2.シェルス
『人間に奴隷として買われ、泥水を啜る人生で気づいた。世界にこれだけ様々な意志が蠢いているというのに、私はひたすら一人だ。でも……お前は魔人としても人間としても中途半端な私を「美しい」と評価してくれた。だからこそ、お前を本気にさせてやる。私は生きててはならない存在だと気づかせてやる。……私だけを見てくれ。私だけを追ってきてくれ』
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幼少の頃、住んでいた村の住人に悪魔の親子だと難癖を付けられ、母親が撲殺された日、私は自分が人間以外のモノだという事を知った。私の母は人間だが、父は魔人と呼ばれる存在だった。なぜその父が人間である母を妻として選んだのかは分からないが、私にとってはいい迷惑だ。母を目の前で殺された日、私はこの世に生まれ落ちた事を後悔した。そして父を恨んだ。今どこで何をしているかは知らないが、いつか私の手で殺してやる。その為には力が要る。
村から逃げ出した私を拾ったのは一人の奴隷商。私を一目で魔人と人間の混血だと見破ると、大切な商品だと衣食住を提供してくれた。その時はまだ良かった。あの悍ましい事を平気な顔でする最悪な豚に買われるまでは。
あの日々は思い出したくもない。奴隷として買われた私を待っていたのは最悪な日々。毎日体を切り刻まれ、泥水を啜りながら生き延びた。私が魔人と人間の混血でなければすでに死んでいただろう。いや、死んでしまった方が幸せだったかもしれない。気が狂いそうな日々の中、ひたすら父の事を恨み、いつか殺す事を夢見て生き続けた。
そんな日々から私を救ってくれたのは一人の魔人。ディアボロスと言われる”神に等しい魔人”。彼は騎士しか相手にしない。一般人には手を下さず、ひたすら戦い続けたいと願う根っからの戦士肌の魔人だ。だが地下室に幽閉されていた私を見て、ディアボロスは騎士以外を切り殺した。その相手は勿論私を買った貴族の男。ディアボロスはそのまま私を地下から出し、こう言い放った。
『ファラクの娘か。奴の匂いがプンプンする。まったく忌々しい。こんな娘を放って何をしているのだ、奴は』
その時、私は初めて自分の父の名前を聞いた。どうやら私の父はファラクという”神に等しい魔人”の一人らしい。私はディアボロスに礼を言いつつ、つい父を殺す事だけを目標に生き延びた、と言ってしまった。それを聞いたディアボロスは爆笑し、愉快そうに私を抱きながら自分の仲間の元へと連れて行ってくれた。
今更だが、私には名前があった。イリーナという人間の名前が。だがディアボロスは私を人間とは見ず、魔人として生きろと新しい名前をくれた。シェルス、という名を。そして私の新しい人生が始まった。魔人として人間の”敵”となる人生が。だが私の血の半分は人間だ。周りの魔人達も表面上では私の事を仲間だと言ってくれるが、それでもなんとなく避けられている事は分かった。誰も私と目を合わせてくれない。それほど魔人と人間の間にある溝は深いのだろう。ディアボロスは私の事を自分の娘のように接してくれるが、何処か心の中で払拭しきれない思いが募っていった。私はただただ中途半端な存在なのだと。そんな私をまっすぐに見てくれるのは敵だけだ。対峙する相手は私の事を見てくれる。私はだんだんと、ディアボロスのように戦う事へ執着していった。
より強い者を求めるようになった頃、あの戦場で一人の男と出会った。相当に腕の立つ騎士。私の目をまっすぐに見つめてきて、全力で私に向かってきてくれる。正直楽しかった。その男との闘いに夢中になった。出来る事ならこのまま永遠に戦い続けていたい、そんな風にも思ってしまった。だがどんな物にも終わりはある。私は意志と無関係に剣を手放してしまい、その男に胸を刺し貫かれた。まるで雷鳴に打たれたかのような一撃。不思議と痛みは無かった。しいて言うならば、その男との闘いが終わってしまった、という悔しさのみ。このまま私は殺される。そう思った時、泣きそうな男の顔が目に飛び込んできた。
思わず笑ってしまった。もしかしたら、この男も私と同じ様な思いだったのだろうかと。このままこの男に殺されるなら悪くないかもしれない。だが、私に止めを刺す事を躊躇いつつ、その男はこんな事を言い放ってきた。
『貴方は美しい』
突然の言葉に呆気に取られ、そのまま止めも刺さずに立ち去る男。私は必死に呼び戻そうとしたが無駄だった。男は既に違う相手を見つけて駆けていってしまったのだから。
「くそ……くそっ……!」
胸を刺し貫かれた痛みを感じた時、同時に凄まじい悔しさが心を満たしていく。私を見て、私と全力で相手をしてくれていたと思っていたのに。まさか止めも刺さず、意味の分からない事を言い残して去っていってしまうとは。
そして私は仲間の魔人に助けられ、戦場の外まで連れ出された。その後、ディアボロスが敗れ……一つの戦いが終わる。
だが私の中ではまだ終わっていない。
あの男の事が頭から離れない。
次に会ったら……今度こそ本気にさせてやる。
あの時私に止めを刺さなかった事を……後悔させてやる。