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二章終章 陽光


 一人一階に下りてきた健吾は、何の気なしに台所へ入ると、ゆっくりとした挙動で椅子に腰かけた。その動きには弱冠十六歳の若々しさは見られず、どこか老けて見えるものだ。


 「……疲れた」


 まだ九時過ぎだというのに、既に心身ともに疲労が溜まっている。朝っぱらからひどい目に遭い、姉と妹の再会の場に立ち会ったのだ。元気を出せと言われても、出せる元気は底をついている。


 今朝の事態は、すぐにでも報道されるだろう。どの程度の内容が語られるかは分からないが、少なくない被害が出たことくらいは報じられるはずだ。そうなれば、東京で単身赴任中の母、幸子が心配するだろう。余計な心配を掛ける前にこちらから連絡してしまおうとズボンのポケットからスマホを取り出したところで、緑色のアイコンのメッセージアプリに複数の通知が来ていることに気付いた。


 「璃那からだ」


 送信者の名を呟きつつアプリを起動すると、会話形式の画面に変わり、三文のメッセージが書き込まれている。


 『無事ですか?』


 『普段西島さんが使われている駅の近くみたいですね、現場』


 『落ち着き次第、連絡いただけると嬉しいです』


 簡素な文面でありながら、心配してくれていることがこちらへの気遣いと共に伺える。


 そのことへ感謝しながら、かといって文面で根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だったので、とりあえず無事であることだけを伝え、詳細は伏せた。何か匂わせるようなことを書いてしまえば、きっと色々と聞いてくるだろう。


 真からも連絡が来ていたようなので画面を切り替えると、『今日休校だって』の一言である。健吾としては学校があったとしても行けない状況なので、どうでもいいと言えばどうでもいい情報だ。健吾が巻き込まれたと思っているのかいないのか、心配しているのかいないのか判別のつかない文面だが、そういうところも含めて真らしいのかも知れない。


 適当に返信し、幸子へのメッセージを考えて送信していたら、あっという間に三十分程度が経過していた。


 健吾が時間経過に気付いたのは、台所の引き戸を開ける音がして顔を上げたからだ。


 「すまんな健吾、部屋を占領してしまって」


 入ってきた穹良が一声詫びを入れ、健吾の上面に座る。台所に下りてきたのは穹良一人らしく、こうして二人きりで向かい合うと妙な緊張感に包まれる。と言っても健吾が勝手に緊張しているだけだ。


 「改めて礼を言わせてくれ。ありがとう。お陰で、かがみと和解できた」


 「いや、俺はなんにも出来てないよ」


 実際何も出来ていない訳だから謙遜でも何でもないのだが、お礼を言われると素直に嬉しい。一方でお礼を受け取る資格はないことも重々承知の上なので、顔には出さないように注力する。


 「こっちこそ、かがみを助けてくれてありがとな。俺だけじゃ守れなかった」


 「言ったろ、私の妹でもあるんだ。年長者である私の力は下の姉妹を守るためのもの。当然のことをしたまでだ」


 あくまで飄々と話しているが彼女の力は災害並みのものだ。その反動で二対のうち一対の羽を失っているが、彼女がどれほどの力の持ち主なのか、目の当たりにさせられた。零式を保有している時点で相当の力を有していることは頭では分かっていたが、いざ目にすると畏敬と畏怖の念を抱いてしまう。二人の間には、圧倒的な力の差があることを実感した。


 そんな健吾の心中を知ってか知らずか、「そう言えば」と穹良がおもむろに口を開いた。


 「制服、ボロボロだろ。直してやるから、ここに持ってこい。かがみのもな」


 言われて、先日叩き壊した健吾の机を目の前で直した穹良の姿を思い出す。あの芸当を、また見せてくれるということだ。


 了承の旨を口にし、健吾は二階に駆け上がる。そして自室のドアを開けると、なぜかまだ暮月とかがみが雑談に興じていた。


 「かがみ、制服着替えて来い。穹良が直してくれるってよ」


 「え、ほんと?」


 疑問符を口にしするかがみの顔には、健吾の発言の意味が分からないといったような表情が浮かんでいる。だがすんなりと応じ、かがみは自分の部屋へと向かった。


 「俺も着替えるからさ」


 まだ残っている暮月にも声を掛けるが、彼女はきょとんとした顔をしただけだった。


 「どうぞ?」


 部屋を出てくれというメッセージは伝わらなかったらしい。


 「いや、ズボン脱ぐしさ」


 そこまで言って、ようやく暮月は健吾の言わんとしている意図に気付いた。が、気付いたからと言って暮月がこの部屋から出て行く理由にはならないらしい。


 「ああ、気にしなくていいんよ。にいにのパンツは見慣れてるん」


 「いや、俺が気にしてんだよ」


 見慣れている、とはいささか聞き捨てならない台詞だ。もちろん暮月やかがみの前でパンツ姿で歩いている訳ではないし、見慣れるほどパンツ姿を晒している訳でもない。


 「でもこの前まで、夏のお風呂上りとかはパンツとTシャツだったんに」


 「この前っても、小学生のころまでだろ」


 「うちにとってはそれでもちょっと前の話なん」


 時間感覚には個人差があるから、互いの異なる「この前」の話をこれ以上しても仕方がない。とは言え、暮月が目の前にいるまま着替えるのも気が引ける。お互い思春期なのだし、少しは気にしている健吾の気苦労にも気付いて欲しいものだ。


 そう思っているものの、当の暮月はまだ思春期を自覚していないのか、健吾の前でも平気で着替える。下着姿はおろか、裸すら気にしないのだ。同い年のかがみはかなり気にしているようだから暮月も多少は気にするのかと思いきや、いつまでも気に掛けていない風だ。昨日も風呂場の脱衣所の扉も閉めずに着替え、かがみに注意されていた。


 「いいから、ちょっと出ててくれよ」


 「そんなに恥ずかしいなら、後ろ向いててあげるん。ほら、これでいいん?」


 健吾のベッドに腰かけながら、暮月は窓の外へと顔を向ける。お互いにとってベストな選択ではないが、ベターな選択ではあった。そう認識した健吾は小さく溜息を吐いたのち、着替え作業に取り掛かった。


 暮月が自分に懐いてくれていることは嬉しいし、彼女が可愛いことは間違いない。おそらく世間一般の兄からしてみれば、羨望の的と言っても過言ではないだろう。ましてや、血が繋がっていない。これはもはやアニメやドラマの設定かと思われるかもしれないが、紛れもない現実なのだ。


 可愛い義理の妹が、愛らしい声で兄の名を呼ぶ。世の男子諸君なら、その多くが望み、そして叶わない状況である。それをほしいままにしている健吾だが、その状況ゆえの悩みというものも健吾にはある。


 距離感が近すぎるのもどうなのか、という問題だ。避けられるよりはマシなので解決を先延ばしにしてきたが、今のように一般的な羞恥心とかけ離れた彼女の態度に直面すると、どうしても考えてしまう。


 今も健吾は、漠然と「このままでいいのかな」などと考えながら手を動かしていた。考え事をしているときは行動が緩慢になることもあり、まさに今、ようやくワイシャツを脱ぎ終わったところだ。そしてベルトのバックルに手を掛け、ズボンのホックを外して下げたその時である。


 「おいまだか、かがみはとっくに――――」


 唐突にドアを開けた穹良と、上裸中腰でズボン脱ぎかけの健吾の視線が交わる。そのまま双方固まること三秒、状況を理解して顔を赤らめた穹良は勢いよくドアを閉め、「じゃ、邪魔したな」と廊下で呟くのが聞こえた。


 腕力の調整に失敗したらしく、壊れたドアが音を立てて傾く。蝶番の部分がお釈迦になったらしい。


 「ほら、うちの事なんて気にしないでさっさと着替えちゃえばよかったんに」


 そう言う暮月の顔は、どこか楽し気だ。対照的に健吾は、表情を硬直させたままである。


 「……見られた」


 「ドンマイなん」


 暮月に慰められているということ自体が救いようもなく恥ずかしいのだが、このままパンツ一丁でいる訳にはいかない。早々に私服に着替えると、魂が抜けたような顔をしながら部屋を出て行った。






 「どしたの、二人とも」


 軽く俯く頬はまだ赤い穹良と、半ば放心状態の健吾を見て、先に台所で待っていたかがみは二人の顔を交互に見る。


 「「なんでもない」」


 台詞が完全に被った辺り、なんでもない訳はないのだが、その訳を無理に聞き出そうという気はかがみにはない。今のかがみにとっての重要事項は、本当に制服を直してもらえるのか、という一点に尽きる。


 「では始める。二人とも、制服をテーブルの上に置いてくれ」


 わざとらしく咳払いなどしてから、穹良は演技っぽい口調で健吾とかがみに目を向ける。二人は指示された通り、テーブルの上にそれぞれの制服を広げて置いた。


 健吾の部屋に残っていたと思われた暮月も姿を現したところで、穹良が背中から二対四枚の純白の羽を顕現させる。羽根の隙間から溢れ出る竜力の粒子が二人分の制服の上に、まるで牡丹雪が積もるかのように優しく積み重なっていく。そしてスッと生地になじみ、服全体が蛍光緑に光ったかと思うと、一瞬表面がぐにゃりと歪んで見えた。次の瞬間には光が弾け、卸したてと見紛うほど綺麗に修繕された制服がそこにはあった。


 「終わりだ」


 静かに告げゆっくりと羽を仕舞う穹良の両脇から身を乗り出し、健吾とかがみはそれぞれの制服を手に取る。


 アスファルトに擦れ、泥汚れが付いていたとは思えないほど見事に修繕されている。


 「おお、すごいな」


 「新品みたい」


 感嘆の声を上げる二人の視線を受けて、穹良は少しだけ得意げに胸を反らす。暮月も直った制服に触れ、「わあ」と声を上げた。


 「前も思ったけど、これどうやってるんだ?」


 健吾の真っ直ぐな視線を受けて、穹良は出来るだけ簡潔に説明できるように思考を回す。


 「竜力は万物の元になり得る力を持っている。物質の三態を操り、化合も分解も出来る。作れないのは、命だけだ。今はただ制服の素材を竜力に変換して、元の形に再構成しただけだ。擦れた部分なんかは現場に残っているから、その分だけ軽くなってるがな。これから暑くなるんだし、多少繊維が減っても問題あるまい」

 

 「なるほど、そういうことだったのか」


 納得して健吾は大きく頷く。叩き壊した机が治ったのも、机を構成するものが形を変えただけだったから、ということなのだろう。


 「なんだか、錬金術師みたいね」


 かがみの何気ないコメントに、穹良が口を開く。


 「錬金術師も魔女も、十中八九竜族が絡んだ話だ。ただの人間にあんな芸当は出来ない」


 「そりゃそうだよね」


 治った制服を隈なく眺めながら、独り言のような口調で呟く。続いて声を発したのは、テーブルの上に散乱する微細な異物に気付いた暮月だ。


 「ねえね、これは何なん? さっきまで、こんなのなかったん」

 

 言われて一同がテーブルの上に目を向ければ、砂のような物体が少量散らばっている。暮月の言葉に確かにと思ったが、四人で座っていた時には無かったものだ。


 「それは二人の制服に付着していた、“制服”以外のものだ」


 ということは、やはり泥や砂の類なのだろう。繊維を再構成した際に脱落したと言ったところか。


 「へー、ねえねはすごいんな」


 「これくらいの芸当なら、この場にいる全員が身に付けられる。便利だぞ」


 「え、そうなの?」


 もっとも興味を示したのはかがみだ。早速手ほどきを受けようとしている。健吾もまた、彼女の講習を受けようとしていた。穹良が壊したドアを直してみたくなったのだ。


 今朝命の危機に瀕したとは思えないような、ゆったりとした穏やかな時間が流れる。


 穹良とかがみがごく普通に言葉を交わし、暮月が笑顔の華を咲かせる。まるで昔からそうであったような錯覚を健吾は覚えたが、語弊を恐れずに言えば、今朝の出来事が無ければあり得なかった風景だ。


 この風景のために街の一角が消し飛べばよかったなど、毛頭思っていない。多くの犠牲者が必要だったなど、微塵も思っていない。ただ、今朝の出来事が明らかなきっかけとなっていることは、紛れもない事実なのだ。


 その事実をどう受け止めるかは、考える当事者に委ねられる。そして健吾は、どう捉えればよいのか分からずにいる。ただ目の前の状況だけに目を向ければ、よかったと思う。


 きっとこの先も、半竜であるが故の面倒ごとからは逃れられないだろう。だが少しでも、この平穏な時間が続けばいいと思わずに入られなかった。


 ふと壁に掛けられたカレンダーに目を向ければ、四月も後半に差し掛かっている。日差しは幾ばくか熱を増し、初夏へ向かいつつあることが伺える。


 ゴールデンウイークが、近づきつつあった。

 

 雪灘からは何も連絡がなかったこと、彼女なりの気遣いと健吾への信頼ゆえの行動であることに気付いたのは、少し先の事であった。

 


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