26.ライオネル
《シスタリア王国 王都スコルア 王宮内地下》
『あの場所で待っている』
兄に宛てた手紙にそう書いた僕は、かつて地下牢として使われていた場所に赴いていた。今は当然囚人など居ない。この場所は封印された忌まわしき場所。王族の中でもこの地下牢の存在を知っているのは、僕とサラスティア、そして兄と父のみ。ルインティアに乗馬を教えてやってくれと兄に頼んだのもここだ。
ザナリアを討伐した騎士に、シスタリア王国で唯一無二の勲章を授ける。そんな大切な時期にこんな場所に呼び出すのだ。兄も察した筈だ、尋常ではない事態が発生した事を。
手の震えは止まっている。昔、サラスティアが階段から転げ落ちて大怪我を負った。あの日と同じように震えていた手は、何事も無かったかのように止まっている。これが何を意味しているかなど分からない。だが相も変わらず、僕の心にはドス黒い……何か分からない不安が渦巻いている。
地下牢の一番奥の部屋。その天井からは一本の鎖が垂らされ、先端には手錠らしき物が装着されていた。恐らく囚人を釣り上げて拷問していたんだろう。王都の、それも王宮の地下でそんな事が行われていたと分かれば大問題だ。だからこそ、ここは封印された。王宮の管理を務める聖女ですら、この場所を知る者は居ない。
しばらく待っていると、鎧らしき金属音、そして足音が響いてくる。蝋燭の淡い光で兄の顔が確認できた時、思わず膝から力が抜けそうになってしまう。王族から身を引いたとはいえ、兄が兄である事は変わりない。僕はいくつになってもこの人に頼りっぱなしだ。
「遅くなったな。何があった」
兄の顔色から、緊急を要する事態が発生したという事を察してくれているようだ。僕は思わず泣きそうになってしまうのを堪え、事情を説明する。サラスティアが……国王、父に殺されたかもしれないと。
「……親父がサラスティアを? サリスが国王の間で血の匂いがしたってだけで……何でそんな事が言える」
「単純にサラスティアの姿が見当たらないのと……聖女が不振がっていた。サラスティアが昼食の用意を要請したのにも関わらず、国王の間に行ったきり戻ってこないと……。それに……」
ライン・ルーベルト。奴は確実に絡んでいる。聖女が目撃したという、ラインが大きな荷物を国王の間から持ち出した、という点もそうだが、実際奴と話してみて確信した。サラスティアを実際に手を掛けたのは奴だと。
「ラインか……確か奴はサラスティアが貧民街で拾ってきたガキだったな。見込みがあるとかでサラスティアが直々に鍛えて……。まあ、確かに奴には才能があったが……」
「兄上、今はそんな事……」
「落ち着け。お前、頭回ってないぞ。あのサラスティアがそう簡単に殺されるタマか? あいつは騎士団長に実力を認められて王族護衛団の団長やってんだ。団員に殺されるなんて事……そうそうは……」
確かにサラスティアの死体を確認したわけでは無い。だが生きているなら何故なんの報せも無いのだ。
「だから……お前頭回ってないぞ。冷静になれ、本当に国王がサラスティアを殺そうとしたなら、アイツの目には今この国全てが敵に映ってるだろ。そう簡単に国王に殺されそうになった、なんて言えるか?」
それはその通りだが……
「俺はどうにもサラスティアが殺されたなんて信じれんが……例え不意打ちでも……いや、相手はラインか……」
「兄上……?」
「いや、ラインにとってサラスティアは命の恩人……それ以上の存在だ。そんな奴を殺させる程の理由を、国王はどうやって吹き込んだんだ。逆に言えば……」
「ラインは……国王に従っているフリをしている? ならサラスティアは……」
まだどこかで生きていて、息を潜めている可能性も……。だがそれは楽観視しすぎだ。我々が知らない何等かの事情がラインにあるのかもしれないし、それだけの事をさせる理由を国王は持っているのかもしれない。いずれにしても……俺達はどうすれば……。
「ライオネル、俺はサラスティアは生きている方に人生全てを賭けてもいい。だから俺の言葉を信じろ」
「兄上……兄上は……私以上に……」
僕の双子の姉であるサラスティアを信じているのだな……。
「サラスティアの件も気になるが、魔人の動向も怪しい。アルベルタに約二百匹の魔人が現れたっていうのは知ってるな。どいつもこいつも雑魚ばかりだったが……軽く拷問しても目的らしい目的なんぞ持ってなかった」
「……街を襲ったんだ。食料を狙っての事じゃないのか?」
「この王都と、シスタリアの魔女が居るバルツクローゲンの目と鼻の先でか? 襲うなら騎士も常駐してない村でも襲えばいい。だが連中はわざわざ警備の厚い港町を狙ったんだ。しかも統率は取れてねえくせに数だけは揃ってた。裏で手を引いてた奴の存在を疑って下さいと言わんばかりだろ」
あぁ、僕は本当に頭が回っていない。確かにそうだ。その程度の事すら分からなくなっているとは。サラスティアの事でもう頭が一杯一杯だ。
「あの数の魔人を即座に従わせる程の奴が動いている。パっと思いつくのはディアボロスかファラクの血族だな。先の戦いでディアボロスを討伐した意趣返しか……それともファラクの右腕と言われたザナリアの仇討ちか……」
「可能性としてディアボロスの方が濃厚だと思える。ファラクの血族……イルベルサの民が、この辺りの魔人を従わせる事は難しいだろうし……」
「ようやく調子が出てきたな。まあ、どちらにしても脅威的だ。だが王都にも戦力は揃ってる。ベインクローバーのバカ共まで居るんだ。アルフェルドを一目拝もうとな」
ベインクローバー……王都より栄えていると言われている、グランドレアとの国境に位置する都市だ。その都市の警護を任されている騎士隊は、国を一つ潰せる程の戦力を持っているという。特に指揮を任されている騎士……バイアルは若くして数々の偉業を成し遂げた英雄だ。そんな英雄を差し置いて、アルフェルドという騎士はこの国で最高峰の勲章……アリアクランゼを贈られるのだ。彼らにしてみれば屈辱的だろう。
「何はともあれ……親父殿に様子を伺うべきだろうな。今夜は祝賀会だったか。場合によっちゃ……戦争になるぞ」
「なら祝賀会など中止にすべきでは……貴族や国の重要人物が参加するんだ。もし一網打尽にされるような事になれば……」
「そうだな……。だが親父が何を考えているか分からねえ。それに……魔人の件にもし親父が関わっているような事になれば……」
「馬鹿な……! 国王が自分の国を窮地に陥れるような真似は……」
「可能性の話だ。つーか……サラスティアに手をかけたんだ。もうそう考えて行動を……いや、さらに一歩進めて考えないと足元を掬われるぞ」
更に一歩……? 例えば、もう既に魔人が王都に入り込んでいるかもしれない……という事も……。
「あり得なくはないな。とりあえず俺は親父殿に一発挨拶かましてくる。お前は祝賀会まで信頼できる奴と一緒にいろ。王族護衛団も全員味方だとは限らねえ。聖女の方がいいかもな」
「彼女達を巻き込めと……?」
「もう既に巻き込まれてんだよ。それに……お前も男だろ。女の一人や二人守れなくて……次期国王が務まるか」
そのまま兄は背を向け去っていく。僕は大きく溜息を吐きながら鉄格子へ体を預けた。とんでもない事態になってしまったものだ。
蝋燭の光で揺れる兄の背を見つめながら、僕は思っていた。
兄こそ……次期国王の器だと。何故貴方は……騎士になる道を選んでしまったのだ、と。




