34話 甘かった
シュミットの街の惨状。
一目見て、アインは何が起きたのかを察した。
黒鎖魔紋を持つ者は災いを引き寄せる。
シュミットの街に災禍の日を引き起こした者がいるのだ。
これまでのことを考えれば、その犯人が誰かなど考えるまでもない。
盗賊の頭領がシュミットの街に潜伏している。
そして、この街に己の災厄を他者に押し付けたのだ。
一体どれだけの人が命を失ったのだろうか。
「私の……私のせいで……」
森で襲撃を受けた時、アインは深追いせずに見逃した。
それは深追いすることの危険さや、自身も黒鎖魔紋を使わざるを得ないことを考慮しての判断だった。
だが、それ以上に命を奪うことを恐れていた。
ゾフィーを守るために盗賊を殺めた時の感触は、今でも忘れられなかった。
それは悪夢のような悍ましい、忌避すべき感情。
殺めることを快楽としてしまったならば、自分が人間ではなくなってしまう気がしていた。
「私が、殺さなかったから……」
自分が甘かったから。
そのせいで、罪のない人々が犠牲になってしまった。
人を殺める覚悟が足りない。
本能に身を委ねる覚悟が足りない。
狂う覚悟が、全く足りていない。
アインは呆然と、背負った槍を手に取った。
覚悟が決まったわけではない。
ただ、頭が混乱していた。
何も考えたくなかった。
全てを忘れるにはどうすればいいのか、アインはいつの間にか知っていた。
「我は邪神の使徒。全ては主の望むがままに、殺戮する――狂化」
それは、黒鎖魔紋の第一段階。
解放と呼ばれ、己の武器に邪神の力を宿すことが出来る。
代償として、己の内に秘めた本性が曝け出されてしまう。
だが、今はそれでいい。
何もかもを忘れるには、槍を振り回すことが一番いい。
アインの内では様々な感情が渦巻いていた。
だが、悩む必要はないのだ。
黒鎖魔紋を解放すれば、とても甘美な悪夢に浸れるのだから。
魔槍『狼角』に魔紋が浮かび上がっていく。
赤黒く脈動する、鎖状の魔紋だ。
嫌なことなど全て忘れ去って、心行くまで災禍の日を楽しめばいいのだ。
アインは嗤う。
大粒の涙を溢れさせながら、歪に嗤う。
「うあああああああああああああッ!」
アインは絶叫しながら駆けだした。
誰か一人でも、救うことは出来ないのか。
魔物を蹴散らしながら、街中を駆け回る。
誰かが生き残っている望みは薄かった。
魔物の襲撃から随分と時間が経ってしまっている。
災禍の日を生き残れるほどの冒険者は、シュミットの街にはいないのだ。
槍を振るう度に、手に伝わる感触が心地よかった。
心地よさが気持ち悪かった。
それでもアインは、その気持ち悪さを塗りつぶすように必死に槍を振るい続ける。
これが災禍の日。
常人では逃げ惑うことさえ許されない。
この街で知り合った様々な人の顔が浮かんでいた。
必死になって駆けていたおかげか、ついにアインは生き残りを発見する。
マシブが巨大な獣に今にも殺されそうになっていた。
「はああああああああッ!」
地を力強く踏み込んで――大きく跳躍する。
そして、落下の勢いを乗せて魔物の脳天を貫いた。
轟音と共に巨体が地に伏せた。
視線を向ければ、マシブが愕然とアインを見つめていた。
「大丈夫?」
「ああ、助かったぜ……」
マシブはほっと胸を撫で下ろす。
アインが来るまで耐えきることが出来たのだ。
だが、アインの表情を見て、マシブは固まってしまう。
アインは酷い表情をしていた。
本人は笑っているつもりなのだろう。
口角が上がっていたため、辛うじてそれが笑みだと理解できた。
「他のみんなは?」
「ゾフィーはあっちの瓦礫の所だぜ。ラドニスも近くに身を潜めてるはずだ」
「わかった」
二人は場所の分かっているゾフィーと先に合流する。
彼女は驚いたような表情でアインを見つめていた。
「アイン、どうやってここまで……」
常識的に考えれば、あの魔物の軍勢を突破してここまで来られるはずがなかった。
万全の状態であっても、ゾフィーは自分に同じことが出来るとは思えない。
だというのに、アインはここまで辿り着いたのだ。
目立った外傷もない。
魔力欠乏に陥っているわけでもない。
アインは平然と、魔物の軍勢を突破してきたのだ。
どこにそれだけの力が秘められていたのか。
ゾフィーはアインを見つめる。
確かにブロンズの冒険者とは思えないほど腕が立つとは思っていたが、それでもこれは異常だった。
「マシブはゾフィーと隠れてて。私はラドニスさんを探してくるから」
「ああ、分かったぜ」
マシブは了承する。
だが、ラドニスを探しに行こうとしたアインをゾフィーが慌てて引き留める。
「ちょっと、さすがに一人じゃ危ないって! せめてマシブを連れて行った方が……」
その言葉はアインの身を案じてのことだったが、アインは首を振る。
「連れて行ったら、巻き込んじゃうかもしれないから」
アインは黒鎖魔紋の力を解放している状態だ。
第二段階よりも理性が働いているが、第一段階の解放だけでも周囲のことが見えなくなってしまう。
いつの間にかマシブを殺めてしまうかもしれないのだ。
アインは二人を置いて、魔物を蹂躙し始めた。
廃墟となってしまったシュミットの街を駆け、狂ったように槍を振り続けていた。
どれだけの魔物を葬っただろうか。
アインが気づいた頃には、いつの間にか夜が明けていた。




