影の皇子、ユリウス 覚醒
「――断頭台の刃は、一瞬で落ちる。怖がる暇などない」
吐き捨てるように放たれた言葉は、処刑台の下で震える幼い姉弟へ向けられたものではなかった。
断頭台の脇、血と泥に汚れた石畳の上に佇むユリウス自身のつぶやきだ。
頭上で、鈍い金属音が響く。
重い刃が滑落し、冷たい雨の混じる湿った空気を断ち切った。
ドスン、と重い音が響き、群衆から獣のような歓声が巻き起こる。
「見よ! これぞ反逆者、愚か者の末路だ!」
司祭たちが、両腕を突き上げて叫ぶ。
ユリウスは、その光景から一瞬たりとも目を逸らさなかった。
淡い灰青色の瞳が、冷ややかに、ただ静かに血だまりを映し出している。
彼が身にまとうのは、教会の重厚な白いローブだ。
袖口や裾には、帝国を統べる皇帝の聖百合の紋章が、極細の銀糸で細密に刺繍されている。
白、銀、そして淡い青。
血と煙と汚物に塗れた帝都の黒い雨の中で、ユリウスの姿だけが、まるで祭壇画から抜け出してきた聖人のように浮き立っていた。
「見事なご差配でございます、ユリウス様。これで反帝国派どもへの見せしめとなりましょう」
隣に並ぶ枢機卿が、揉み手で笑みを浮かべた。油ぎった顔に、優越感がにじみ出ている。
ユリウスは答えず、ただ右手に嵌めた白い手袋の指先を、微かに噛んだ。
(……ノルド子爵家、姉のアリス、弟のルーク)
心の中で、今しがた首を跳ねられた幼い姉弟と、その一族の名前を刻む。一人残らず、覚えている。この五年間、自分が署名し、首を落とさせた全員の家系と名を。
手袋の中で、爪が皮膚を深くえぐった。激痛が走るが、顔の皮膚一枚すら動かさず感情を殺す。
優しさは弱さだ。そう教え込まれてきた。
しかし、
『――泣くことは恥ではない。泣いたあとに立てればよい』
脳裏に、あたたかな声が蘇る。
胸元、儀礼服の重い襟の裏側に、小さな硬い感触があった。
古びた一本の飾り紐。
かつて、雷の鳴る夜に自分を自室に泊め、小さかった背中を抱きしめてくれた母は違えど実の兄
――皇太子レナースがくれたものだ。
八歳で城を追われたあの日から、この一本の紐だけが、ユリウスを現実へ繋ぎ止める鎖だった。
(兄上……。僕は、あなたの愛したこの国を、こんな形でしか生かせない)
皇帝ルドルフ16世が、実の弟ライオスに討たれて五年。
簒奪者ライオスが新皇帝として君臨したものの、帝国の統治は崩壊していた。
地方の領主たちは群雄割拠して牙を剥き、帝都の治安は極限まで悪化。
巷には盗賊と飢民があふれ、毎日誰かが死んでいた。
虐げられた民衆と、追い詰められた先帝派。
彼らが救世主として担ぎ上げたのが、教会勢力を後ろ盾に立つ「正統な先帝の血脈」、第二皇子ユリウスであった。
側室の子として生まれ、幼き日々を皇城より追放され教会で育った、影の皇子。
つづく




