19話:静香さんの早期退職と和子が医師目指す
やがて1983年が空け今年も熱海温泉に行き疲れを取って、ゆっくりした。そして子供達が地元の小学校に入学して集団登校に加わって小学校に通い出した。その後1984、85、86年と順調に進み、田名農協の農家に千本を越える数の梨の木を植えることができて、勇三の梨の仕事は一段落した。その後、勇三は田名地区に梨の木を広めた功績と破棄野菜、果物の再利用の功績が認められて、田名農協の副会長に抜擢された。
そして、その後は梨農家を回って問題点を聞いて対処を考えたり道の駅の新規出店を相模原市と共同で計画したりする仕事が増えた。梨の仕事は両親に手伝ってもらい農協からの給料も多く勇三の預金も増えた。月日は流れ1989年には子供達は中学に入り和男と和子は競争しながら勉強して中学でも優秀な成績だった。一方株投資の方では1990年4月に静香さんが伊藤忠株を1300円で2万株売りし税引き後利益2150万円で残金が2450万円となり口座に550万円入金し投資口座残金を3000万円に増やした。
勇三さんは税引き利益1075万円で残金が1110万円となり口座に790万円入金し投資口座残金を1900万円に増やした。1992年8月19日にソニー株を3400円で静香さんが800株を2720万円で買い残金が280万円、勇三さんが500株を1700万円で買い残金が200万円、となった。その後1992年、地元の県立相模原高校に合格し大学受験のため、高校2年から予備校に通い始めた。
1995年に長男の江成和男は橫浜国立大学理工学部へ長女の江成和子は橫浜市立大学医学部に入合格した。そして橫浜の大学近くの学生寮に入って勉強を続け江成和男はソニーに就職する事を目標に頑張っていて1998年にソニーを受験して採用の内定をもらった。江成和子は医学部卒業後インターンになり忙しく橫浜市内の病院を飛び回っていたが医師国家試験の受験までは医学部卒業後2年以降となっていた。
静香さんが2000年2月22日33150円でソニー株を800株売り、税引き後利益2152万円で残金が2432万円となった。勇三さんは同じ時、ソニー株500株売り税引き後利益1345万円で残金が1545万円となった。その頃、静香さんはヤフーの急上昇し、ネットバブル崩壊後、急降下していたのに注目していて2001年9月3日にヤフー株を202万円で5株を1010万円で勇三と静香で、それぞれ購入した。
とにかく勉強時間を取るように工夫して2年後の2000年に医師国家試験を受験して不合格となったが3年後の2001年に合格した。臨床経験を積み自己判断で内科系、特に、これからは高度な検査が診断の重要な鍵になると考えて放射線科で研修を受けることにし2003年に橫浜市立大学放射線科の医師となり折しも、MRI・磁気共鳴画像診断が導入され、脳梗塞、脳腫瘍、脳出血などの頭蓋内病変を診断が飛躍的に向上した。
また造影剤を用いること無く血管を明瞭に描出できるため脳動脈瘤や血管狭窄などの診断に有用。これ専門科を目指して大学病院や橫浜市内の大型病院にMRI画像診断の名人と呼ばれるように徹底的に1例でも多くのMRI画像診断を経験すべく若いうちに要請があったところに直ぐ飛んでいける体制をとって待機していた。




