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20:30。
僕達を乗せたパトカーはススキノから北上し、札幌中心を横断する大通公園を越えて、ここ札幌中央方面警察署へ来ていた。略して中央警察。その名の通り、札幌の中央区を管轄するだけでなく、北海道全体の筆頭署でもある。
「かなり長くなるよ。覚悟してね」
リリィは僕にそう言ったが、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。警察署に入るのも初めてなのに、まして殺人事件の捜査協力だなんて、とても緊張する。ただ、僕にはやましいことなどないのだから、堂々と聞かれたことに答えようと思う。
面倒は嫌なので積極的に明かす必要はないが、最悪、吾妻を尾行していたことがバレたとしても、僕は殺してはいない。犯行の時間に僕は間違いなく、瑞穂の前で酒を飲んでいた。アリバイはある。恐れることなどない。
リリィと離れ離れにされて、各々が個室で聴取を受けるのではないかと不安だったが、僕達は容疑者ではないので、一緒に個室に入ることができた。これはかなり精神的に助かった。
「夜分にご協力、ありがとうございます。こちらでもう少々お待ちください」
若く精悍な警官が、椅子を勧めてくれた後に、個室の隅の机に向かって座った。この警官が、僕達の話を記録する役なのだろうか。別の警官が僕とリリィにお茶を持って来てくれて、すぐにまた出て行った。僕達の向かいに、ドラマなどでよくありがちな鏡張りの壁がある。きっとマジックミラーになっていて、鏡の向こう側からは、刑事達がこちらを覗けるようになっているのだろう。こうして緊張しながら待っていると、時間がとても長く感じられた。
五分近く経ってから、部屋のドアが開き、刑事が二人入って来た。
「いや〜お待たせして申し訳ない。クドウと申します。こっちはアブカワ。この度はどうか、よろしくお願いします」
そう言いながら名刺を差し出し、愛想よく笑顔で挨拶して来たのは、工藤という刑事。所属は刑事第一課、階級は警部らしい。頭髪はやや薄くなり、恰幅のよい体をヨレたスーツが包み込んでいる。50代くらいだろうか。そして、工藤の挨拶に合わせて、軽く会釈だけして名刺を僕の前に置き、ムスッとした顔で黙っているもう一人の男が、虻川か。所属は工藤と同じく刑事第一課で、階級は警部補。工藤とは対照的で背が高く、逆三角形の頑健な体格に、細身のスーツが似合っている。オールバックに鋭い目付きが威圧的だ。恐らく30代後半くらいか。
「浜田と申します……」
「そちらの美人は、お連れさんで?」
工藤が、チラっとリリィを見た。
「あの、はい。そんなところです」
僕は、曖昧に答えた。工藤はさほど気にもとめずに、すぐに僕に向き直って、話を始めた。
「いや〜、びっくりしたでしょう」
「はい、あの、怖くて」
「うんうん、大変でしたなぁ」
突然、腕組みをして僕と工藤のやりとりを聞いていた虻川が、フッと鼻を鳴らして、嫌味な笑みを浮かべた。何だか感じの悪い男のようだ。
工藤から、細かく事件の状況を質問され、淡々と思い付く限りで答えていく。会う約束をしていたリリィの仕事終わりまで、シックスで時間を潰そうとした、ということにした。リリィも、源介から余計なことは言うなと指示されているので、このあたりの足並みは揃っている。うまく合わせてくれた。
「線香?」
工藤と虻川の表情が、一瞬だけ厳しくなった。善良な一般市民である僕達には悟られまいとしたのだろうが、確かに表情が変わった。やはり、さすが刑事達。当然、ボウズの伝説を知っているのだ。
「はい。それが、気持ち悪くて……」
「確かに、現場に多量の線香が落ちていたようです」
記録役の若い警官が証言した。
「奇妙なもんですなぁ」
工藤が、温厚そうな表情で、わざとらしく首を捻った。しかし、目が笑っていない。虻川は、険しい顔で何かを考えている。この刑事達の反応から、少なくともボウズという始末屋が存在したことは、事実のようだ。
犯人はボウズなのだろうか。そうだとしたらなぜ、ボウズが吾妻を殺したのか。ボウズと吾妻の間に、何かあったのだろうか。
「被害者の接客をしていた女性店員が、行方をくらませていると」
「はい。被害者のトイレが長いので、様子を見てくると言って出たきり、いなくなってしまいました」
「そして、浜田さんがトイレに行くと、被害者が倒れてたってわけですな」
僕は頷いて、お茶を一口すすった。
「現場のトイレにある、大きな両開きの窓が、開けっ放しになっていたようです」
また、記録警官が証言を挟んだ。工藤は、腕を組んでうんうんと唸った。虻川は、相変わらず無愛想な表情で黙っている。その後も、さらに40分程の間、様々な質疑応答が続いた。
「いや、お疲れのところ、貴重な証言、捜査協力、まことに感謝致します」
工藤のねぎらいの言葉で、恐らく聴取は終わったのだろう。
「今、お話をまとめさせますので、もう少しだけ、どうか。ま、その、最近は何だか、札幌も暑くなりましたなぁ」
世間話に変わった。記録警官が、必死に調書を仕上げにかかっている。
「えぇ、ヒートアイランドだとか、何なんでしょうかね」
「あれですかな。札幌の住宅も、いよいよエアコンを使わなきゃダメですかな」
工藤は笑いながら言った。北海道の住宅には、一般的にエアコンは設置されていない。
「浜田……源介。革ゲン」
突然、虻川がそう呟き、僕を見つめながら、不敵な笑みを浮かべている。
「虻川……」
工藤の言葉を無視し、虻川は僕から視線を逸らさない。
「は、はい、なんでしょうか?」
「オタク、色々やってるんだってなぁ」
虻川が、ふてぶてしくポケットに手を入れ、ゆっくりと立ち上がった。源介の仕事のことを知っているのか?
個室内の雰囲気が、一瞬で重く、険悪になった。工藤もリリィも、記録警官も黙っている。
「最近、ガキどもに覚醒剤流してる奴がいるんだが、オタク聞いたことないか?」
室内をゆっくりと歩きながら、虻川は話し続ける。
「オタク、頼まれたら何でもやるってなぁ。評判だぞ」
シャブ?突然何の話をしているんだ?
「昔は、そんなことやるのは薄汚ねえチンピラ崩れだったのにな。最近だと、ネットだとかで、そこらにいそうな普通のお兄ちゃんが流してたりするよな」
「……はい?」
虻川が、僕の背後に立った。室内に響き渡る大きな音。それと同時に襲い来る、激しい痛みと、圧力。一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「オト!」
「やめろ虻川!」
虻川が僕の両腕を掴み上げ、後ろ手に捻ったまま体重をかけて、僕の上半身を机に押し付けたのだ。驚きと恐怖で一気に心臓の鼓動が激しくなり、呼吸が荒くなる。
「……革ゲン、てめえがいつ、どこで何してるかなんてのは、だいたい知ってんだよ」
こいつは、源介の何を知っているんだ。
「叩きゃあ、いくらでもホコリ出るよなぁ、てめえは。えぇ!?」
虻川がさらに、力を込めて来る。力もそうだが、それ以上に、何やらとんでもない憎しみも込められているように感じた。
「何が待ち合わせだ、時間潰しだ、チョロチョロしやがって」
体中の毛穴から冷や汗が噴き出た。尾行のことがバレているのか?この男は、一体どの程度まで知っている?
「いいか、てめえを縛るのなんて簡単なんだよ。覚えとけ。縛る価値がねえだけだ」
「虻川!やめろと言っているのがわからんか!」
工藤の制止も、まるで耳に入っていない。
「おい!何だよこれ!やめろよ!事件と関係ないだろ!!」
リリィが叫んだ。
「あんたもだ。あっちこっちで暴れやがって。及川……市之助だっけか?」
虻川が発した名前を聞いて、リリィが絶句した。及川市之助。それがリリィの本名なのか。
「もっとも、あんたはそんなナリしてるからな。こいつみたいに組み敷いてやりてえが、気が進まねえ」
「おまえ、こんなことしてタダで済むと思うなよ……」
リリィが怒りに震えている。
「紛らわしいんだよ。どっちかにしてくれねえか。さっさとモノ切っちまうとかよ」
その侮蔑的な言葉がリリィに放たれた瞬間、何かが僕の中で弾けた。理不尽で、悔しくて、悲しくて、堪らなかった。
「あの、お巡りさんって、本当に使えないですよね」
自分でも信じられない言葉が、口をついて出ていく。
「……あ?」
「町で不良に絡まれても助けてくれないくせに、こうやって協力する人にはいきなり暴力を振るう。弱い人にだけ強いんですね。」
虻川は、無言で僕を締め上げている。
「僕が今、正当防衛で虻川さんを殴ったら、逮捕しますか?」
「オト!もういいよ!やめな!」
さっきまで熱くなっていたリリィが、今度はさらに熱くなった僕を止めようとしている。
「何だそりゃ。脅しのつもりか?」
「聞いてるんですよ。殴ったら逮捕しますか?しないんですか?どっち?」
絶対に負けるもんか。こいつだけは許せない。
「おもしれえ、やれるもんならやってみろ」
バカか。
「やるわけないでしょ。あんたと同じレベルに落ちたくない」
「……てめえ」
虻川は、ギリギリとさらに力を込める。
「あんたと同じになりたくない!!」
全力で叫んだ。
「……覚えとけよ」
虻川は乱暴に僕の腕をほどいて、ドアを蹴り開けて出て行った。




