第二部 儚くて、辛いけれど
寒い。
泰樹は開けていたコートの前を、首元までしっかりと締めた。
10月後半。受験生としてはそろそろラストスパートをかけなければならない時期になってきていた。ここで気を引き締めなければ、志望する大学には合格できない。若干の危機感が泰樹の中にあった。
学校祭が終わってからは、3年生はラストスパートということもあって、教室にはピリピリした空気が立ち込めていた。まあ、これで人生を左右するといっても過言ではないと思うし、こういう雰囲気になってしまっても仕方がない。放課後になると各々、予備校や図書館、自宅など勉強に集中できる場所に散っていく。
泰樹、戸田、由佳、そして亜里沙はそれぞれ異なった場所で勉強していた。泰樹と由佳は別々の予備校へ、戸田は図書館、亜里沙は自宅という具合である。教室がピリピリしているうえに放課後は皆行き先がバラバラなため、お互いの会話はほとんど無かった。もちろん、泰樹は由佳と会話もしていなかったし、学校祭のあのイベント以降はメッセージのやり取りもなくなっていた。
一方で亜里沙の方はというと…学校祭からちょくちょくメッセージが来ており、少しではあるがやり取り…というか、業務連絡みたいなものをしていた。
そして模試終わりの今日、土曜日。泰樹は駅前で亜里沙を待っていた。夕方だからかもしれないが、体感温度はいつになく寒い。泰樹は寒さをしのぐために軽く足踏みをしながら、亜里沙が来るのを待っていた。
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「え?なんて?」
亜里沙の言っている意味がよくわからなかった。早智子の代わり…?
「あーもう、このにぶちんが」
亜里沙が泰樹の腕にかみついてきた。
「いててて!やめろって!痛いだろ!」
「ここまでしないとあんたは気づかない!」
亜里沙はピラニアみたいに泰樹の腕にかみついたまま放そうとしない。普通に痛いし、困ったことになってしまった…。
「わかった、わかったから!俺何すればいいの!?」
泰樹が何とかこの状況を解決しようと妥協すると、亜里沙はかみつくのをやめ、今度は頬を腕に摺り寄せてきた。
「デートしよ」
「はぁ?なんでや」
「いいじゃん、小さいころよく遊んでたじゃん」
「あのなぁ、もう小さくないだろ俺ら…」
「いいじゃん関係ない!」
「受験勉強もあるだろ?」
「1日ぐらいいじゃん」
「油断したら一気に成績落ちるぞ?」
「あー!!もう!!」
そう言うと亜里沙は泰樹の腕から離れて立ち上がり、泰樹の前に立った。
「なんでああ言えばこう言うの!?最後かもしれないでしょ!?大学生なったら離れ離れなるんだよ!どうして私はダメなの!?由佳ならいいよっていうんでしょ!?私たちの関係の方が長いのに…なんでダメなの!?こうやって会えるのも、最後かもしれないんだよ?…最後かも…」
亜里沙は嗚咽をこらえながらなんとか話そうとするが、うまく喋れていない。
泰樹は何も言えず、ただ黙っていた。
「なんとか…言ったらどうなの…」
亜里沙はあふれる涙を抑えられず、声を上げて泣き出した。
幼馴染のこういう姿、初めて見た。泰樹は考えを巡らせる。
ああ、そうか。
俺は亜里沙に悪いことしてたんだな。
もう、お互い大人になってしまったんだな。
見えているのに見えていないふりをしていたのかもしれない。
亜里沙は本当にかわいいと思う。
過去に俺の友達も何人かアタックして玉砕していたし、それなりにモテるのだと思う。
言い訳に聞こえるかもしれないが、聞いてほしい。
俺は、この関係を崩したくなかった。
お前がいつもそばにいてくれて助かっていたし、なによりも楽しかった。この関係が壊れそうで、嫌だったんだよ、俺。
決して逃げてきたわけじゃない。けど、ごめんな。
けじめを、つけるときがきたのかもしれない。
最適解ではないかもしれないが、今はこれが一番だと思う。
「亜里沙」
泣いていた亜里沙が泣き止み、じっと泰樹を見る。まるで次の言葉を待っているかのように。
「まあ、あれだ。映画、行くか?」
「それは、幼馴染として?」
亜里沙が涙を拭きながら聞いてくる。こう聞かれるだろうと泰樹は予想していた。答えはただ一つ。
「うん、幼馴染として」
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「おーまたせっ!」
突然、誰かに背中から抱き着かれた。まあ、確認しなくても誰かわかるのだが。
「だから、近いって!」
「いいでしょー学校じゃないんだしー」
背中に顔を押し付けながら亜里沙が話す。亜里沙が話すたびに、口が当たっている背中の特定部が少し暖かくなる。
「それにね」
亜里沙が続ける。
「私、まだ諦めてないから」
何が?と聞こうかと思ったが、それはナンセンスだと思ってやめた。
俺の答えに対する、亜里沙なりの答えなだと思う。
「まあ、好きにしろ」
「うーわ、ひっどーい」
亜里沙が背中から離れ、指さしながら軽蔑のまなざしを送ってくる。もう、めんどくさい…。泰樹ははあとため息をつくと、亜里沙に背中を向ける。
「ほら、映画始まるから行くぞ。それともやめるか?」
「いくいくー!」
そう言うと亜里沙はこれまでになく強い力で泰樹の腕を取って、泰樹を引っ張りながら歩き始めた。




