36話 狡猾な毒牙(1)
アインの怒りは頂点に達していた。
盗賊の頭領がなぜ、黒鎖魔紋の災禍をシュミットの街に仕向けたのか。
その理由は、アインには二つほど見当が付いていた。
一つ目は、魔力を消耗しないため。
災禍の日は黒鎖魔紋を持つ者のもとに訪れる。
だが、周囲にいた無関係の人々が無事でいられるかといえば、そうではない。
襲い来る魔物の軍勢は、老若男女、悪人善人問わず喰らうのだ。
それを彼は利用したのだろう。
もとより、黒鎖魔紋の力は消耗が激しく回復が遅い。
多用できるような力ではないため、本来は災禍の日に備えて極力温存するはずだった。
だが、彼はその力を盗賊稼業に用いている。
災禍の日のために消耗してしまっては、その後の生活に響いてしまうのだ。
極力消耗を押さえるにはどうすればいいのか。
その答えが、シュミットの街を犠牲にすることだった。
隠密に長けていたからこそ、シュミットの惨劇を生み出した。
災禍の日は身を潜める程度では凌げない。
しかし、周囲に自分よりも目立つ存在がいればどうだろうか。
二つ目は、略奪のため。
廃墟と化したシュミットの街では、瓦礫の下に価値のある物が眠っている。
特に鍛冶師の多い街であるため、高額な武具などを後で回収することが出来るのだ。
災禍の日を利用すれば、むしろ自分の力を消耗せずに利益を得ることが出来る。
盗賊稼業をしている者ならば利用して当然だろう。
他者を犠牲にしてまで、盗賊の頭領は自分の利益を選んだのだ。
黒鎖魔紋を温存して災禍の日を乗り越えられたのだから、温存した力を存分に振るうことが出来るだろう。
その刃は、再び無辜の民に向けられてしまう。
黒鎖魔紋を抱えて生きている時点で、自分も同じなのかもしれない。
他者を危険に晒すかもしれないのに死を選ぼうとしないのは単なるエゴでしかない。
死にたくない。
アインにとってはそれだけだった。
黒鎖魔紋を抱えていようと、死ぬのは怖かった。
だから、禁忌を抱えて生きていくことを選んだ。
しかし、盗賊の頭領は違う。
黒鎖魔紋を得て、むしろそれを好機とさえ思ったのだろう。
現に彼は今、盗賊とは思えないほどの大規模な組織を率いている。
下手な討伐隊では返り討ちにあってしまうかもしれない。
だからこそ、自分が殺さなければならない。
アインは殺気を滾らせる。
自分を受け入れてくれた人たちを悲しい目に遭わせた男が憎い。
楽に死なせようとは思っていなかった。
自分の行いを後悔して泣き喚いても許さない。
恐怖を以て最大限の苦痛を味合わせるのだ。
そこまで考えて、アインの思考は立ち止まる。
果たしてこれでいいのか。
自分はそんな恐ろしいことをしていいのだろうか。
しかし、心の奥底から湧き上がる衝動が肯定していた。
相手は悪人だ。躊躇う必要はない。
心行くまで痛めつけてやればいいのだと、本性が囁いていた。
これは制裁だ。
気負う必要はない。
その過程で嗜虐的な欲求が満たされたとしても、それは報酬と考えればいいのだ。
アインは自分が酷く歪んでいることに気付いていなかった。
気づいたとしても、それで構わないと頷くだろう。
黒鎖魔紋を得てから今に至るまでの惨劇。
それは、温かい家庭で過ごしてきた少女には刺激が強すぎた。
気づけば森の奥深くまで来ていた。
以前ラースホーンウルフを討伐した森だ。
そして、その最深部に目的の場所があった。
森を抜けた先に岩壁が見える。
草陰に身を隠して様子を窺えば、洞窟の前に薄汚れた身なりの男が二人見えた。
腰に帯剣している姿から、見張りの盗賊であることがわかる。
あれは悪人だ。
情けや容赦は必要ない。
アインは槍を手に取ると、堂々と正面から姿を現した。
盗賊たちはアインに気付いたようだったが、その姿を見てもまるで警戒していなかった。
「よお、お嬢ちゃん。ここがどこか知ってて、そんな物騒なモンを持ってんのか?」
「コイツ、えらく上玉だぜ? 結構言い値で売れるんじゃねえか」
下卑た顔つきで、男たちは舐め回すようにアインを見る。
そんな彼らの視線を気にすることもなく、アインは歩みを進める。
「おい、てめえ止ま――ッ!」
言い終える前に、瞬時に距離を詰めていた。
剣を抜く暇さえない。
気づけば心臓を貫かれていて、見張りの男はそのまま絶命する。
槍を引き抜くと、アインは穂先から地に垂れる血を恍惚と眺める。
やはりこれが本性なのだろう。
漆黒の槍と赤い血のコントラストに惹き込まれるようだった。
何より、手に伝わる感触が心地良い。
魔物を狩る時は勝利の喜びだった。
今感じるのはゾクゾクするような背徳的な悦びだった。
ゾフィーを助けた時は覚悟が決まっていなかった。
しかし、今は覚悟が決まっている。
あとはこの時を愉しむだけでいいのだ。
もう一人の男は腰を抜かして失禁していた。
立ち上がろうにも力が入らず、恐怖で身動きが取れない。
辛うじて、震える声で叫ぶことが出来た。
「て、敵襲だッ! 助けてくれ! は、早く!」
男の叫びを聞きつけて、奥から盗賊たちが現れる。
その数は五十人ほど。
やはり異常な数だった。
これを放置してしまえば、多くの人々が苦しむことになってしまう。
だから、これは正しい事だ。
アインは笑みを浮かべる。
盗賊たちにとって、それは酷い悪夢だった。
狂気的な笑みを浮かべる少女が、たった一人で大勢の盗賊たちを殺戮していく。
泣き叫んで慈悲を請うても、その喉を槍で貫いて黙らせてしまう。
地に頭を擦り付けても、笑いながら頭を叩き潰してしまう。
恐ろしいことに、アインはまだ黒鎖魔紋を解放していなかった。
素の状態でこれだけの惨劇を生み出して見せたのだ。
それだけ、シュミットの街を廃墟にされたことへの怒りに満ちていた。
大勢の盗賊たちが、瞬く間に制圧されてしまう。
殆どが息絶えてしまい、僅かに生き残っている者も出血が酷くじきに息絶えることだろう。
異変を察したのか、洞窟の奥から頭領が姿を現した。
そして、愕然とした表情でその惨状を見つめていた。
「テメェ、あのときの……」
エミリアの馬車を襲撃した時のことを思い出したのだろう。
アインのことを警戒した様子で見つめていた。
「随分と腕が立つみてェだが……お前は運が悪い」
そう言って、男は黒鎖魔紋を見せびらかす。
常人ならば見ただけで逃げ出すだろう。
男は笑みを浮かべながらナイフを構えた。
「邪神に選ばれてンだよ、こっちは。テメェがどれだけ腕に自信があろうと、知ったこっちゃねェ」
盗賊の頭領はアインを如何にして生きたまま捕らえるかを考えていた。
手下を全滅させられてしまったのだ。被害を補うには、奴隷として売るしかないだろう。
見た目も整っており、腕も立つ。
彼からすれば、獲物が転がり込んできただけに過ぎない。
「俺はこの力で成り上がって来てンだ。テメェ、剣闘士って知ってるか?」
その問いに、アインは興味なさげに首を振る。
そんな様子に目もくれず、男は語り出す。
「剣闘士ってのは、金持ちが奴隷を殺し合わせるだけの下らねェ娯楽だ。毒牙のペドロって名前、結構有名なンだぜ?」
剣闘士は、相手が死ぬまで剣を振り続けなければならない。
盗賊の頭領――ペドロは、生きるか死ぬかの日々を生まれてからずっと続けてきたのだ。
その中で、生き抜く術を身に着けてきた。
「隙を見て飼い主様の首を掻き切って、ようやくここまで成り上がってンだ。テメェに邪魔されるわけにはいかねェ」
「……それだけ?」
「あァ?」
アインの問いに、ペドロは首を傾げる。
何が言いたいのか。
警戒した様子で問い返す。
「どういう意味だ?」
「遺言はそれだけかって聞いてる」
アインは右手の皮手袋を外して見せる。
そこには彼と同じ、黒鎖魔紋があった。
一般人が相手ならば、一方的に嬲り殺すことが出来ただろう。
生きたまま捕らえて奴隷として売ることもできたはずだ。
しかし、アインが黒鎖魔紋を持っているのは、ペドロにとって想定外のことだった。
「……テメェ、名前は?」
「アイン」
素っ気なく名乗ると、アインは魔槍『狼角』を構える。
ペドロの生い立ちに同情する点はあれど、悪人であることには変わりない。
そして何より、アインが彼を殺したいと思っていた。
アインは右手を翳し上げ、禁忌の力を解放する。
「我は邪神の使徒。全ては主の望むがままに、殺戮する――狂化」
それは、黒鎖魔紋の第一段階――解放。
漆黒の槍に、赤黒い鎖の魔紋が浮かび上がった。
そして、アインの表情が嗜虐的なものに変わる。
先ほどまでよりもさらに残酷で、悍ましい。
その強烈な殺意に、盗賊の頭領の額に汗が浮かぶ。
だが、彼とて黒鎖魔紋を持つ者。
同じ土俵で戦うだけならば、不利というわけではない。
過酷な人生を生き抜いてきた自信が、彼に勝利を確信させていた。
「殺せ、嬲れ、奪え、嗤え。我が主に、汝の全てを捧げよ――狡猾な毒牙」
ペドロが黒鎖魔紋の第一段階を解放する。
これまで戦ってきた相手の中で、アイゼルネを除けば一番の強敵だろう。
何より、邪神に選ばれた者同士での殺し合いは初めてだ。
黒鎖魔紋の力を宿した魔槍『狼角』を構え、アインは不敵に嗤う。




