11.パンケーキとお母さん
「お、美味しそう……」
魔王城の食堂。
だだっ広いそこには、豪華な装飾の長テーブルが一つ。
そこに一人腰掛け待つフェリスのもとに、マオが自らキッチンから運んで来たのはパンケーキだった。
黄金の焼き色が美しく、上に乗せられたバターがやわく溶ける上品な香りが食欲をそそる。
「さ、どうぞ!」
マオはフェリスの前に紅茶とパンケーキを置いて、食べててくださいと言いつつ再びキッチンへと戻って行く。
「い、良いのかなでも美味しそう……」
そっとナイフとフォークを持ち上げる。おそるおそる差し込んだナイフは、なんの抵抗もなくパンケーキを切り分けた。断面から立ち昇る湯気が、さらに甘い香りを周囲に漂わせる。
(どきどきする……)
パンケーキ自体は、孤児院時代に食べたことがある。シスターがごく稀に作って子供たちにふる舞ってくれたご馳走だ。懐かしさに胸が高鳴る。
小さく切り分けたそれを、口へと運んだ。
「ん〜! 美味しい〜」
マオの焼いたふわふわのパンケーキは、素朴な味ながらも昔食べたものとは別次元の食べ物だった。
分厚く、しっかりとした味が付いている。フェリスがかつて食べた硬くて薄いパンケーキと同じものだとは思えない。これは、パンケーキという同じ名前の別物なのではないか。
「マオくん、これ……!」
興奮して話しかけようと顔を上げたが、マオはまだキッチンから戻っていない。
(早く帰って来ないかな)
ほくほくとした温かさが、じんわりと心も温める。この気持ちを伝えたいのに、だだっ広い食堂にはフェリス一人しかいない。
(そう言えば、魔王城ってそれなりに大きいのに、マオくん以外見たことないわね?)
これまで出してくれていた食事なども、全部マオが作ってくれていたのだろうか?
いやでも、食事の用意が出来るほど離れたりはしなかった。離れていたのは、マオが祈りのシュークリームを習いに行った時くらいだ。
他にも誰かいるのなら、会ってみたい。
「フェリス様、どうですか?」
やっとキッチンからマオが自分の分の紅茶とパンケーキを持ってやって来た。
「マオくん! 分厚くてふわふわ! とっても美味しい!」
「良かった!」
安心したように笑みを浮かべ、マオも席に着いた。パンケーキを切り分けて頬張る。
フェリスも、負けじと頬張った。美味しいともう一度言うと、マオのほおがふくふくと上がった。それが余計に、パンケーキを美味しく感じさせる。
誰かと美味しいねと言いながら食事を摂るのなんて、いつぶりだろう。
「あ〜幸せ。シンプルですけど、パンケーキってお母さんがよく作ってくれた思い出の味で……」
「お母さん」
魔王にお母さんなんて、そう言えば考えたこともなかった。
マオの言うゲームの魔王は、子供だと言っていた気がする。子供ということは、その子にもお母さんがいるということだ。
顔も名前も知らずとも、フェリスにだっていたはずの母親という存在。
「わたしのお母さん代わりはシスターだったけど、何度かパンケーキは作ってくれたわ。このパンケーキとは別物みたいに硬くて薄かったけど」
それでも、パンケーキを前にフェリスも懐かしい記憶を思い出した。
マオが幸せそうにパンケーキを食べているのは、きっと彼の子供時代が幸せだったということなのだろう。
お母さんに可愛がられていたのだ。
「マオくんは、どうして闇堕ちしたの……?」
恵まれた子供時代だったにも関わらず、魔王になった。
大人になってから大変なことがあったのかもしれない。
「闇堕ちって言うか、僕は転生者なんで」
「日本ってとこから?」
「そうです。転生してハッと気づいたら魔王だっただけで……闇堕ちとは違うかも」
「マオくん、頭本当に大丈夫そ?」
にわかには信じられない。というか、ずっと信じていない。
マオは嘘を付くような魔王には見えない。だとすれば、やはり頭を打って妄想めいた思い込みが出ているとしか……。
「信じられないのはわかりますよ。僕だって、推しにスイーツ作ってるなんて本当に意味わかんなくて。過去の僕に、お前将来フェリス様にスイーツ作ってるぞって教えても信じない自信しかないです」
もぐもぐとパンケーキを頬張るマオに、フェリスもパンケーキを口へと運ぶ。
美味しい。美味し過ぎる。
「でも本当に異世界転生してるんですよね。もちろん、証拠とかなんにもないですけど」
「じゃ、じゃあもし本当だとして、マオくんのお母さん悲しんでない?」
「悲しんでましたよ。お葬式終わるまではあっちにいたんですけど、両親ともずっと泣いてて……」
すっと瞳を伏せたマオに、胸がきゅっとなる。
オソウシキがなにかはわからなかったが、マオは両親が悲しんでいる姿を見ていたのだということはわかった。
「あ、まあでも死んだことは取り消せないので。僕はこっちで元気に生きますよ!」
慌ててにっこり笑ったマオに、嘘はなさそうだ。
もしかしたら、本当に転生して来たのだろうか。まさか。
「それに、突然の事故で……待ってハードディスク破壊できなかった! 中身を見ずに廃棄してくれてたら良いけど見られたら……とてもじゃないけど戻れないッ」
急に頭をかきむしったマオが、うわどうしよう忘れてた……と青ざめている。
「ど、どうしたの?」
「いえ、なんでも……。僕、こっちで元気に生きます……」
先ほどと同じことを言い、マオはパンケーキを食べ終えた。
冷める前に食べようと、フェリスも口を動かす。美味しい。あまりにも美味しい。フェリスの中にこの美味しさを伝える語彙力はないものの、とにかく美味しい。
とりあえず、マオの転生の話は置いておこう。本当だとしても、妄想だとしてもマオはマオだ。いや、妄想ならちょっと話は変わって来るが。
「マオくんのお母さんはこんな美味しいものが作れたのね」
「そうですね。もちろん、僕が作る方が上手に作れます。でもなんていうか、お母さんに作ってもらったのって、不思議と美味しく感じるんですよね」
「わかるわ。わたしも、マオくんがわたしのために作ってくれたんだって思ったらすごく美味しく感じるもの。あ、本当に美味しいんだけどね⁉︎」
「——推しが尊すぎてしんどい」
うっと胸を押さえたマオが、ほおを真っ赤に染めながら呻いた。
「えっ大丈夫⁉︎」
「致命傷なので大丈夫ですフェリス様」
「それは大丈夫じゃないのでは」
「墓に入ろうかな」
ひとしきりあわあわした後、やっとマオが笑みを浮かべた。今度は、にまにま笑いながら顔を覆っている。
「ありがとうございますフェリス様。夢って叶うんですね……」
「ふふ。それに、一緒に食べたらさらに美味しいもの。さっき一人で食べてたら、美味しい! って言いたいのに誰もいなくてちょっと寂しかったの」
「……ウッ尊死」
とうとうマオはテーブルに突っ伏してしまった。その大袈裟なリアクションに笑いが込み上げる。
本当かどうかは置いておいて、マオは一度自分が死んだという認識がある。事故だと言うから、それは怖い体験だっただろう。それをこうして笑いに変えられるのは、マオの人間性が善いのだろう。魔王だが。
「ねえマオくん。ここには、他に誰か住んでいないの?」
「え? あ、少ないですけどいますよ」
我に返ったらしいマオが、顔を上げた。同時に、フェリスもパンケーキの最後の一口を頬張った。
最後まであまりにも美味しかった。
「ありがとうマオくん。とっても美味しかったわ! 他にも住んでる人がいるなら、一緒に食べたらもっと美味しいんじゃない? わたしもリオンたちと」
言いかけてはっとする。
リオンたちと魔王を倒すために旅に出た時。あれが、フェリスが最後に他人と一緒に食事をした記憶だ。
「たしかに。いや、推しを見せたくな……でも大勢で食べるって良いですよね」
マオは、リオンの名は聞こえていなかったのかぶつぶつ一人言を言いながら思案している。そして、フェリスの顔をまじまじと見つめて来た。
「ど、どうしたのマオくん」
「えっと、みんなちょっと個性的な感じなんですけど、会います……?」
「うん、会ってみたいわ」
魔王と一緒に暮らしているくらいだから、リオンたちみたいに手のひら返しはしないだろう。そう思えるだけで安心だ。
「えーっと。じゃあ、みんな出ておいでよ」
隣にいる人に話しかけるように、マオが言葉を発した。その声が聞こえていたのか……聞こえていたのだろう。キッチンからドタドタという足音が響いて来た。
そこから現れたのは、ゆうに二メートルは軽く超えていそうな緑色の巨体だった。ご丁寧に特注サイズのコック服を着ている。
「まあ……!」
そしてその顔には、つぶらな一つ目がどーんと鎮座していた。
マオが立ち上がり、彼の方を手で示す。
「彼は料理を担当してくれているサイクロプスのメメだよ」




