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エプロンの真ん中に大きなポケットが一つ。その中には銀貨が一杯入っていた。
『帝』の定食は、どれも同額で銀貨三枚。結構高めの設定なのだけど、味が変わっているからかお客さんは結構入ってくる。
花純は店の中を、メニューとお茶を持って駆けずり回っていた。メニューはその日の仕入れで変わるので、毎日拓哉が手書きしている。日本語とダコク語の両方で書かれているから、花純でも一目で解かる。
この日本語表記も、彼らには珍しく見えるのだろう。
一から五番まで番号を打っている。メインが違うだけで、小鉢や汁物は統一されている。
最初に入ってきた騎士たちが食べ終えて、席を立った。
「カスミさん、ごちそうさま」
「ありがとうございましたっ!」
玄関先までお見送りに向かう。
「俺、これからまた仕事だ。夜勤は辛いよ」
一人だけ駐屯所に戻るようだ。
「お疲れ様です。お仕事、頑張って下さいね」
花純がそう声をかけると、他の騎士たちが羨ましそうな視線で夜勤の男を見る。
男は頬を染めながら、口を開いた。
「う、うん。頑張る」
「カスミさんはずっとこの店を手伝うの?」
騎士の質問に、花純は笑顔で応えた。
「明日は直哉君のお誕生日なので、夜はお休みをいただくことになっています。明後日の夜はまたお手伝いすると思いますけど、次の日は学園の寮に帰らないといけないので・・・もうお手伝いは無理かなって」
「あ~・・・、そうか。残念~」
「もっといて欲しいけど、学園に通っているのなら無理は言えないな~」
「じゃあ、また明後日くるよ」
花純は営業スマイルで頭を下げた。
「またのご来店、お待ちしております」
「じゃあね~」
軽いノリの騎士さんたちだ。
花純が店に戻ると、すぐに拓哉の声がかかる。
「花純ちゃん、五番さんお願い」
「は~いっ!」
直哉は洗い物をしている。
デュボラは他のお客さんのオーダーを取っていた。
これをいつもは二人でこなしているのだ。そう考えると凄いと思う。
最後のお客さんが帰る頃には、花純はくたくたになっていた。
「お疲れ様」
いつものカウンター席に座ると、食事が出てきた。
今日のおかずは鯖の味噌煮だ。この味噌も拓哉さんの手作り。試行錯誤してようやく味噌を完成させた時には、さすがに泣いたらしい。
「美味しい、美味しいよ~」
花純がそう言いながら食べているのを見て、拓哉はもの凄く嬉しそうだ。
拓哉が王都に店を出してくれたら、毎日でも通ってしまうかもしれない。と、花純は思った。
「ナオヤ、明日のお昼の店終わったら母さんと何か買いに行こう」
「え・・・、でも花純さん」
「俺が家にいるし、大丈夫だよ。ね?」
「はい」
示し合わせていたように、さり気なく作戦開始だ。
二人が出かけている間に、花純がパンケーキを焼くつもりでいる。
「うん、解かった。じゃあ、久しぶりに母さんと出かけるか」
直哉は照れ臭そうにして、そう言葉を紡いだ。
翌日二人が出かけて、花純は一階の厨房に降りた。
『今日はお休みです』という張り紙をしたから、誰も訪ねてこないはずだ。
拓哉も一緒に降りてきて興味津々でカウンターの椅子に座り、花純の作業を見守っている。
プロの人に見詰められると、もの凄く緊張する。
手が震えてきそうだ。
でも仕方がないので作業を始めた。
いろんなフルーツを、出来るだけ可愛らしく見えるように小さく切った。
さて、まずは卵。卵白を極限まで泡立てる。黄身はまた後で使うので、置いておく。お砂糖、小麦粉、卵の黄身を入れて切るようにかき混ぜる。
熱したフライパンを、濡らしておいた布巾に乗せる。また火に戻してバターを溶かす。バターは牛乳と塩を入れて、思いっ切り振って手作りした。
バターは買うとお高いらしい。
簡単に作れるのにね・・・。と思うが、体力いる。
生地をフライパンに流し込むと、途端に甘いいい匂いが香り立つ。
「おお~、いいね」
拓哉が鼻をフンフンしていた。
同じように何枚か焼いていると、表で馬車が停まる音が聞こえた。
「おや? お客さんかな?」
拓哉が席を立つ。
花純もちょうど一枚焼き終えたので、フライパンを火から下ろした。
御者が扉を開けると、一人の男性が降りてくる。
その男性の顔を見て、カウンターから伸び上がるように顔を出していた花純が『あ』と声を上げた。
拓哉が店の扉の鍵を開けて、笑顔になる。
「いらっしゃい、カイト君」
「ご無沙汰してます」
降りてきた男性は、カイトだった。




