62話 後悔したくないから
アヤメさんの病室への来訪は日に日に増えていった。逆にアヤメさんが私の病室を訪れることもあり、会話していく中で彼女のイメージは私の中で随分変化していた。
一番最初の記憶を無くす前のアヤメさんと今を比べると天と地ほどの差がある。
「ハルさん、遊びに来ましたよ」
そう言ってアヤメさんは病室の扉からひょこっと顔を覗かせる。
「いらっしゃい、アヤメさん」
今日は私が行くよりも先にアヤメさんが来てくれた。
記憶を無くして不安だから私と会話することで気をまぎらわせているのかもしれない。
それに生き返ってしまった私のせいで記憶を無くしたのかもしれないと思うと無下にも出来ない。
「私ここ何日か両親やハルさんとお話ししていて分かったことがあるのです」
会話の合間、ふとアヤメさんが呟いた。
「……記憶を無くす前の私はあまり良い性格ではなかったのですよね?」
その言葉に言葉を返せずどもってしまうとそれを肯定と取ったのかアヤメさんは眉を下げて微笑む。
「この前、両親が私の居ないところで話していのを聞いてしまったのです。以前の私は人に対して傲慢で我儘ばかりだったと。両親は今の私が望ましいようです」
思わず眉を寄せる。
彼女のご両親でさえそう思っていたのか。
「ですから私はこれからは新しい私として生きていこうと思いましたの」
慰めの言葉をかけなければと思った瞬間、アヤメさんはにっこりと笑ってぐっと拳を握りしめた。
その表情は落ち込んでいるわけでも、悲しんでいるわけでもなく、前を向こうとする明るさを感じられるものだ。
「アヤメさんは強いんですね」
そう告げればアヤメさんは一瞬キョトンとしてから花が開いたように愛らしさで笑う。
「強いとか弱いとかではありませんわ、ただ勿体ないと思いましたの」
「勿体ない?」
「えぇ、私は事故によって生死の境をさ迷ったらしいのです。それでもこうして生きています。記憶は無くしてしまいましたけれどまた新しく作ることができますもの。そうと分かれば生きている今の時間を悩みながら過ごすのは勿体無いでしょう?」
「そう、ですね」
頷けばアヤメさんはにっこりと微笑む。
確かに、そうだよね…。
私は一度死にかけて、虎太郎くんに自分の気持ちを言えなかったことを後悔したのに。
このままじゃまた同じ後悔をすることになる。
「ありがとうアヤメさん!私、勇気だしてみます!」
アヤメさんの両手を握ってふんすと気合いをいれながら礼を述べる私に、彼女はキョトンと首を傾げた後「良く分かりませんが頑張って下さい」と励ましてくれた。
その時、ガラリと病室のドアが開いてソラがお見舞いにやって来た。
「よぉ……ん?あんた……ハルと一緒に事故にあった……」
「ソラ、入り口で足を止めるな。入れない」
アヤメさんを見つけ目を瞬かせるソラの後ろから顔を出したのは虎太郎くんだった。
「アヤメ嬢……?どうしてここに?」
「虎太郎、知り合いか?」
「顔見知り程度には」
ソラは首を傾げて、虎太郎くんとアヤメさんを交互に見つめる。アヤメさんの方は虎太郎くんを覚えていないため少し申し訳なさそうにしている。
「申し訳ありません、私事故で以前の記憶が損失しておりまして…。貴方の事を存じ上げないのです」
「そう、でしたね」
記憶を無くした事を知っている虎太郎くんは少し気まずそうにアヤメさんから視線を反らす。
それに気がつかずソラはアヤメさんに軽く頭を下げる。
「どうも、俺は伊集院ソラです。そこにいるハルの弟です」
「あら、そうなのですね。私は桃乃塚アヤメと申します。以後お見知りおきを」
お互いが自己紹介を終えたタイミングで、丁度看護師さんが入ってきた。
アヤメさんの診察がこれからあるとのことでアヤメさんは看護師さんに付き添われ病室に戻っていく。
「記憶が無いのかあの人。その割には明るいよな」
アヤメさんを見送ってからソラがぽつりと呟いた。
「ハルも虎太郎も知ってるんだろ?前からあんな人だったのか?」
「ソラも会っているはずだ。ほら、クロのパーティーで」
クロくんのパーティーと聞けば、女装したことを思い出したのかソラは眉間にシワを寄せた。
「あの時か………会ったとしてもそれどころじゃなかったし、覚えてねぇよ」
「だよねぇ……でも、雰囲気は変わったよ。それに、せっかく生きていられる時間に悩んでるのが勿体ないって言ってた」
私がそう告げるとふと虎太郎くんと視線が合う。
……言わなきゃ。
もう後悔は、したくないから。
「ソラ……お願いが、あるんだけど」
「なんだ?」
「1階の待合室に、カフェがあったでしょ?彼処でキャラメルラテ買ってきて欲しいなー……なんて」
財布を渡してお願いすればソラは何かを察したのだろう。
口許を緩めてふっと笑い、私たちに背中を向ける。
「ハルは一応、怪我人だからな。行ってやる、でも混んでるかもしれないから時間がかかるかもなぁ……虎太郎、ハルのこと頼んだ」
「あぁ」
虎太郎くんの肩をすれ違い様にぽんと叩くとソラは病室を出ていく。
ご丁寧に開けっぱなしにされていたドアをきっちりと閉めていった。
虎太郎くんがベッドの横に置いてある椅子に腰掛けると私は少しだけ虎太郎くんの方へ体を向ける。
言うって決めたんだから頑張れ私!
男は度胸!女は愛嬌と度胸!
よぉっし!




