21話:和子が高度臨床医療検査センター長になる。
その後、医師会、開業医、医療関係の会社などの協力で費用の4億円のめどがついたと電話連絡が入り静香も出資を了解して2006年9月からセンター南駅近くのビルで高度医療検査センターを作り始めて2007年3月からの運用開始をめざすことになったと言われた。あとは、医者と放射線技師、事務受付の人のローテーション表を組んで漏れのないようにすることが重要となった。事務受付には既に経験者が3人で3人が医療事務の学校を出たばかりだった。
放射線科の先生は和子と同期の4人の若手2人、臨床放射線技師は全員がMRI経験者でベテランだった。和子と高校時代から親しい久田良男が昭和大学循環器内科からセンター南の昭和大学横浜北部病院に勤務していて解らないことがあれば応援すると言ってくれ、新横浜の横浜労災病院にも内科で親しい先生が2人ほどいたので連絡が取りやすかった。地元の医師会長のMS先生も協力は惜しまないから言ってくれと協力的で、都筑区、青葉区、港北区の医師会長の応援も取り付けた。
やがて2006年が終わり2007年を迎えた。そして和子が初詣に行き都筑高度臨床医療検査センターの成功を祈願して来て、あっという間に開所式の3月1日となり実際に検査依頼の方の予約が入って間違えの内容に事務対応をしてもらい検査の前の注意事項を詳しく説明した。この日は大きな問題はなく、ただ、お釣り銭が足らなくなり、銀行に両替に行った位だった。そして1週間がたち、トラブルは3件あり、1件がMRIの騒音に絶えられなくなり途中で辞めた人1人で本人の了解で検査費用はもらえた。他の2人の内訳は1人は待合室で貧血を起こして検査のキャンセル。
もう1人は閉所が怖くて嫌だとキャンセルとなった。MRIデーターをCDに焼き込み運送業者に言い所定の医療機関へ運んでもらえた。4月になると患者さんが増えて当初17時終了予定が18時になり7月には19時となり患者さんから土日にやって欲しいという要望もあったが、月から金曜の朝8時から19時まででさばききれなくなった時には土曜の午前中、その次、土曜1日と段階的に検査の日を増やすように考えて対応した。そして12月には土曜が19時までになり試しに月曜休みにして日曜にすると、そちらの方が希望者が多い事がわかった。
月曜を定休日にし、それ以外検査日と改めた。内科、整形外科、脳外科、耳鼻科、外科、小型病院からの依頼が増えて順調な滑り出しとなった。そのために借金の返済も順調にこなして行き、大きな問題は起きなかった。むしろMRIで当初、解らなかった腫瘍、ガン、神経障害、循環障害がわかったと言う症例も増えてきた。近隣の開業医、小型病院、もちろん患者さんにとって高度臨床医療検査センターの存在意義が再認識された。検査の依頼件数が増えてきて次に考えた対応法は、昼休みの時間差休息で、検査は休みなしで続けることにより15%の患者さんの増加まで対応できた。




