前世の記憶
娘の左手首に設置されている、魔道具の魔法陣が緑色になっている。
指示されていた様に、魔法陣が黒くなるまで魔力を流していく。
「魔道具を設置してもうすぐ1年か……」
娘が倒れてから、一向に目覚める気配はない。眠っているだけだと分かっているが、こぼれ落ちていく時間にジリジリとする。
「前回、回診に来た医官も流石に長過ぎると、もう一度調べてみると言っていたが……」
取り立てて新しい変化は何もなかった。
「……医官は、古い文献も調べ直すと言っていたが、多分難しいだろうな」
何も出来ない不甲斐なさに苛立ちが募る。
妻の心が疲弊しているし、時間が経つにつれて兄弟姉妹達も心配が募り、心から笑う事が出来なくなっている。
「避けることなど、出来なかったと分かってはいるが……私が付き添っていながら、こんな事になってしまうなんてな……」
——あの日から自分を責めない時などない。
「誰も責めない事が、却って辛いな……」
やりきれない想いにグッと拳を握り締め、掌に爪が食い込む痛みを感じる。
チリリンリリン
「鈴の音?」
何処からか鈴の音が聞こえた。辺りを見渡すが、部屋に鈴などない。
「空耳か……」
ふと、娘に目をやると、魔法陣がスゥっと黄色く変化していった。
***
長い時間、整理整頓をしていて思った。
「要らない記憶など捨てちゃえば良いのに」
しかし、捨て方はわからない。
「汚れていたり、ビビが入って割れたりしている記憶の書籍は棚には入らないのね……」
あちこちに散らばり、まだ置いたままだ。
何とか出来ないかなと考えていたら、手元にリペアキットとお掃除クロスが出て来た。
「修理しろと言う事かしら?」
どこでやろうかとキョロキョロしていたら、目の前に作業机が現れた。
——頭の中って便利ね?
足元に散らばっていた記憶を手に取ると、それは流れ込んできた。
***
私の前世の名前は、美茶美しい茶でミサ
本当は美しい奈で美奈の予定だった。
母が決めていた名前を、父親が茶と奈を見間違えたまま役所へ。何の疑問も持たず見たまま記入して出したらしい。
母親は文句を言っている。酷い当て字でも無いし本人は気に入っていたみたい。
——美しい茶ってなによ
渾名はミチャかチャチャだし、呼ばれると猫みたいよ?
そのせいなのか、お茶好きに育った。何なら最終的に自分でカフェを始めてるし……
幼少期は貧乏だった。考えなしの癖に行動力だけ無駄にある父が悪かったようだ。
——嫌だ、最悪な親じゃないの。
思い付きで事業を起こしたり、口約束で金貸したり、保証人になって借金背負ったりと、まあ、金の管理が全く出来ない。
母親は文句言うだけで、全く止めない。
——ちょっと、文句言うなら止めなさいよ
「あら、やだわ」って見なかったふりしても、物事は解決しないと思うわ。
——親の尻拭いでお金の大切さを学んだのね
私も人に騙されたみたいだけど、問題解決能力が見事に上がったわね……
『騙すより騙される方が良い』と考えて、心の中でなんとか浄化していたわ。
『チクショウ!経験をありがとう』
とか、馬鹿じゃないの?
***
手元を見ると、記憶の汚れは綺麗になっていた。汚れはちょっとした不満だったのかな?
(ミサもミチャ可愛いけど、確かに間違いでつけられる事はもやっとするかもね)
ま、親2人に対する責任感の無さに苛立っていたんだろうな。
(美茶は前向きに対処して、経験を自分の糧にしていたんだね)
『チクショウ!経験をありがとう』には、思わずクスッと笑った。
「美茶お疲れ様。頑張ってたね」
そう言って優しく本を磨くと、パァっと輝いて自ら箪笥に戻っていった。
——きっと色々な思いがあったんだろうな
特に突っ込みたかったり、辛かった記憶の書籍が今ここにあるんだろう。
「修繕にどれくらいの時間かかるかな?」
数はさほど多くはない。
「パッと見、どうやって直せば良いのか分からないほど、グチャグチャな物もあるわね」
……慌てずゆっくり直すしかないか。
とりあえず次の書籍に、手を伸ばしたら、指先が少しずつ、光の粒になって崩壊していった。
光の粒はシャボン玉みたいに、膨らんでは弾け、空間に広がっては弾けてを繰り返し、どんどん消えていく。
——目覚めるのかしら?
でも、この壊れた書籍はどうなるの?
気にはなったが、残っているのは頭だけなのでどうにもならない。
——きっと必要な時にまた修理出来るわ
まぁ何とかなるかと私は意識を手放した時
……ト、ティーフロート!!
私の名前を呼ばれたような気がした。




