第一話「煌日」①
ロディには、天下を取った記憶がある。
もっとも、本人には天下などどうでもよかった。
朝から開拓村の耕作地で汗を流していたロディが鍬を放り出したのは、村の入口に見慣れない荷馬車が二台止まったからだ。幌の隙間から槍や剣の柄が何本も覗いているのを見つけた瞬間、足はすでに動いていた。
「ロディ!」
背後から追ってくる父親の怒声に、ロディは振り返りもせず手を振る。
「ちょっと見てくるだけだって!」
「その台詞で戻ってきたためしがあるか!」
痛いところを突かれたので聞こえなかったことにし、泥を跳ね上げて広場へ走る。二台の荷馬車を何人かの村人が遠巻きに囲んでいた。
「お、坊主。朝から元気だな」
荷台から木箱を下ろしていた男が、日焼けした顔で笑った。腹の出た中年の商人だ。
「武器商人か?」
「武器『も』扱う、だ。鍋も針も塩もあるぞ」
「鍋は間に合ってる」
「お前が使うかどうか聞いてねえよ」
呆れる商人を横目に、ロディはつま先立ちで荷台の奥を覗き込んだ。
剣、槍、短剣、手斧。手入れの行き届いた新品もあれば、刃こぼれを研ぎ直した中古品もある。一本ずつ眺めていったが、胸が躍るほどではなかった。
「なんだ。思ったより普通だな」
「勝手に覗いといて失礼な奴だな、お前」
「もっとこう、見た瞬間に欲しくなるようなのねえの?」
「そんな掘り出し物があったら、こんな村まで運んでくる前に大きな町で売れてるよ。ここはついでに寄っただけだ」
「そりゃそうか」
ロディはあっさり納得した。
高く売れる物は需要の大きい場所で捌く。村へ持ち込まれるのは、日常的に使う生活道具か、どこへ行っても値打ちを決めかねる品だ。
そういう勘定が、ロディの頭にはごく自然に浮かぶ。
豊臣秀吉。
ロディの頭には、生まれる遥か以前、そもそもこの世界ですらない場所で百姓から天下人まで成り上がった男の一生が残っている。
幼い頃は自分がその男なのではないかと悩んだこともあったが、今では違うと分かっている。秀吉は秀吉。ロディはロディだ。ただ、使える知恵まで捨てる理由もない。
「……だったら、売り物じゃない方か」
「ん?」
「高く売れる武器は途中で売る。ここまで残ってるのが普通の品なら、逆におっちゃんが売り物にする気のない武器の方が面白そうだ」
商人の手がピタリと止まった。
「あるな?」
「ねえよ」
「今、間があったぞ」
「ねえって」
「目ぇ逸らした」
「うるせえな、このガキ!」
商人が払うように手を振った拍子に、荷台の奥、積み上げられた木箱の陰に布で包まれた細長い物体が見えた。商品なら他の武器と一緒に並べればいい。それだけが隠すように隅へ押し込まれている。
ロディの目が細くなった。
「おっちゃん」
「なんだ」
「あれ」
「駄目だ」
「まだ何も言ってねえよ」
「顔に書いてある!」
商人が慌てて荷台へ上がった。
隠されれば見たくなる。止められれば欲しくなる。ましてやロディは、自他ともに認める欲深だった。
「見るだけ!」
「駄目だ!」
「減るもんじゃねえだろ!」
「お前の場合、見せた後が面倒そうなんだよ!」
荷台の縁に手をかけたロディの襟首を、商人が掴む。首元が詰まって「ぐえっ」と声が出たが、ロディはそのまま荷台の隙間に足をねじ込んだ。
「分かった、分かったから! せめて何なのか教えてくれよ!」
商人は困ったような、少し重い顔でロディを見つめ、諦めたように手を離した。
「……刀だ」
「カタナ?」
「東の方で使われてる武器らしい。剣に似てるが、片方にしか刃がない」
その単語だけは知っていた。秀吉の記憶に嫌というほど残っている。ロディの視線がもう一度、布包みへ向かう。
「見せてくれ」
さっきまでより声が低くなったからか、商人は息を吐き、荷台の奥から細長い包みを引っ張り出した。
「見るだけだぞ」
「おう」
「売らねえぞ」
「分かったって」
「触るなよ」
「注文多いな」
「もう帰れ」
「悪かった!」
商人は渋々、布を解いた。
現れたのは、拍子抜けするほど地味な刀だった。鞘は黒。柄も暗い色でまとめられ、豪華な装飾も宝石もない。
「……地味だな」
「お前が見せろって言ったんだろうが」
ロディは顔を近づけた。
鞘と鍔の境目に、ごく細い金色が見える。飾りではない。黒の下に隠すように、黄金の意匠が刻み込まれている。
「抜いていいか?」
「触るなっつっただろ」
「じゃあ、おっちゃんが抜いてくれ」
「……ったく」
商人が柄へ手を掛け、鞘から刃を滑らせた。
その瞬間だった。
朝日を反射しただけではない。刀身そのものから、ほんの一瞬だけ淡い金色の光が流れた。刀身と目が合ったかのような錯覚に、ロディの目が見開かれる。
「……おっちゃん」
「なんだ」
「これ、名前は?」
「《煌日》」
「コウジツ……」
ロディはその名を口の中で転がした。
地味な刀だ。何ができるかも、どれほどの価値があるのかも分からない。
なのに、さっきまで並んでいたどの武器とも違って見えた。もっと見たい。触りたい。振ってみたい。こいつがどんな戦いをしてきたのかが知りたい。
「おっちゃん」
「売らねえぞ」
「まだ何も言ってねえだろ」
「だから顔に書いてあるんだよ!」
ロディは満面の笑みを浮かべた。
「俺にそいつを売ってくれよ!」
「駄目だ!」
「いくら?」
「金の話じゃねえ!」
商人は《煌日》を鞘へ戻した。
「こいつはな、持ち主を探してる」
ロディの笑みが止まった。
「……どういう意味だ?」
「前の持ち主が死ぬ間際に言ったんだよ。――この刀を、自分より強い奴に渡してくれってな」
商人は続ける。
「それとな。こいつは誰が振っても同じ刀じゃねえ。戦った分だけ、持ち主の手に馴染むそうだ」
商人は刀を見下ろした。
「前の持ち主が言うには――まだ、育ちきってないらしい」




