前編
短編で投稿するつもりが長くなってしまったので、前後編で投稿したいと思います。
真夜中、耳元で聞こえるのは、呪詛を孕んだ悪意の声だった。
『キモい……、キモい……、キモい……』
大学に進学して、ひとり暮らしを始めてからというもの、毎晩のようにその声が響いていた。
*
「愛ちゃん、大丈夫? 顔、真っ青だよ?」
大学に入学して一ヶ月。新しくできた友人のすーちゃんが、心配そうに顔を覗き込んできた。
「……だいじょばない……」
力なく答えて「夜、全然眠れないんだ」と講義室の机に突っ伏す。
「ストレスじゃない? 病院は行った?」
「行ったけど、治らないの……」
不眠症を疑って精神科を受診してみたが、一向に改善は見られなかった。そもそも、眠れないのは耳元で囁かれる、あの得体の知れない声のせいなのだ。
「っていうか、たぶん不眠症とかのレベルじゃないんだよね」
「?? どういうこと?」
「夜中に声が聞こえてさ。それがうるさくて眠れないの」
「え!? 何それ、騒音!?」
「まあ、そんなところ……」
「大家さんに言いなよ」
「うん……、今度言う……」
すーちゃんの言葉は正論だが、そんなことできるはずがない。だって、あれは人間が立てているような類の音ではないのだから。
「それよりさ。すーちゃんって地元民だよね?」
「うん、そうだけど……?」
「ならさ、この辺りで有名な霊媒師さんとか知らない?」
「え……、何で?」
「……なんか、聞こえる音が、そっちっぽい気がして……」
こんなオカルトじみた言い方はあまりしたくなかったが、背に腹は代えられない。だが、すーちゃんは引くこともなく、私の話を真剣に聞いてくれた。
「……私はツテないけど、知り合いにひとり、すごく霊感がある子なら知ってるよ」
「本当!?」
「うん。なんなら今から連絡取ってみる?」
「うん! お願い!!」
これで解決する。この時の私は、そんな風に安易に信じ切っていた。
*
そんなこんなで、授業のない日に近くのカフェで紹介されたのは、大人しそうで地味で、眼鏡をかけた野暮ったい女の子だった。
どこか探るような視線で私を見てくる。その目がやたらと気味が悪くて、私は一目で嫌悪感を抱いた。
「紹介するね! チョー霊感強いりんちゃん! りんちゃん、この子は愛ちゃん。夜眠れなくて困ってるの。助けてあげて」
「………」
返事はない。愛想がないな、と私は眉間に皺を寄せて「りんちゃん」を睨み据えた。
「……よろしく。さっそくだけど、詳しい話、聞かせてくれる?」
暫し、私をじっと見つめた後、りんちゃんは静かに言った。その言葉を皮切りに、私は夜眠れないこと、耳元で聞こえる声のこと、起こった異変を全て話した。
「どう? りんちゃん。祓えそう?」
すーちゃんは彼女の力を盲信しているようで、期待に目を輝かせている。
「そうだね……。私には荷が重そうかな……」
「え!? りんちゃんでも祓えないの!?」
「うん、そりゃあ私だって万能じゃないしね」
言いながら、りんちゃんはアイスティーをストローで飲み始めた。
他人事のようにすまし顔をしている彼女が、私はどうも好きになれない。こっちは本気で困っているのに、何なんだその態度は。
「無駄かもしれないけど、一応、私が知ってる霊媒師さんの連絡先を教えとくね」
りんちゃんはそう言うと、カバンからメモ帳を取り出して、サラサラと数人の霊媒師の名前と連絡先を書き始めた。私がそのメモを受け取ると、用は済んだとばかりに立ち上がり、自分の分の代金をテーブルに置いて店を出ていこうとする。
あまりに不躾な態度に、私の中でふつふつと怒りが湧き上がってきた。その時だった。
「ところでさ。その夜中の声に、本当に心当たりはないの?」
立ち去ると思ったりんちゃんが、ドアの手前で不意に振り返り、私にそう尋ねてきた。
「そうだよ。言ったじゃん。事故物件でも何でもない普通の部屋で、変な声が聞こえるって……」
「ふーん……」
興味なさげに鼻で生返事をされる。
(何その態度……。ムカつく……!! 大体、私はこういう感じのヤツが一番嫌いなんだよね。絶対友達いないよ、こいつ!!)
見るからに陰キャ。教室の隅で一人ポツンと、空気のように存在するキモいヤツだ。
「気休めだけど、自分の身の振り方を見直したほうがいいよ」
「何それ、どういうこと!?」
「じゃあ、私は帰るね」
私の問いかけを無視して、彼女はそのまま店を出て行った。
「あ、りんちゃん駅まで送ってくよ!!」
すーちゃんは私のことなど気にする様子もなく、慌てて席を立ってりんちゃんを追いかけていってしまった。
「何あいつ──!!」
一人残された私は、怒りのままにカフェの店内で叫んでしまっていた。
*
カフェを出た後、すーちゃんは、りんちゃんと並んで駅へと歩きながら、先ほどの愛ちゃんの身に起こっている出来事の真意を尋ねた。
「いや、祓えないわけじゃなかったんだけどね。私は、あーいうのは祓わない主義だから。たぶん、私が紹介した他の霊媒師さんたちも、連絡したところで断ると思うよ」
「え……、どういうこと?」
すーちゃんが戸惑うと、りんちゃんは足を止め、酷く冷めた目をして振り返った。
「すーちゃん。……すーちゃんの友達付き合いに口を挟むのはよくないって分かってるんだけど、あの人とは距離を置いたほうがいい。友達は、ちゃんと選んだほうがいいよ」
それだけ言い残すと、りんちゃんは一人、駅の方へと歩いていってしまった。
*
「お引き取りください」
「私では手に負えません……」
「お代は結構ですので、どうか、お帰りください」
りんちゃんから紹介された霊媒師たちは、誰も彼もが私の顔を見るなり、怯えたように除霊を断ってきた。
おかげで、未だに夜まともに眠ることができない。
『キモい……、キモい……、キモい……』
この日も、耳元に届く不気味な声のせいで夜を明かした。
(何よ……、ホント何なの!?)
耳を塞いでも頭の中に直接響いてくる声に、私は日に日に疲弊していった。
それでも、単位のために大学へは行かなければならない。鉛のように重い身体を無理やり動かしてキャンパスに向かう。そして、いつもの友人たちが集まるラウンジを見つけ、「おはよう!」と声をかけた。
だが、私の声に気づいた瞬間、彼女たちはあからさまに怪訝な表情を浮かべ、慌てて荷物をまとめると、私の横を素通りしていった。
一連の拒絶に呆然としながら、彼女たちが向かった先を見つめる。彼女たちは遠巻きに私をチラチラと盗み見ながら、ヒソヒソと何やら陰口を叩いているようだった。
(何それ……。意味わかんない……)
唖然としたまま、私は一人ラウンジに取り残された。
だが、異変はそれだけでは終わらない。
「あー……、君、もう明日から来なくていいよ」
授業が終わり、バイト先のコンビニに向かうと、店に入った途端に店長からクビを宣告された。
「な、何でですか!? まだ始めてから一週間ですよ!?」
「君ねえ、その一週間でどれだけお客さんと揉めたの? 初日から今日まで毎日でしょ!?」
「そんなの、あれは全部あっちのカスハラです!! 私は何も悪くありません!!」
「あーー、もういいから! とにかく出てってくれ!!」
強い口調で、塩を撒くようにコンビニを追い出されてしまった。
何が何だか分からないまま、夜中の声で眠ることもできずに、無情にも月日だけが進んでいった。
それからというもの、新しいバイトを始めてもすぐにトラブルが起きてクビになり、どれ一つとして長く続かない。
大学でも、友人たちは完全に私から離れてしまい、今では会話すら成立しなくなっていた。
──すなわち、「ボッチ」である。
だが、不幸の連鎖はこれだけでは終わらなかった。
『もう別れる。二度と連絡してくるな』
初めてできた、同じ大学に通う彼氏から一方的に別れを告げられた。即座にブロックされたようで、どれだけメッセージを送っても既読すらつかない。当然、大学の廊下ですれ違っても、彼は私を見るなり弾かれたように逃げていく。
そんな生き地獄のような日々が、半年も続いた。
もう精神の限界だった。私は、辛うじてまだ無視をせずにいてくれるすーちゃんに、泣きつくように相談した。
「ごめんね……。私って本当に霊感とかないから、愛ちゃんの身に何が起きているのか、全然分からなくて……」
カフェの対面に座るすーちゃんから、ひどく困惑した顔でそう告げられ、私は愕然とした。
「……ねえ、ダメ元でさ、もう一度りんちゃんに頼んでみない?」
「え……?」
「最初に紹介した時、りんちゃんには何かが見えてたみたいだし……。除霊は無理でも、これ以上状況が酷くならないように、何か助言くらいならもらえるかも。訊いてみようか?」
正直、嫌だった。あの小生意気なりんちゃんを思い出すだけでムカつく。だが、プロの霊媒師たちですら匙を投げた不条理な霊障だ。少しでもこの地獄が軽くなるならと、私は藁にも縋る思いで、すーちゃんの提案に頷いた。
*
あの日と同じカフェで待ち合わせていると、りんちゃんはやってきた。
「何かあった?」
半年前と変わらず、素っ気ない態度のりんちゃん。相変わらず大人しそうで地味で、眼鏡をかけた野暮ったい風貌だ。
りんちゃんは店員にアイスティーを頼むと、早く用件を言うように視線で急かしてきた。見かねたすーちゃんが、私の代わりに口を開く。
「最近、愛ちゃんの周りでおかしなことがたくさん起こって、本当に困ってるの。りんちゃん、祓うのは無理でも、これ以上酷くならないようにアドバイスとかできない?」
「酷くなってるって、具体的に何があったの?」
「……友達から急に無視されたり、始めたばかりなのにバイトをすぐクビになったり、彼氏とも一週間で別れちゃったり……」
「ふーん……」
相変わらず、興味がなさそうな態度だ。私は少しずつ苛立ちを覚え始めた。
ちょうどそこに店員が注文のアイスティーを運んできたので、りんちゃんはそれを受け取ってストローで飲み始める。
「けど、それって別に、特別おかしな現象ってわけじゃないよね」
突き放すような口調で、りんちゃんは言った。
その一言に、カチンと来た。
「何でよ!? 理由を聞いても誰も教えてくれないんだよ!? 今までずっと仲良くしてたのに!」
「いや……、それが全部、夜に聞こえる声のせいだとは限らないでしょ……」
「だって!! あの声が聞こえるようになってから、全部おかしくなったんだもん!!」
私が思わず声を荒らげると、りんちゃんは「はぁ」と大きなため息をついた。
「じゃあ、確かめてみる? 愛ちゃんの身に起きてることと、その声の正体が関係しているかどうか……」
「え……、どうやって……」
「今日の夜、愛ちゃんの家に泊まって、その声を私も聞く。声の正体が分かれば、解決の糸口が見つかるかもしれないから」
家にこの女を泊めるのは不本意極まりないが、背に腹は代えられない。私は不満を飲み込み、仕方なくりんちゃんを家に泊めることにした。
*
そして、りんちゃんが私の家に泊まりに来た。すーちゃんも一緒に泊まりたいと言うので、図らずも三人でお泊まり会をするような形になった。
私はどうしてもりんちゃんが苦手だったので、すーちゃんが間に入ってくれることに心底安堵していた。
夕食は各自で持ち寄ったもので簡単に済ませ、それぞれシャワーを浴びてから、川の字になって布団に横になる。
部屋の電気を消して、しばらく経った頃だった。
闇に紛れて、あの声が鼓膜へと滑り込んできた。
『キモい……、キモい……、キモい……』
「ね、ねえ……、聞こえる……?」
私は恐怖で身を強張らせながら、隣の気配に向かって囁いた。
「うん、聞こえるね」
返ってきたのは、驚くほど冷静な声だった。さすがは霊感が強いと言うだけのことはある。私はこの時、初めてりんちゃんの存在を心強く思った。
ちなみにすーちゃんは、反対側で規則正しい寝息を立てて熟睡している。やはり、この奇妙な音は彼女には聞こえていないようだった。
「やっぱりか……」
「え……? 何が?」
暗闇の中で小さく呟いたりんちゃんの言葉に、私は思わず聞き返した。
「あ……、そっか。本人は気が付かないんだよね。この声さ……」
布団が擦れる音がして、りんちゃんがこちらに顔を向けたのが気配で分かった。
闇の中で、眼鏡の奥の瞳がじっと私を値踏みするように見つめている。
「愛ちゃんの声だよね」
後編は今夜19時に更新します。




