三章48 白昼の嫌がらせ
同日昼休み。健吾、穹良、璃那、真、璃那、雪灘の五人は、高等部棟と中等部棟の中間にある中庭の東屋に来ていた。淀んだ不味い教室の空気を三限分吸い、精神的に参っていたので昼休みにリフレッシュをしたいというのを第一目的、同じように疲れているであろうかがみと暮月に外の空気を吸わせ、気分転換させようというのを第二目的とし、穹良が提案したのだ。二人の姿がまだ見えない中、璃那が太陽の下で大きく背伸びをする。
「晴れててよかったですねー」
「それな」
東屋内のベンチに腰掛け、テーブルに頬杖を突いていた真が何気なく返す。天気がいいおかげで気分転換が出来ているが、曇りや雨だったら鬱々とした気分に支配されたままだっただろう。
健吾も東屋の屋根の下から出て、燦々と輝く初夏の太陽を見上げる。雲一つない紺碧の空はいつもより広く見え、地上で種族差などというちっぽけな問題に思い悩む自分がとてつもなく小さな存在に思えてくる。
見上げる視界の上から下へ、小さなシルエットが真っ直ぐに移動してゆく。鳥かと思ったが翼の形状が異なるところを見ると、小型の飛竜のようだ。警報が鳴らないレベルの竜であれば、他の野生動物と同様に自然の中で誰からの干渉も受けることなく生きて行ける。
だが野生動物も人里に現れ、人間に害をなすようになれば害獣として駆除される。動物からしてみればただ必死に生きようとしているだけでも、その行為が人間側からの受け取られ方によって生かされるか殺されるかの判断材料とされる。全て、人間の受け取り方一つなのだ。
半竜はどっち側なのだろうかと、飛び去って行く小型飛竜を目で追いながら思案する。だが考えるまでもないなと心の中で首を振る。今の自分たちは、間違いなく害獣だ。明確な被害を与えていなくても、人間の前に存在しているだけで害獣と同じなのだ。
「ちょっと健吾、あんまり陰気臭い顔しないでよ。雲が出てきちゃったじゃん」
「え、ごめん」
雪灘の声に咄嗟に謝って周囲を見渡したが、視界の九割五分は青空だ。雲が全く無い訳ではないが、出てきたと表現するような雲量ではない。
「んなわけないでしょ。冗談だよ」
真に受けないでよね、と付け足しながら雪灘は健吾の肩を後ろから叩く。欲しかったツッコミをくれなかった礼だ。
「来たか」
健吾と同じように東屋から出て太陽の光を浴びていた穹良が、右掌でひさしを作りながら中等部棟の方へ顔を向ける。かがみと暮月の二人がこちらへ歩いてくる姿に、健吾は片手を挙げた。
暮月とかがみが真、璃那、雪灘の三人と会うのは今日が初めてだった。そのためまずは自己紹介が交わされた。
「はじめまして、弥涼暮月です。にいにがいつもお世話になってます」
暮月がしっかりとした口調で名前を告げるのに対し、かがみは穹良の背後に隠れるような位置から、小声で名前を口にする。
「……こいつの妹のかがみです」
「こいつって言うなこいつって」
壁代わりにされた上に敬いの足りない妹を、穹良が叱る。璃那や雪灘と言葉を交わし笑顔になる暮月と、輪に入れず少し居心地の悪そうな顔をするかがみの対比に、健吾は「昨日まで引き籠ってたのはどっちか分かんねえな」と心の中で呟いた。
「西島さん西島さん」
「ん?」
同種族同士で年齢を超えた交流をする半竜四人の姿を眺めていた健吾の元に、璃那がやってきて耳元で小声を出す。
「前に穹良からちらっと聞いたんですけど、西島さんってあの二人と一緒に暮らしているんですって?」
「そうだけど」
肯定の意を示して、健吾は璃那のニヤニヤ顔に頬を引きつらせる。もし健吾と璃那の間に力関係がなく、対等もしくは璃那の方が優勢な立場にあったら、学校中に言触らしでもしそうな顔をしている。穹良に仕えると言いながら彼女に対してオカンのような態度を取ったり、今のように弱みを握ることに優越感を覚えるような仕草をするところを見ると、意外と怖い女性なのではないと思えてくる。
「事情は穹良からそれとなく聞きましたが、やはりちょっと羨ましいですねえ。特に暮月ちゃんなんか、マスコットみたいに可愛いじゃないですか。ルックスも最高ですよ」
お前も十分なものを持っているよ、とは口が裂けても言えなかったが、ニットベストを押し上げるふくらみには目が行ってしまった。
「あの角もポイント高いですよね。猫耳みたいで可愛いです」
「ああいう風に、可愛いくとか格好よく見えるような姿の判可半竜はまだ運が良かったと俺も思っちゃう。でも本人は悩んで、半年引き籠った。周りがどう見るかも重要だけど、自分が自分のことをどう思うかもすごく大事なんだと、今回の一件で思ったよ。俺や暮月は、周りの人に恵まれたからこうして出て来れた。でもそうじゃない人は、今も隠れたままなんだ」
健吾の視線を感じ取ったのか、真と言葉を交わしていた暮月がこちらを振り返り、笑顔を向けてくる。健吾も微笑み返してから、自分の右手に視線を落とした。
「この腕も、暮月はかっこいいって言ってくれたけど、俺はそう思えなかった。俺がこの腕を受け入れられないなら、俺があの角を可愛いって言ったのも嘘になるって暮月に言われて、ハッとしたよ。それでも二の足を踏んでたら、学校に行くなんて無茶しやがったんだけどな」
「私は、西島さんが学校に戻ってきてくれて、嬉しかったですよ。私の役割は人と竜を繋ぐ架け橋となることですから、私にとってはどちらもいてくれないと困るんです。そういう意味では、暮月ちゃんには感謝しないといけないと思っています。まあ、肝を冷やしたのも事実ですが」
口角をわずかに上げる璃那を横目で見やりながら、健吾も含み笑いをする。怖い女性に変わりはないが、歯に衣着せぬ物言いは健吾も結構気に入っている。裏表が少なく思ったことを口にしてしまうがゆえに彼女は半竜意外の友人が少ないのかも知れないが、健吾からしてみれば接しやすくていい。穹良が璃那を気に入っている理由もそういう点だろう。
一通りのアイスブレイクが済んだところで、七人で昼食を摂り始めた。七人中四人が同じ内容の弁当だということに驚いた雪灘が目を丸くしていたが、健吾はそんなことに気付きもせずかがみに午前中の様子を尋ねた。すると返ってきたのは端的な一言だった。
「針の筵」
「簡単に想像できるのが悲しい」
箸を持ったまま、健吾は額に手を当てる。異質なものに対する反応としては当然のものだろうが、昨日までとの落差を考えるとかかがみたちが不憫でならない。健吾たちは関係者がクラスに四人もいるが、かがみの方は暮月のみである。穹良や健吾といった後ろ盾があるということを明確に示した分マシなのだろうが、そうでなかった場合はどうなっていたか、考えるだけで恐ろしい。中学校と高校が同じ敷地内にある併設型の中間一貫校に転校してきて良かったと心底思った。
「校長はちゃんと来たのか」
「授業中は教室の後ろから見守ってくれるけど、休憩時間は校長室に戻るから、その間の一〇分が長く感じるんな」
梅干を食べて顔をしかめた暮月が、穹良の質問に答える。
「昨日まで無関心だったんだから、正体知ったって関わらなきゃいいだけなのに。勝手だよね」
たくあんをポリポリと咀嚼しながら、かがみがしみじみと呟く。
「それくらい、知っているということと知らないということの差は大きいということですよ」
「なんであたしたちにも敬語なんです?」
かがみは中二、かがみの呟きに返した璃那は高一である。先輩という存在と触れ合う経験値が平均以下のかがみにとっては、後輩に対して敬語を使われるというのは違和感が大きかった。
「一つは好み、一つは私の立場。それが理由です。穹良にお仕えする身からしてみれば、妹さんもご奉仕すべき対象なのです。この言葉遣いはその表れです」
「仕えているのに穹良のことは呼び捨て何ですか?」
「そうするようにと言われていますので」
当然のことをしているだけですとばかりに涼しい顔で答える璃那に不信感を募らせながら、かがみは穹良に真実を尋ねる。すると、
「ああ、なんか仕えたいとか言い出したから、別に害はないし好きにさせている。呼び捨ての件は本当だ。さんとかちゃんを付けられるのはあまり好きじゃない」
という答えが返ってきた。かがみからしてみれば不思議な関係性に思えたが、それが成り立っている時点で二人の間では普通のことなのだろう。
「穹良のお弁当は今日も健吾作なわけ?」
卵焼きを口に運ぶ穹良の手元に視線を向け、雪灘が問う。そうだと穹良が答えると、身を乗り出した雪灘が残っていた最後の卵焼きを華麗に掻っ攫っていく。抗議の声を上げる穹良、宥める健吾、三人のやり取りを傍観する真。先刻までの緊張感が嘘に思えるほど平和な昼休みであったが、大きな物が落ちうような音がして七人に戦慄が走った。
方角は中等部棟。音の大きさと、二つしたことから、健吾は起きた事象の予測がついた。それを確かめるべく、不安そうな顔をするかがみと暮月を東屋に残し、穹良とともに音がした場所へと向かった。
そして現場で原形を留めないほどに壊れ果て土にまみれた二台の学習机を見て、二人は絶句した。上を見上げると数人の男子生徒が、屋上から見下ろしていた。わざわざ六階の高さまでかがみと暮月の机を運び上げ、転落防止のフェンスを超すようにと投げ落としたのだ。
周囲に散らばる新品同様だった教科書やノートを拾い上げ、健吾は怒りに肩を震わせた。彼女らの決意が、なぜこんな形で踏みにじられなければならないのか。彼女らが何をしたというのか。噛みしめた奥歯が軋みを上げ、背中から溢れ出した竜力が漆黒の翼を形作る。穹良が健吾の名を呼んだ時には、健吾は地を蹴って飛び立ち、一瞬にして屋上に降り立っていた。
もはや人間とか半竜とか関係ない。他人の努力を踏みにじり陰で笑うような卑劣な連中は許しておけなかった。逃げようとする男子生徒一人を捕まえ、胸倉をつかんで持ち上げる。男子生徒の瞳は、恐怖に震えていた。しかし口元は笑っていた。
「……プロの格闘家が喧嘩したら罪が重くなるんすよ……。それより強い半竜なんかが俺たちにケガさせたら、どうなるか分かりますよね……?」
男子生徒の言葉は真実ではない。だが頭に血の上った健吾を冷静にさせるには十分な威力を持っていた。
我に返った健吾が突き放したことで、解放された男子生徒は尻もちをついた。そこへ四枚の翼を生やした穹良も上がってきて、腰の抜けた男子生徒を見下ろす。太陽を背にし、逆光で影の差す二人の有翼半竜の、緑色の眼光に睨まれて、男子生徒は恐怖心に支配された。
「……次あいつらに手を出してみろ。今度はお前の机をああしてやる」
最大限配慮した脅し文句だったが、効果は覿面だった。男子生徒は声にならない悲鳴を上げ、四肢をバタつかせながら屋上の棟屋へと逃げ込み、一足先に逃げ込んでいた他の生徒とともに慌てふためきながら去って行った。
穹良と二人になった屋上に、一陣の風が吹き抜ける。フェンス越しに下を見ると、物音に気付いた生徒や職員が大破した二台の机の元に集まりつつあった。
なぜ、半竜というだけでかがみや暮月がこんな仕打ちを受けなければならないのか。こういう事態を予測し、防ぐ手立てはなかったのか。そんな疑問が浮かび上がるが、無力感に苛まれて回転が停止した思考では答えを導き出すことは出来なかった。
「行こう。あの机を直さないと」
呆然と眼下に視線を向け続ける健吾の腕を掴み、強引に屋内へと連れて行こうとする。突然のことに驚いてその手を振り払ってしまったが、穹良の悲しそうな顔を見て呆けている場合でないと自分に言い聞かせる。
それでも、ただただ悲しかった。




