平忠正
翌日、俺が目を覚ますともう太陽は真上に登っていた。唯一の窓?から見えた太陽が俺の胸辺りを焼いていたので、起きてすぐはどこか胸が暑かった。視線を少し泳がせれば、茜もまだ寝ている。正午近くだからもう起きろよ、とは思うけれど起こしてもまた昨日みたいに暴れられたら面倒なので、ここはパス。そもそも、茜は主に茜ミサイル(鉄砲玉)として使うことに意味があるので、頭を使うのにはあまり向いていない。
俺が向かうのは清のところだ。昨日の忠盛公との会話の内容を清に伝えなければいけない。宴に清を呼ぶんだからそれなりの意味があるはずだ。その理由は俺の知るところではないが、とにかく清には伝えなくちゃいけなかったので、屋敷の中を探しているわけだが……これがまたいっこうに見つからなかった。そもそも、清がこの屋敷のどこで寝泊まりしているのかもわからなかった。
「ったく、昔の武士の屋敷ってどうしてこうも広いかな?わかりますよ?そりゃ、大きい屋敷に住んでりゃ格式とかもあるんでしょうよ。でもね、もう少し機能性を考えてもよろしんじゃないですか?それにここに住んでるのって平家一門でも限られた人間でしょ?昨日見た警備の武士団もいないし、ほんと無駄の大きい家だな、ここは」
「無駄が多くてわるかったのぅ」
俺が昨日忠盛公からもらった脇差しをいじりながら悪態をついていると、唐突に物陰からぬそりと黒い直垂を着た無精髭の男がはいでてきた。その男は萎烏帽子を持ち上げると、ちょっとだけ膿んだ目で俺に視線を向けた。
「なんじゃ、清の家人か」
ぶっきらぼうにそう言ったのは昨日清を叱責した平忠正だ。昨日の夜お開きになった後、またひとりで飲み直したのか、頬が紅葉していた。それにどこか酒臭くて近寄りたくもなかった。正直、今ここで数メートル離れてファブリーズで消臭したかった。可能ならニンニク、お酒の匂いを消すなんとやらも使いたい。それくらいに臭かった。
「どうしたぁ?清でも探しているのか?」
この人、酔ってんのか酔ってないのかわからないな。まず間違いなく酔ってるんだろうけど、それでいて勘は鋭いからやりにくい。
「そうです、えっと……忠正様はご存知でしょうか?」
「知らん。わしがなぜ知ってなければならん。あんな”えやみ”の居場所など知りたくもないわ。だいたい、なんであんなものにおぬしも着いて従う?幼少期を共に過ごした鱸丸はともかくとして、ぬしらはつい二日前にあの娘に拾われたばかりではないか」
心底理解できない、とばかりに忠正は首をひねった。俺は目をそらしながら、忠正の問いに黙秘する。応えてもこの酔っぱらいとはまともに会話できるか知らない。それよか、このまま別れたほうがはるかに楽だ。もし、何か癪に障ることを言ってしまったら、酔っぱらいは迷わず俺を斬るだろうし、今は茜がいないから守ってくれる人もいないのだ。
「ふぅm,それにその珍妙な出で立ちよ。なんじゃ、その棒のような服は?それでは刀も腰差せず、まるご……ん?おい、その手に持っている脇差しはもしや、兄上の脇差しか?」
「え?ああ、はい。昨夜大殿が……」
「この愚か者がぁ!」
はい?気がついたら忠正は指を丸め、俺に強烈なデコピンを食らわしていた。デコピンが痛い、と思ったのはこれが人生で初めてかもしれない。意識が後ろへと飛び、反対に身体は前へ前へと引っ張られた。体勢が崩れ、俺は数歩後ろへと後ずさる。そしてなんでデコピンを食らわされたのか、冷静に考えた。
「この愚か者がぁ!なにゆえ、兄上がその脇差しをぬしにわたしたかも考えずぞんざいに扱いおって!良いか?武士の棟梁がその身のものを臣に与えるというのはな、そのものを生涯信用し、忠の臣として扱うという意味じゃ。決して、無下に扱うなよ!」
しかし、俺が考えるより先に忠正が起き抜けに俺を怒鳴りつけてきた。無精髭が逆立ち、眼球はポップコーンのようにひん剥かれている。歯同士が互いに押し付け合い、歯茎からは血が流れ出す。これが本物の激怒、というやつか。怖い、怖すぎる。
「も、申し訳ございませんでした!」
「わしに謝るな!謝るならば兄上に謝れ。――尤も、今この屋敷にはおらんがな!」
忠正は慌てて謝る俺を鼻で笑いながら嫌味たらたらにそう付け加えた。ただし、不快感とかはない。嫌味を言われて不快感を持たせない、というのは案外にすごい才能かもしれない。
「大殿は今どちらへ?」
「そんなものは決まっておろうて。朝廷でのお役目よ。わしは今日は特にといった仕事はないが、兄上はほれ、万に通ず、いといみじき御方。朝廷でのお役目がないわけがない」
忠盛公を語る忠正の顔はどこか誇らしげで、声の重みからも心底兄を尊敬している、というのが二人を知らない俺からもすぐに判別できるほどだ。それに俺が清の家人だからと言って別に意地悪をするようなこともしてこない。普通嫌っている人の部下とかなら意地悪してやろう、とか思うんじゃないんだろうか?
「あの、忠正様……」
「――そうじゃ、おぬし今はひまか?ひまであろう。酒でも飲まんか?一人で酒というのもつまらないもの、だれかともに飲める相手を……いや、やはり昼間から酒はやめたほうが良いな。身体に害をなさんとするかもしれん」
そう言って忠正はまるで猿芝居でもするかのように、いや朝の日差しはまこと身体に染み渡るわ、と庭に出て伸びを始めた。さっきまで酒飲もうぜ、と言っていたおっさんが逆に酒はいかん、と言い出して正直とても胡散臭いと思った。
ちょうどその時だ。チリン、と鈴の音が鳴った。その音に反応して、俺と忠正は同時に振り返る。その時の忠正の顔と言ったら、生徒指導の教員に会った不良生徒、みたいな面で滑稽過ぎた。なるほど、この人が遠目にでも見えたから酒を飲むのをやめよう、と言ったわけか。
その人、白い着物に身を包んだ廊下に髪が着くくらいに長い黒髪の麗人は手に鈴を持ち、とても和やかな微笑みを浮かべて俺たちへと歩いてきた。




