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10話:勇三と静香の今後の進路

 来年1971年、江成勇三は相原商業を卒業して農業を継ぐことになっていて江成の両親が梨の栽培をしたいので勇三を横浜東部か川崎の農協を通じて農家で修行をさせようと考えていると話して勇三も異論はなかった。それに対して山田静香は相模女子大付属高校で優秀な成績であり、できたら八王子の中央大学法学部を受験したいと考えているようだった。そのために1970年4月からは相模原の予備校に通い始めた。すると予備校が始まる30分前くらいに相模原に到着し隣駅にある相原商業で授業を終えた勇三が相模原へ行き待ち合わせ、月に1-2回、デートするようになって益々、仲良くなっていった。ただ山田静香の大学受験があるので山菜採りや川遊びはできなくなった。


 秋の予備校の模擬試験で中央大学法学部への合格の可能性が70%となり、もう一息の所まで来た。その後、年末の模擬試験では遂に中央大学法学部の合格可能性が75%で経済学部なら80%だった。そして1971年を迎え静香は父と相談し、特に法学部に決めず経済学部に入り広い分野に挑戦した方が良いのではないかと言われ中央大学経済学部を受験することに決めた。その後、体調管理に気をつけ風邪を引かないように手洗い、うがい早寝をして2月の受験日を迎え受験会場に両親と行き、リラックスするように深呼吸をして会場に入り出て来たときは全力を尽くしたと晴れ晴れとした笑顔で会場からで出てきた。


 2週間後の合格発表で受験番号52番が合格者名簿に張り出され合格した。1971年4月からは江成勇三は川崎の多摩川沿いの梨農家に住み込みで働き梨の育成方法を学ぶことにして川崎の多摩川沿いの農家に部屋を借りて生活を始めて農繁期以外の土日は休みにしてもらった。そして土日、小田急線で相模大野や町田で山田静香さんとデートを楽しんだ。そして農閑期の冬場に竹生おじさんの家に呼ばれてキノコの味噌汁や焼きキノコを食べながら勇三、お前、梨の栽培の勉強に川崎の農家に住み込みで勉強しに言ってると聞いたが偉いなと誉めてくれ相模原でも米、山菜、きのこ、タケノコだけでは農家も厳しいから何か金になる果物を作らないといけないと言われ続けたが、これと行った物がない。


お前が梨農園をやって大きく甘い梨を相模原の新しい農産品として育ててくれれば、これからの若い農家にとって、こんな、うれしいことはない。是非、頑張ってくれと肩をたたかれた。そして農業だけでは金が足らない時には株をやれと言い、俺も実は農協とタケノコ、キノコだけでは食べていけないので、実は年金の足しに株投資で少しずつ稼いでいると打ち明けた。だから、もし金が足らない時には良い情報をやるからなと言ってくれた。それに対して、その時には相談するよと勇三が言うと身体に気をつけて梨の栽培に頑張れと励ましてくれた。そして1974年10月に勇三は3年の川崎の梨農家での修行を終えて水郷田名の実家に帰って来た。そして1974年10月に川崎の農家から梨の木を30本程、買い込んで自宅の敷地に梨農園を作る計画をたてた。

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