僕が黙って座って待っていると、リキッドはキッチンと応接スペースの間を、せかせかと何度か往復し、あれこれ持って来た。

 氷の入ったアイスペール、8オンスタンブラーを二つ、「クレーム・ド・ぺシェ」と書かれた瓶のピーチリキュール、ウーロン茶のペットボトル、レモンスライスの入ったタッパー。


「い、一体、何をするんですか?」


「まあ見てろって」


 リキッドは、タンブラーに氷を入れ、ピーチリキュールを少量注いでから、豪快にウーロン茶を注いだ。マドラーで静かにかき混ぜ、レモンスライスを添え、出来上がった酒を僕に勧めた。


「クーニャンだ。本州ではレゲエパンチ、ピーチウーロンとも呼ぶかな」


 聞いたことがある酒だが、当然僕は飲んだことなどない。クーニャンと呼ぶのは北海道独特の文化らしく、中国語で「若い娘」という意味の言葉らしいが、由来は詳しくは知らない。


「いただきます」


 見た目はウーロン茶と変わらないようだが。一口飲んでみる。


「あ〜……はいはいなるほど」


 つい感想を口走ってしまった。リキッドがニヤリと笑って、自分の分も作っている。完全に、ピーチティーの味と香りそのままのカクテルだった。飲みやすく、乾いた喉に嬉しい。酒と思って構えたが、これはお茶感覚でスイスイ飲めてしまう。


「大人のお茶って言っただろ。まぁ、いかつい俺達にはちょっと似合わないカクテルだけどな」


「美味しいですね、クーニャン」


「お代わりは勝手に自分で作って飲んでくれよな」


「あ、はい。ところで、そのプリントは何なんでしょうか?」


「これな。源介と、オト君に関わる重要な情報だ」


 リキッドは、そう言って僕にプリントを手渡して来た。


「リキッド〜!あたしの分も〜!」


 事務スペースから、リリィが叫んだ。


「わかったよ!待ってろ!」


 リキッドはタンブラーを取りに、キッチンへ向かった。

 プリントは、古い書物の写真の、さらにコピーのようだった。ミミズが走ったように筆で書かれた文字は、僕には到底読めそうもない。が、プリントを何枚かめくっていくと、途中から活字のテキストに変わった。先ほどの筆文字を、翻訳したものだろうか。何とか読もうと努力したが、非常に読みにくい。


『明治廿九年六月廿弐日、山鼻村ニテ騒動有リ。十勝国大津村農夫中村仁作廿六歳、山鼻村札幌警察署巡査高橋栄三郎廿六歳、両者相揃イテ哀訴嘆願セシメント来訪ス。真ニ両者魂入レ替ハリタル様ヲ見テ、御坊驚キテ思案ス。其ハ慰ムル他ナシ。甚ダ哀レ也……』


 何度も繰り返し目を通すうちに、学のない僕にも少しずつ内容がわかって来た。驚いた。時は遡って明治時代。僕と源介のように、不幸にも突然体が入れ替わってしまった人達の記録らしい。


「結構苦労したぜ。書道家の先生にも助けてもらってさ」


 プリントと睨めっこをしていると、リキッドが戻って来て言った。


「まず、山鼻(やまはな)村ってのは、今のこの俺達のいる札幌市中央区一帯の、古い呼び名だ」


 聞いたことがある。明治時代、北海道開拓の頃は、現在の札幌市中心部には山鼻村と呼ばれる村があり、屯田兵が本州から続々と集まって来て、暮らしていたのだ。同じ頃、札幌村と呼ばれる村もすでに存在していたが、それは現在の札幌市中心部より北東の辺りにあった村だ。


「そして、その『甘い』みたいな文字は、漢数字の旧字体でな。『二十』と読むのさ」


 なるほど。明治29年6月22日。26歳か。


「まだ判明したことは少ないんだけどな。このままさらに調査を続けて、いつか君達の体を元に戻す方法を見つけてやるぞ」


 そうか。過去に僕達と同じ現象で悩んだこの中村と高橋という二人が、どのように生きたのかを調べる。もしこの二人が元に戻れたなら、その方法も記録に残っているかも知れない。


「ありがとうございます。驚きました。この古い文献は、一体どこで見つけたものなんですか?」


「まあ、色々な。そのうち詳しく教えるよ」


 リキッドは勿体ぶって、笑顔でクーニャンを飲み干した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ