遠見の水晶球
とりあえず遠見の水晶球が操作できるか確かめるため、罠が無いか確認しながら慎重に動かす。 水晶球に手を軽く触れると水晶球がぼんやりと光る。どうやら無事起動できたようだ。
そして思い付いた場所を映し出すように念じると映像が浮かんできた。映像は僕が使用した転送クリスタルの周囲の様子だ。
転送クリスタルの周りには冒険者ではない黒装束の者たちがいた。多分、アルタイルの部下たちだろう。常に周囲に目を配らせている。
この様子では他の階層や迷宮も同じ状態だろう。何も対策をせずに転送クリスタルを使えば捕まることは目に見えている。
だが幸い、この研究室をもっと探せば遠見の水晶球の他にも役に立ちそうな魔道具があるかもしれない。
「リリアちゃん、もう少しこの研究室を……」
振り向くとリリアちゃんは研究室の椅子の上でこくりこくりと眠たそうにしている。
「……まずは寝室を探すべきだな。」
遠見の水晶球の操作を止め背嚢から毛布を出す。てきぱきと簡易のベッドを作りリリアちゃんを寝かせる。
(隣の様子を調べるか……)
慎重に正面の扉を開け研究室らしい部屋の外に出ると赤い絨毯が敷かれた長い廊下に出た。廊下には一定の間隔で木製の扉が続いている。
扉の向こうは居住用の部屋だろうか?
そう考えるが次の瞬間、首を振りそれを否定した。
研究室のすぐ近くに居住用の部屋を持ってくることは無い。会っても休憩室か仮眠室だろう。貴族院の実験室は大きな実験室の正面に小さな実験室が数多く並んでいた。ここも似たような構造なら、この扉の向こうは小規模用の実験室だろう。
近くの扉を開き確かめる。思っていた通り、小規模の実験室だ。
中は奥行きが10mほどの小さな部屋で部屋の中央に長机、壁には何かの薬品を収めている薬品棚が両側の壁に並んでいた。
この部屋の天井に魔道具が設置されそこから光が部屋を照らしている。部屋の奥には大きなガラス窓があり外の様子が見えそうだ。
僕はガラス窓に近づき外の様子を窺う。
外から魔道具の光が差し込み明るいがその窓の向こうは暗い。空は暗いが星が瞬いて見えている。やはり今は夜明け前の時間だ。
今の場所から少し判らないが、今いる場所(ここが屋敷として)の周囲を2mほどの生け垣に囲まれている。その為、生け垣の向こうの様子は判らない。
やはりこの場所や廊下は綺麗なのに誰も出てこない。流石に食堂や寝室には誰かいるだろう。いなくても誰かの形跡が多少あると思う。
頭の中に貴族院の地図を思い浮かべる。この場所が研究棟だとすれば食堂などの居住棟は多分、図書室を挟んで反対側だろう。どうやら僕はくじ運が悪いらしい。
僕は一旦図書室に戻り反対側の扉を開ける。
その扉の向こうも研究室に続く扉と同じ様に渡り廊下になっていて、その廊下の向こうに金属製の扉が見える。
扉の先は赤い絨毯が引かれた廊下がありその先に腰の高さほどの壁に囲まれた部屋があった。
長テーブルと椅子がいくつも並んでおり、更に奥には奥の部屋に続くカウンターが見える。どうやらここが食堂の様だ。貴族院の食堂とどこか似た部屋になっている。
「……だれもいないか……」
食堂には明かりがついているのにも関わらず人の気配がしない。
廊下の右側の先は階段になっていて上の階へ行けるようだ。配置から食堂の上の階に寝室があると考えられた。
僕は寝室には誰かいるだろうと思い階段を上る。
注意深く二階に上ったが誰もいない。寝室に人はいるとの予想に反して人影は全くなかった。だが、どの寝室もきっちりと綺麗に整えられておりはいつでも休めるようになっていた。
「取り敢えず、今は何処かの部屋で休むべきだと思う。リリアちゃんを連れてくるか……。」
流石に今の時間まで動き続けていたので僕も疲労がたまっている。これではまともな探索は望めないだろう。
僕は階段近くの部屋を休憩場所と決める。この場所にしたのは階下から誰かが上って来た時に対応する為だ。
いそいで研究室に戻る。音もなく静かな研究室ではリリアちゃんは疲れが限界に来ていたのか簡易ベッドの中でスヤスヤと寝息を立てていた。
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「まだ見つからない?」
アルタイルの抑揚のない声を前に報告に来た部下は冷や汗を流す。
「はい、目下ルヴァン近郊の迷宮を探索中ですが未だ発見の報告が上がっていません。」
「対象が転送クリスタルを使ったのは間違いないのですね?」
「はい、間違いありません。転送クリスタルでの移動特有の発光現象も確認できました。その発光現象の後、姿が消えたので転送クリスタルが使われたことは間違いありません。」
部下の報告を聞きアルタイルは目をつぶりじっと考え込む。
「……確か、対象には同行者がいたのですね?」
「はい。今回捕縛の場所となった宿屋の娘の様です。」
「では回収したアレ、二つとも使いましょう。場所はそうですね……よく判る様に城門前で良いでしょう。」
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僕はリリアちゃんを寝室のベッドに寝かせ”水晶球のある研究室へ行っている”と書置きをする。転送クリスタルを見張る為に研究室の遠見の水晶球を使うつもりなのだ。
アルタイルは凄腕なのだろうが、ガストンさんとモーリスさんの二人を同時に相手に出来るとは思えない。
彼ら二人なら隙を見て転送クリスタルを使うはずだ。その為にも遠見の水晶球で転送クリスタルを見張っておく必要があるのだ。
僕が再度、遠見の水晶球で転送クリスタルの見張りを始めてしばらくすると遠見の水晶球に映る景色がはっきり見える様になってきた。どうやら夜が明けたようだ。
夜が明けたにもかかわらず、黒装束の者たちは転送クリスタルの前から移動する様子がない。中には迷宮の物らしい地図を広げ入口へゆく者もいる。一階から虱潰しに僕たちを探すようだ。
研究室の遠見の水晶球はかなり性能が良いものらしく移動先の階にある転送クリスタルの様子もくっきりと見ることが出来た。僕が移動できる階の転送クリスタルの前には常に二人の黒装束の者が待ち構えている。やはりあのまま別の階に移動していたら今頃連中に捕まっていただろう。咄嗟にここを選択したのは悪い判断では無かったようだ。
「イザークさん、起きていますか?朝食はいかがですか?」
ガタガタとキッチンワゴンを押しながらリリアちゃんが研究室に入って来た。どうやら朝食を持って来てくれたようだ。
リリアちゃんはキッチンワゴンに置かれた寸胴からスープを皿に注ぎ僕に渡してくれた。
「へぇ、白い磁器の皿か。珍しい物を持っていたんだね。」
平民が普段使う皿は木製で磁器の皿、それも白い皿は珍しく貴族でも使っている者は少ない。
「いえ、このお皿は食堂にあった物なのですよ。それにこのお玉や寸胴も食堂にありました。魔道焜炉は少し型の古いものでしたけど、機能は豊富の様でしたよ。」
魔道焜炉は例外的に平民にも使用が許可された魔道具の一つだ。(他に許可されている物の一つに据え置き型の魔導ランプがある。)ただし、機能が豊富な魔道具は平民に許可されてはいない。ここの食堂にある魔道具は貴族向けの物であると言うことが判る。
「イザークさんは先ほどから何を見ているのです?」
「これか、これは僕たちが使った転送クリスタルの様子を見ていたんだよ。ガストンさん達が現れるかもしれないと思ってね。」
「そうですか。でもそれならガストンさんお父ちゃんを直接見ることは出来ないのですか?」
「直接か……この遠見の水晶球はかなり性能が良い物だから出来るかもしれないね。とりあえずモーリスさんに焦点を絞って見てみよう。」
「はい!」
僕がモーリスさんに焦点を絞ると映像が切り替わり別の景色が見え始めた。どうやら場所は城門前の様に見える。
城門前には人だかりが出来ており何かの前に人々が集まっている様だった。
 




