鯨取り
家貞さんへの事前の準備も完了したところで、俺は今日殿中へと着ていく衣冠を試着している忠盛公の元へとずれ、家貞さんとの謀について説明した。その場にいたのは忠盛公の他、忠正、それから試着を手伝っている平次だけだ。この二人に関して言えばこのことを他言しないだろう、と俺は思っているからスルーした。上からもの言ってるな−と思うかもしれないが、俺としてはなるべく信用できる人間にしかこのことは話したくないのだ。
もしバレれば最悪忠盛公は殺されるだろうし、そうなれば平家は空中分解。日本史に初めて誕生した武家政権を作ったのが平家である、という歴史もなくなってしまう。それどころか、このあと続く武士の勢力、鎌倉時代や室町時代、戦国、江戸の各時代における武士の闘争の歴史だってなくなってしまうかもしれない。それくらいにここで、いやどの場面においても清に家督を継がせるまでに平忠盛という人間が死んでは後の歴史においてこれまでにない狂いが生じてしまう。
そうさせないための謀だ。それを真摯に、心から説明すると忠盛公は二つ返事でオーケーしてくれた。そもそも、断れるとは思ってはいなかったからよっしゃー、とは言わない。殿中に刀を持ち込まない、というルールは守っているから誰も文句は言えないはずだ。刀じゃん、と言われても実はこれ−で済ますことができる。完璧だ。あとは下手人共が勘違いすることに賭けるだけだ。
「しかし、三条。その策において使うものは……」
「ただいま、家貞様が用意しておられます。大殿がご出立なさるまでには仕上がると思われます」
忠正の質問に俺は淡々と応える。それで納得したのか、忠正はふむと頷く。とくにこれ以上追求することもなかったのか、それ以上忠正は話に入ってくることはなかった。
「三条の言うことは理解できる。私を気に入らない、と思う。貴族共が私を排除するというのもな。だが、いかに貴族とて殿中に刀を持ち込むなどということは考えないはずだ。それは畏れ多いことであり貴族共も理解をしているのではないか?可能性がない、とは言わん。しかし、そのような損な役回りを引き受けるようなものがいるのか?」
忠盛公は眉間にしわをよせて当然の疑問を口にする。これには俺も口をへの字に曲げるしかなかった。俺だって未来が読めるわけじゃない。でも、できれば下手人が現れてくれたほうが助かる。でなければ俺が清に親父さんの本当の姿を見せる、的な約束が守れなくなってしまうからだ。だから臣下としてはとてもありえないことだろうが、俺は忠盛公が襲われることを望んでいるのだ。
「非常に答えづらい問いですな。そもそも、これは用心というものなのです。下手人が押し寄せた場合、忠盛公が刀を帯びていることを知れば少なからず臆するでしょう。武器なしを相手に下手人をするくらいですから自分たちの命は惜しいでしょうしね。ゆえに……」
「ゆえにか。まこと、先を読むな。まるで星占術のようだ」
傍目には賛美しているように聞こえるだろうが、これはかなりの皮肉だ。忠盛公は俺が未来から来た、というのを知っているからわざと褒めているんだ。実際には未来の知識だよりの奴め、と卑下しているに違いない。
「ありがとうございます。では、私はこr……」
「父上!内裏へ赴くとは真でございますか?」
その時、タイミングよくか、悪くか。清が部屋の中に殴り込みをかけてきた。突然の出来事に忠正は目を見張って即座に彼女に掴みかかろうとした。しかし、それを忠盛公が制して彼女へと遠い瞳を向けた。
「何の用だ、清盛」
「父上。よもや、死ににいくおつもりではありませぬでしょうな?」
それはいくらなんでもストレート過ぎる。いや、今ここに飛び込んで来たばかりなら清は飾り刀の中身を知らないからそう思っても仕方ないか。彼女にはまだ全貌が見えていないのだから。
「死ににいく?私はただ内裏へと出向くだけだぞ?よもや、内裏で私が殺される、とでも疑っているのか?」
とぼけてみせる忠盛公に清はさらに激昂した。その辺はもう昨日のアレとは想像もつかなかったので俺は途中で耳をふさいで何も聞いていないことにした。忠正が忠盛公をのけて清に掴みかかろうとしたが、それを控えていた平次が必死で止めているところを見るに、よほどのことを言ったのだろう。
ひとしきり、清が叫び終わったところで、俺が耳から手を離すとまた忠盛公が口を開いた。
「清、いや清盛。そのようにしてお前はただ当たり散らすが、それがなんの役にたつ。いや、そればかりではない。お前は京では狼藉をし、そのたびに検非違使共の厄介になっていたな。それでもお前がこうやって公の御前にて歩いていられるのは何故かわかるか?それはこの場にいる人間が必死にお前の狼藉の責を負っておるからだ。
新参である三条ですら昨夜、お前の私に対する暴言を諌めなかった責を負って、忠正より罰を受けた。いわんや、私や忠正、家貞その他多くの平氏一頭がこれまでどのようにしてお前を庇い立てしてきたか。お前には想像もつくまい。ただ、己の我欲だけを考え己の思い通りにならなければ怒りを高ぶらせるだけのお前にはな」
「ですが、父上!これとそれとは話が違います。もし行くというのならば……!」
そう言って清は自分の持っていた剣を忠盛公へと突き出した。この剣を持っていけ、という意味だ。しかし、忠盛公は首を縦には振らなかった。ただ、殿上への帯刀は禁じられている、と言っただけだった。
「そうですか!では、父上は!父上は本当に武士の気高き魂を失われたのですね!あのような無様を晒されてなお、ヘラヘラ笑って舞を舞って!また酒を投げられ、バカにされ!それでも何もせず。笑いものされるだけの殿上人という地位がそうまでしてお好きなのですね!」
「清、それは言い過ぎだ。忠盛公だって……」
「うっさい!あんたみたいな新参があたしに口答えするな!そもそも、父上が問題なのよ。あんなことされてなんで怒らないのさ!あいつら、父上が反撃しない、と思って調子に乗って……!」
「落ち着け!ここでお前ががなりたてても何にもならない!お前はまだ、地位も、権力も、武力も、何もない。ただの子供なんだ。元服しようが、何しようが。まだ子供なんだよ!」
腹が立っていた。無性に腹が立った。彼女の物言いはまるで赤子だ。赤ん坊が下手に知恵を付けただけのものだ。まるで電車の中で泣きじゃくるだけのわがままな三歳児を見ている気分だ。親の言うことなんてまるで聞かない。それもこんな成長して聞かないなんて、どこの不良だ。もう我慢できない。
彼女の胸ぐらをつかんで俺はまくし立てた。
「おい、清。言っておくがな。お前何か?お前があの場で起こったら万事解決できた、とでも言いたいのか?えぇ、おい。お前があの場で何しても、大殿が何をしてもあの場では結局笑われるのがオチだったんだよ。あの宴はそのためのものだったし、大殿も途中からだろうがそれを理解されていた。少し頭を使えば誰にだってわかることなんだよ。
わかんなかったのはお前と、実定公くらいだ。腹芸もできないでなぁに偉そうな講釈垂れてんだ。お前なんて平家の出っていう身分をなくせばただの暴力しかない餓鬼だろうが。んなものがいちいち大殿の決定に口出ししてんじゃねーよ。わかったか!」
場が呆気にとられていたのを感じた。特に平次などは自分の姉が怒声を持って叱られているのを見るのが初めてなのか、目をパチクリとさせていた。忠正はひゅーと冷やかすように口笛を吹くし、忠盛公はどこか険しい顔をしていた。俺も怒鳴り散らした後で自分の言ったことを後悔していた。これじゃぁ、清の心を正道からはずさせるだけで、なんの解決にもなっていないじゃないか。
「なに、それ。あんたも親父殿の味方なわけ?誰も……誰もあたしの……味方はしてくれないわけ?」
気がつけば清は涙目で俺を睨んでいた。そこにはいつものような覇気はない。そこにいるのはただの少女だけだった。とても愛らしく、まだ世間は自分の思い通りになる、そう夢想している子供のような和やかな表情。真珠大の涙をこぼして、彼女は顔を歪ませた。あ、やってしまった、と思った気には手遅れで俺の手からスルリと清の服が落ちた。
そのまま、清は出ていく。彼女は俺のせいで傷ついた。俺が傷つけてしまった。これ以上ないほどに自分の無力さを押し付けて、傷つけてしまった。
「憎まれ役を押し付けてしまったか?」
「いえ、多分これが運命なんだと思います。俺が介入したことで生じた、自身の無力さへの嫌気。それがあいつを成長させるには必要だった。俺はまだ十七年くらいしか生きていない若造ですが……なんで彼女にあんな強くものが言えたのかな?」
「お主も飢えているのではないか?誰かのために生きる、という生き方に」
それは……果たしてどうなのだろうか?物心ついた時から家族は出張が多かったし、俺は一人だったからな。俺は、
「何が欲しいんでしょうね……?」
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