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ドライベルモット  作者: 升田陽路
7/8

デビューと記憶

 本当に信じられない話だった。私の夢が急激に動き出してたった二カ月。先週までこの場所で他人のリハシンをしていた私が、自分の為のリハーサルで自分の歌を歌う為に立っている。母はいつものように大声を張り上げてフロアを仕切っている。リハシンからプロの歌手になってもやはりここでは親子ではない。 母がスタッフに号令をかける。


 「明日葉のカメリハいきまーす!」


 私の前でキューを出す母、イントロが流れる。スポットライトの逆光の中、母の口が動いた。


 「がんばって・・・」


 私には確かにそう言ったように見えた。


 リハーサルを終え私の為だけに用意された楽屋に戻る。


 「明日葉、リハーサルお疲れ、どうだった?」


 「社長。 ダミーより何倍も緊張しました(笑)」


 「そうかい? 堂々としていたように見えたよ。さすがに多木ディレクターの血を引いているだけの事はある(笑)」


 「社長、その話はダメですよ、母と親子ってことは内緒なんですから」


 「秘密の関係か、そうだったね(笑) お弁当が届いているよ。本番までに腹ごしらえしておきなさい。」


 「わあ、スタッフ弁当よりすごい豪華(笑)」


 「これがステップアップというものさ(笑)」


 「ん~。でも私にはまだもったいないな。」


 「やっぱりね。」


 「え?」


 「そう言うと思ってもう一つ貰っておいたよ。」


 「わあ、並みカツサンド(笑)」


 「それ食べて本番も頑張りなさい。」


 社長の心遣いが私の心を溶かす。私の行く道を照らしてくれるのがこの人で良かった。社長の笑顔や口調でゆったりと安心した気持ちになれる。


 本番前、ADの安部さんが楽屋を訪ねて来た。


 「明日葉ちゃん、デビューおめでとう。緊張しないでしっかりね(笑) あ、社長、テロップの決定稿をそろそろ頂かないと・・・。」


 「ああ、すまないね、もう決まったよ。この紙に書いてある通りで頼むよ。多木ディレクターには了承を得ている。」


 「そうですか、じゃあフロアに寄らずにこのまま副調整室に持って行っちゃいますね。明日葉ちゃん、出番の時にまた呼びに来るね。」


 本番まであとわずか、じらすかのように時間はゆっくり流れた。


 「始まるよ、明日葉。」


 社長が私の肩に手を置いた。そしてついに楽屋のテレビは番組のオープニングを映し出した。あと二十分後にはそこに私がいる。胸が高鳴る。


 


 そのころ布施陽介は、自宅のリビングで明日葉のデビューを心待ちにしていた。


 「とうとう始まったな。我が社の命運がかかってるんだ、頼むよ明日葉ちゃん。晃、俺とお前の新たなスタートだ。 しかし晃には驚かされるよな(笑)まったく大した男だ。 そうだ、久しぶりに卒業アルバムでも見ながら明日葉のデビュー観戦といくか。」


 陽介は納戸の奥をあさり高校と中学の卒業アルバムを探し出した。


 「さすがにデビュー前の俺は垢ぬけてないな(笑) え~と、晃は確かC組だったよな・・・・


あれ? おかしいな、なんであいつ写ってないんだ? 他の組は・・・」


 陽介がいくら探しても晃の姿は無かった。もう一冊をめくる。


 「どういう事だ? 中学のアルバムにも晃が写っていない・・・。晃、お前はいったい何者なんだ。 あれ?この女の子は・・・」




 「明日葉さん、出番です。お願いします。」


 「安部さん、さん付けで呼ぶのやめてくださいよ(笑)」


 「何を言ってるんだ、君はもう立派な歌手だ。先週までのリハシンの明日葉ちゃんとは違う。さ、行きますよ明日葉さん。」


 「彼の言うとおりだよ明日葉、さあ行くぞ!」


 「はい、社長。」


 エレベーターに乗り一階のスタジオまで降りる。スタジオの重厚な扉を開けてもらい中に入ると母が出迎えてくれた。


 「じゃあよろしくお願いしますね。明日葉さん(笑)」


 「はい、頑張ります。」


 「ここから先はあなた一人よ。社長も私もそばには居れないわ。本番のスポットライトを、あなただけの為のスポットライトを思いっきり浴びてらっしゃい。」


 「はい、いってきます。」


 万里子と晃は並んで明日葉の後姿を見送った。


 「いよいよだな、万里子。よくここまで明日葉を育て上げた。」


 「ええ、帰ってからゆっくり泣かせてもらうわ(笑) さんざん悩んでたあなたのペンネームも楽しみだわ(笑)」


 司会者とのトークが終わりMC席からセットへと送り出された明日葉。イントロが流れる。 


 「それでは聴いて頂きましょう。今週の注目曲、明日葉さんで{陽のあたる坂道~きっと明日は~}」


 近くのモニターを見ていた万里子は、映し出されたテロップを見て驚いた。 


 「え・・・ どういう事? ちょっと晃! なんで作詞作曲が私の名前になってるのよ?」


 晃はモニターを見つめたまま微笑んだ。明日葉の歌声がスタジオに響く。晃の隣で万里子は呟いた。


 「そうか・・・ありがとう・・・マスター・・。」


 


 自宅でテレビを見ていた陽介は、曲を聴きながら立ち尽くしていた。


 「作詞作曲、多木万里子・・・ そうだった。 何故だ、 何故今まで俺は・・・万里子・・・。


それじゃあ明日葉は・・・。」


 陽介は、押し寄せた記憶の波に身を任せゆっくりと沈んでいった。沈んだその先は高校三年の夏休み・・・。


 


 


 前日に暇を持て余し街をふらついていた高校三年生の布施陽介は、たまたま見たストリートミュージシャンに触発され、すぐに行動を起こした。ギターの弾ける友人に電話をかけ、一人目には受験で忙しいとあっさり断られ、二人目には人前でやるなんて無理と一蹴されたが、


 「そうか・・・誰か他にギター出来る奴知らないかな?」


 「う~ん、思いつかないな。 あ、ギターじゃなくてキーボードなんてどうだ?」


 「キーボード?」


 「女の子だけどピアノのうまい子いるぜ」


 「女の子?」


 「ギターだけより音の広がりもあるし、電源さえありゃストリートでもできるよ。」


 「へえ、キーボードかあ。 誰なんだい?」


 「タッキーだよ(笑)」


 「タッキー?」


 「多木万里子、お前中学も一緒だろ、地味な子でさ、ピアノが得意って以外取り得のないような目立たない子なんだけど、お前に惚れてるって冷やかされてた事もあったぜ(笑) 陽介の頼みなら喜んで引き受けるんじゃないか?」


 「本当か? 連絡取れるか?」


 「音大の推薦受けるとか言って夏休みの期間中は毎日音楽室を借りてピアノ弾いてるよ」


 「そうか、ありがとう。」


 陽介は早速夏休みの学校へと出かけた。校門を抜けるとグラウンドからの運動部の声に交じって校舎からピアノの旋律が聞こえてきた。 上履きに履き替え階段を上る。三階の音楽室の前に来るとピアノの音に圧倒されそうになったが、ノックもせずドアを開けた。 同時にピアノの音が止む。 顔は陽介を振り返り、体と両手はさっきまで鍵盤を叩いていた形のまま、おさげ髪にメガネの少女は固まっていた。


 「多木万里子・・・さん?」


 「はい・・・」


 「俺の事分かる?」


 「はい・・・」


 「あのさ、ピアノ上手いね。」


 「はい・・・」


 「はい・・って(笑)」


 「あ、そんなことないです、全然上手くないです・・ごめんなさい。」


 「いや、そういう意味じゃないよ(笑) 面白いね君(笑)」


 「ごめんなさい・・・。」


 「なんで謝るの(笑) ねえ、ピアノ出来るならキーボードも出来るよね?」


 「はい・・・一応持ってますけど。」


 「俺と一緒にストリートやらない?」


 「はい・・・。 はい?!」


 うつむいて相づちを打っていた万里子は驚いて顔を上げた。


 「俺さ、人前で歌いたいんだよ。協力してくんないかな?」


 「そ、そんな、私には無理です・・。」


 「頼むよ、音大受験で忙しいのは分かってる。せめて夏休みの間だけでもいいんだ。横で伴奏やってくれるだけでいいから、ね、お願いします!」


 おとなしく目立たない少女が生徒会長も務める憧れの男子にごり押しされて断われる訳もない。数分後、万里子は容易く陽介のシナリオの中にいた。


 「じゃあ早速練習しよ、ピアノ上手いなら流行りの歌とかすぐ弾けるんでしょ?」


 「そんな急に言われたって・・・譜面が無いと・・・」


 「譜面?どうやって手に入れるの?」


 「レコード屋さんとか、楽器屋さんとか・・」


 「そうか!じゃあ今から一緒に行こう!」


 陽介に連れ出された万里子は、夏休みの賑わう駅前通りを楽器屋へ向かう、男の子とこんな風に歩くなんて万里子には初めてのことだった。しかも相手は届かぬ淡い恋心を寄せていた布施陽介。すれ違う同年代の子たちは不似合いな二人に振りかえる。陽介はお構いなしにいつもの自分のペースで何やらずっとおちゃらけているが、万里子はうつむいたまま、陽介のペースの速い大きな歩幅に離されずについて行くので必死だった。 同時に万里子はこの時生まれて初めての優越感にも浸っていた。


 楽器屋に着くなり陽介は自分の知っている曲の譜面を抱え込みレジへ向かう、その間なんとわずか10分。万里子はあっけにとられながらも、ただただ陽介の後についているしかなかった。 音楽室へ戻るなり万里子のピアノで歌い続ける陽介、お世辞にも上手いとは言えないが圧倒的な自己流のパフォーマンスは彼がタダものではないという説得力には十分だった。


 「どうかな?」


 「うん。すごいと思う。」


 「すごい? そう?」


 「でも・・」


 「何?」


 「今のままだと宴会芸で終わっちゃうかも・・・」


 こと音楽に関してはお世辞も妥協もできない万里子。


 「マジで・・・? どうしたらいい? 俺聴いてる人からちゃんと感動の拍手とかもらいたいんだよね。」


 「う~ん。どの曲も布施君の歌のイメージとかスケールにはまってない気がする。 私が曲書いてみようか?」


 「え?曲も作れんの?」


 「いつもクラッシックばかりやってるからつまらなくて、たまに遊びで今流行ってるような曲を作ったりするの」


 「マジかよ?すげーじゃん! 聴かせてよ!」


 「じゃあ、歌詞忘れてる所はハミングでやるわね。」


 しなやかに動く指先から放たれたメロディー、目立たなくおとなしい万里子とはかけ離れた力強い歌声は陽介のうかれた心を鷲掴みに握りつぶした。


 「すげえ。 昨日のストリートミュージシャンなんて比べ物になんねえ。 なあ多木、こんなにすごい才能があるのになんでストリートとかでやんないの?」


 「私にはそんなこと出来ないもの、ピアノが弾けたって曲が作れたって、私には一人で人前でやるなんてできない。そっちの才能は布施君みたいな人にしか無理なのよ。」


 「もったいない話だな、じゃあ多木の才能と俺の才能合わせりゃ最高じゃん! お前のオリジナル全部俺に歌わせてくれよ。 女言葉の歌詞の所を男に変えてキーを合わせりゃ大丈夫だろ」


 「それなら出来るけど・・・」


 「じゃあ明日、全部テープに入れてきてくれ。俺頑張って覚えるからさ。」


 陽介は翌日から万里子の歌を聴き込み、ほんの数日で五曲を完璧に覚えた。陽介は気持ちをはやらせ万里子へ電話をかける。


 「もしもし、多木? 今から駅前来れる?」


 「うん、大丈夫だけど、どうしたの?」


 「ライブしよう!キーボード持って来てくれ」


 「い、今から? そんな急に・・・」


 「俺、お前の曲全部覚えたんだ、早く歌いたくて我慢できないんだよ。 な、頼むよ。」


 「じゃあ、一応行くだけ行ってみる・・」


 万里子は慌てて支度をすませキーボードを担いで駅へ急いだ。 駅前に着くとすでに客付きの良いストリートミュージシャンの近くに陽介が陣取っていた。


 「おーい、こっちこっち! 電源借りれるように話もつけといたから(笑)」


 「本当にやるの?」


 「当たり前じゃないか、その為に多木に頼みに行ったんだからさ。」


 「でも、まさかこんなに急に・・・」


 「大丈夫だって(笑) 俺に全部任せてくれ、多木はただ弾いててくれればいいんだよ。さ、早くセッティングして。」


 ほんの少しの時間しか一緒に過ごしてはいないが、陽介の押しの強さからは逃れられないと悟った万里子は腹をくくった。


 「じゃあ、曲順はテープに入ってた順番で頼むよ、準備はいいかい?」


 「うん・・」


 「それじゃあ、UP&UPの初ライブいくぜ。」


 万里子に相談もせずちゃっかりバンド名まで決めていた陽介。 行き交う人々が足を止めざるを得ないほどの大きな声でMCを済ませると万里子のキーボードがイントロを奏で始めた。陽介は客に聴いてもらおうと懸命に歌った。曲の合間のMCでは多くの人が立ち止まるのだが、曲が始まると皆通り過ぎて行ってしまう。 結局五曲を歌いきった時に拍手をくれる者はいなかった。


 「なんだよ、なんでみんな聴いてくれないんだ。 多木・・帰ろうぜ。」


 「もう一回やろう」


 「え?」


 「もう一回やろう、布施君。」


 「でも、誰も聴いてくれないぜ」


 「私の曲が何の力も持ってないなんて悔しいの。 音楽でもダメなんて私の存在してる意味が無くなっちゃうもの。 布施君、次はしゃべりは無しで五曲続けてやってみて、歌に集中して、歌詞に入り込んで。」


 「多木、なんか別人みたいだな(笑) よし、分かった。もう一回、いや、拍手もらえるまで止めねーぞ!」


 するとどうだろう、やはり最初は皆通り過ぎていたが、二曲目、三曲目と進むうちに一人、また一人と客が付き出した。五曲目が終わるころには10人。 三回目のライブが終わる頃には隣のストリートミュージシャンの客まで奪ってしまい、30人ものギャラリーが陽介と万里子に大きな拍手を贈った。


 「やったな、多木(笑)」


 「うん(笑)」


 「人前で歌うって気持ちいいな。また明日もやろうぜ。」


 陽介だけでなく引っ込み思案の万里子もたった一度のライブでその魅力にはまってしまった。


翌日から二人は毎日かかさず駅前でライブを行った。たちまちファンも付き二人のライブは連日大盛況だった。


 今日が十回目のライブ、夏休みも最終日を迎えた。いつものように駅へ向かおうとする陽介を寸前で電話が呼び止めた。


 「もしもし、おう、多木。どうした? え?夏風邪ひいて熱がすごい? マジかよ・・。じゃあ今日は無理だな。 仕方ないよ、謝ることないって(笑) 待ってくれてるファンの子たちには今から俺が行って説明しとくよ。 じゃあ、ゆっくり休んで早く治せよ。また学校でな。」


 陽介が駅に着くといつものファンの女の子たちと、この二日間聴きに来てくれていたスーツ姿の女性がUP&UPの登場を待ちわびていた。 陽介は陣取った女の子たちに事情を説明し、ファンサービスとばかりに、しばし他愛もない雑談に興じたあとで結んだ。


 「そういう事なんで、今日は本当にごめんなさい。明日から学校なんでしばらくは週末の夜だけのライブになりますが皆また見に来てね!」


 言い終えると女の子達がバラけるより早く笑顔で手を振りさっそうとその場を去る陽介。照りつける日差しの中をしばらく歩き路地に入ると「ふー」とため息をつき自動販売機にコインを入れコーラを流し込む。


 「ねえ君。」


 振り返ると先ほどのスーツ姿の女性が立っていた。


 「あなたはさっきの、一昨日から見に来てくれてましたね。」


 「覚えてもらって光栄だわ(笑)」


 「僕に何か?」


 「私こういう者なの。」


 差し出された名刺には陽介も良く知るレコード会社の名前が書いてあった。


 「ええ?まさかスカウトの人ですか?」


 「そうよ。」


 「すげえ!俺デビューできるんですか?」


 「噂を聞いて君たちのライブを見せてもらったわ。短期間でファンが付いたのも頷ける。」


 「本当ですか、いやあプロに誉めてもらえると自信つくなあ(笑)」


 「でもね、あなたのルックスと歌もいいけど、私が惚れたのは君たちの楽曲よ。とても高校生が作れるレベルじゃないわ。もうビジュアル先行のバンドやアイドルは売れなくなるわ。若い子たちもアーティストのクオリティーの高い才能に惚れこむ時代なの。さっきのファンの子たちだってあなたを見に来てるわけじゃない。あの曲を歌ってるあなたのファンなのよ。そこは自惚れちゃいけないわ。」


 「そ、そんな言い方しなくても・・」


 「キツイ言い方してごめんなさいね。でも本音よ。あなた達の曲はとても素晴らしい。その才能とはすぐに契約したいわ。どっちが作ってるの?」


 「・・それは・・・僕です。 僕が作詞作曲してます!」


 「君が作ってるの? 私はてっきりキーボードの女の子が作ってるのかと思ったわ。君、名前は?」


 「布施陽介です。」


 「多才なのね陽介君。すぐにオリジナルのデモテープを私宛てに送ってくれるかしら?会社で会議にかけるわ。」


 「わかりました。」




 翌日、陽介は熱も下がり登校してきた万里子を音楽室に呼び出した。


 「多木、いきなりなんだけどさ。」


 「どうしたの?」


 「俺と付き合ってくれ」


 「・・はい?」


 「俺、お前の事が好きなんだ。俺と付き合ってくれ。」


 「で、でも、私みたいな地味な子じゃなくても布施君にはファンもいっぱいいるのに・・」


 「ダメ?」


 「そ、そんなダメだなんて・・・私なんかでいいなら・・・」


 「ホント?やった!じゃあ決まり(笑) なあ多木。もし、もしもだよ、俺たちにプロからスカウトの誘いが来たらどうする?」


 「私は無理よ、華やかな世界は向いていないもの。それに音大受けなきゃいけないし。」


 「じゃあ、スカウトされても断る?」


 「そうなったら布施君だけデビューしたらいいわよ(笑)」


 「そ、そうか。いやあ、そうだと思ったよ(笑)」


 「どうしたの?」


 「実は・・スカウトされた。」


 「え? まさか・・」


 「でもな、多木はきっと断るだろうなと思って、それに先方はどうしても俺だけをスカウトしたいって言うんだ。」


 「・・そうなんだ・・よかったじゃない布施君(笑)」


 「でもな、今からの時代は自分で曲を作る才能が無いと売れないらしくて、俺の作詞作曲ってことにして多木に作ってもらえないかって・・・」


 「つまり・・ゴーストライター?」


 「簡単に言うとそういう事・・」


 「だから私と付き合うの?」


 「ち、違うよ。俺はそんな男じゃない、俺は多木が好きだ、大好きだ」


 「本当に?」


 「疑り深いな(笑) 本当だよ。」


 「・・・じゃあいいわ。私は布施君のゴーストライター。」


 「そして彼女(笑)」


 「・・うん(笑)」


 「それじゃこれからよろしく、万里子。俺のことも陽介でいいよ(笑)」


 「わかったわ・・・陽介(笑)」


 「ただ、ひとつお願いがあるんだ。」


 「何?」


 「事務所の人がね、これから売り出すタレントにスキャンダルがあるとまずいって、男女交際禁止令を出されてね、だから俺と万里子が付き合ってるのは親にも友達にも絶対内緒にして欲しいんだ。もちろんゴーストライターのことも・・」


 「わかったわ、私は陰から陽介を支えるだけで満足よ。」


 それから万里子は陽介のデビューへ向けての新曲五曲を書き上げ、念願だった音大の推薦に合格。高校を卒業し、音大から電車でほど近い駅に、ピアノを弾いてもなるべく迷惑にならないよう2Kの部屋を借りた。陽介は事務所の用意した都内の広いマンションへ住んだ。


 デビュー間もなく楽曲の素晴らしさが話題となり瞬く間にスターへの階段を駆け上がる陽介。忙しいスケジュールの中、それでも万里子から新しい曲が出来たと連絡が入るたびに万里子の部屋に向かう。


 「うん、今回の曲も素晴らしいよ!さすが万里子だ(笑)」


 「ほんと?陽介に喜んでもらえると嬉しい(笑)」


 「万里子が作って俺が歌う、最高のコンビだ、俺たちこれからもずっと一緒だよ万里子。」


 「うん。」


 そんな関係はもう四年も続き、陽介は今や時代を代表するアーティストとなっていた。万里子が忙しい陽介と会えるのは、自分が新しい曲を完成させたときだけ。その時だけは大スターの彼が深夜でも車を飛ばしてこの賃貸マンションに会いに来てくれる。新しい曲を誉めて、ご褒美に抱いてくれる。万里子はそれだけで満足だった。満足だったはずのに・・。


 大学からの帰り道、いつもの駅で降り、いつものように帰ろうとする万里子の足を止めたのは、力強いアコースティックギターの音色と心に響いてくるような歌声だった。引き寄せられるようにその発信源へ向かった万里子の目に映ったのはジーンズにTシャツ姿で地べたにあぐらをかき弾き語りをしている若い女性だった。彼女の前に広げられたギターのハードケースの中には百円玉と十円玉が数枚放り込まれている。ほとんどの人が目もくれず通り過ぎていく中、何故か万里子は彼女に惹きつけられた。自分の作った歌を自分の声で伝えようと若い女性が一人で歌う姿に感動を覚えた。 それからは毎日彼女の弾き語りを聴いてから長い坂道を上って帰宅するようになっていた。 万里子は日に日に彼女に憧れていく。


 「彼女は強い、私も彼女のように強くてカッコいい女性になりたい。」


 でも、どうすればいい・・・  彼女のように人前で歌えれば変われるのか・・・


 「歌いたい、私も彼女のように歌いたい。」


 万里子は陽介の為の曲を作る一方で自分の為の曲作りを始めた。 一ヶ月後、四曲のオリジナルを完成させた万里子は意を決してキーボードを担ぎ駅へ向かった。駅へ着くといつも彼女が歌っている場所のすぐそばにセッティングを始めた。


 「ちょっとアンタ、人のテリトリーで勝手に商売すんのやめてくんない?」


 振り返ると憧れの彼女が立っていた。


 「あ、ご、ごめんなさい・・ そんなつもりじゃ・・」


 「あれ?アンタいつも私の歌聴いてくれてる人じゃん」


 「覚えてくれてたんですか? 光栄です・・」


 「なんだ、歌やってる人だったのか。自分のファンを邪険には扱えないな。じゃあ、せめてもう少し離れてやってくれよ、さすがにそれだけ近いと音がかぶって何歌ってるか聴きとれないだろ。」


 「わかりました。すみません、もっと離れます。」


 「ちょっと待った、アンタはキーボードでやるんだろ?電源どうすんの?話つけてあんの?」


 「あ・・・」


 「マジかよ・・ じゃあ私が行ってコンセント借りれるように頼んできてやるよ。」


 「ごめんなさい、お願いします・・・」


 数分後、彼女が戻ってきた。


 「大丈夫だよ、貸してくれるってさ。世話がやけるなまったく。アンタそんなんで本当にストリートできんの?」


 「何年か前に田舎で少しだけやってた事が・・・」


 「へえ、経験あるんだ。じゃあお手並み拝見させてもらうよ。私が最初の客になってあげる。」


 「はい、お願いします(笑)」


 万里子が歌い始めると彼女は驚いた。とても素人レベルのそれではない楽曲と歌と演奏、急ぎ足の通行人たちもたまらず立ち止まる。四曲を終え万里子がお辞儀をするとあちこちから拍手が沸き起こった。


 「アンタ凄いじゃん!」


 「本当ですか? ありがとうございます・・。」


 「ねえ、名前なんていうの? 私は今日子。」


 「多木万里子です。」


 「万里子、私は万里子の歌気に入ったよ! まだやるんだろ? 私も歌って来るから終わったら一緒に飲みに行こうぜ。」


 「あの、私はお酒が・・・」


 「は?ミュージシャンが酒くらい飲めないでどうすんだよ(笑) よし、私が飲めるようにしてやるから任せておいて」


 「はあ・・。」


 「あ、万里子。」


 「はい?」


 「金持ってる? 私ちょっと持ち合わせ無くてさ、飲み代貸しといて。」


 同じ歳だった二人はすぐに仲良くなり毎日隣合わせで歌っては安い居酒屋で酒をかわした。今日子が代金を払う事はほとんど無かったが・・・(笑)。 万里子は強くて飾らない今日子が大好きだった。今日子も地味でおとなしいタイプの万里子を放ってはおけないと理由をつけ、何かと万里子に関わるようになった。 性格はまるで違うが何故かウマの合う二人だった。万里子は今日子に一緒に組んでやらないかと話を持ちかけた事があったが、


 「万里子とはプライベートの親友だ、仕事のパートナーにはなりたくない。それに私はみんなで力を合わせてってのが嫌いなの、群れていたくない。」


 と、あっさり断られた。


 


 二人が仲良くなって半年ほど経ったある日曜の昼下がり、万里子がいつものようにキーボードを抱え出かけようとしたとき部屋の電話が鳴った。


 「もしもし万里子? 今日子だけど、私今日行けなくなっちゃってさ、うん、ちょっと用事が出来ちゃって。 悪いんだけど今日は一人で頑張って。」


 「そうなの?今日は新曲聴いてもらおうと思ってたのに。わかった、たまには一人もいいかもね(笑) 大丈夫よ、今日子に鍛えられてだいぶ強くなったから(笑)」


 電話を切って立ち上がろうとした万里子、ふいに立ちくらむと同時に吐き気に襲われた。思い当たるフシはある。とりあえず今日は横になって休み、翌日病院へ行くことに決めた。


 翌日、万里子は産婦人科の医師から予想通りの言葉を聞く。


 「おめでたですね。」


 その後はどうやって家に帰ったのかもよく覚えていない。とりあえず今日子に電話をかけた。


 「ごめん、今日からしばらく行けないの。」


 「どうした? 万里子に話があったんだけどな。」


 「うん、ちょっと体調悪くて、落ち着いたらまた歌いに行くわ。」


 「そうか、ゆっくり休んで早く元気になれよ、新曲も聴いてないしさ(笑)」


 万里子は悩んだ、このお腹の子を陽介はなんて言うだろう。喜んでくれるだろうか、堕ろせと言うだろうか、結婚、まさか自分が大スターの妻に? いや、きっと堕ろせって言われるに決まってる。どうしよう。 


 三日悩んでも答えは出ない。 万里子はキーボードを持って駅へ向かった。この長い坂道を下った先に今日子がいる。今日子に会えば何か答えが見つかるかもしれない。 駅へ着くと今日子がセッティングをしている最中だった。たった数日会っていないだけなのにその背中がとても懐かしく涙が溢れそうになった。


 「よう、万里子。もう良くなったのか?」


 「うん、平気(笑)」


 「あ、そうそう、万里子に話があってさ、ライブの前にお茶でもしながら話そうぜ(笑)」


 近くのファーストフードへ入りいつものようにたっぷりと砂糖とミルクを入れたコーヒーをすすりながら今日子が話し出した。


 「実はさ、デビューが決まったんだ(笑)」


 「え~! 本当なの? おめでとう! でもいつの間に?」


 「万里子には言ってなかったんだけど、前からコツコツとデモテープ作っていろんな所に売り込みに行ってたんだよ。そしたらある会社が気に入ってくれてね、直接聴いてくれるって言うんでこの前行って来たんだ。」


 「あの時の電話はそれが理由だったんだ。 へ~すごい(笑) で、どこからデビューするの?」


 「トイフィールドって所。」


 「トイフィールドって・・・」


 「有名なとこだと、布施陽介とかいるわね」


 「うん、知ってる・・」


 「それがさ、聞いてよ万里子(笑) 会社の会議室で弾き語りのオーディションしたらさ、すぐに合格してね、そのまま他の社員の人たちにも紹介するって事になって事務所に行ったんだ。そしたらたまたま打ち合わせに来てた布施陽介がソファーに座ってたの(笑) 挨拶したら頑張れよって言われてさ、会うまであんま興味無かったんだけどやっぱスターってカッコイイな(笑)」


 「そ、そう? そんなにカッコイイかな?」


 「万里子はああいうの好きじゃないのか(笑) それでさ、社員の皆に挨拶すませて今日はもう帰っていいってことになって廊下に出てさ、緊張してたからトイレに入ったんだよ。で、用を足してトイレから出たら呼び止められたの。」


 「誰に?」


 「なんと布施陽介(笑) もうビックリよ、今日これから用事ある?俺はこの後たまたま空いててさ、よかったら一緒にどう? デビューが決まったお祝いに食事でも、だってさ(笑) 信じられる? あの布施陽介から誘われたのよ? 同じ会社になるわけだし、向こうは先輩だし、大スターだしさ、断るなんてできないじゃん。 それから昼間だってのに高級ホテルのスイートルームで食事よ(笑)」


 「そ、そうなの・・ 良かったわね(笑) 大スターとホテルのスイートで食事なんて・・」


 「バッカ、お前、大人の男女がスイートルームでただ食事して帰るわけないだろ、私も食べられちゃったわよ(笑) しかも夜中に帰るまでに4回よ、4回、スターのくせにどんだけ飢えてんだよって感じだよね(笑) ありゃよっぽど付き合ってる女じゃ満足できてないんだな(笑)


あ、一応この話は内緒にしておいてな(笑)」


 「・・ごめん・・私用事があるの忘れてた、先帰るね・・」


 「え? まじかよ、新曲は?」


 「うん、また今度聴いて。あ、悪いけど今日はここ払っといて。」


 今日子に背を向けた途端に溢れる涙、さとられないように急いで店を出る、キーボードを肩に下げ、泣きながら坂道を上った。坂の中腹まで来たところで万里子は崩れるようにしゃがみ込み、声をあげて泣いた。泣き疲れ、涙が枯れるほどになっても立ち上がる事はできなかった。


 「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いんですか?」


 万里子が顔を上げると長ネギやらバケットだのが入った大きな紙袋を抱えた男性が立っていた。


 「はい、大丈夫です・・」


 「泣いてたんですか、体の具合が悪いわけでは無いんですね? あなたは確かいつも駅で歌っている人ですよね? 僕、何度か立ち止まって聴いていたことがあるんですよ(笑)何か困っている事があるなら僕で良ければお話だけでも聞かせてもらえませんか? この先に僕がやってる店があるんです。温かいミルクでも飲めば少し落ち着きますよ。 荷物重そうですね、僕が持ちますから代わりにこっちの紙袋持っていただけます?」


 万里子は力なく立ち上がると男の言葉に従いその後をついて行った。 店に着き荷物を降ろすと男はホットミルクにシロップを入れてカウンターに差し出した。


 「さあ、どうぞ、まだ開店してませんから落ち着くまでゆっくりしててください。」


 万里子はバーチェアに腰掛けミルクを一口だけ口にした。


 「美味しい・・・。」


 「ホットミルクって不思議なんですよ、心が溶けていく、やわらかい気持ちになれる飲み物なんです。」


 「あの・・・」


 「はい?」


 「全部話したいんですけど、誰にも言わないって約束してもらえますか?」


 「もちろんです。」


 男のかもし出す柔らかく包み込むような雰囲気に万里子はこれまでの経緯を語り出した。


 そして全てを話し終えると、泣きながら作り笑いをしてみせた。


 「なるほど、そんな事が・・・ しかしにわかには信じがたい話ですね、まさかあの布施陽介の全ての曲を、あなたのような若い女性がゴーストライターをしていたとは・・ そしてお腹に彼の子供まで・・」


 「結局、陽介にいいように使われてただけなんです私。それを子供ができた後に気付くなんて、馬鹿ですよね・・ 挙句の果てには、知らない事とは言え、私の親友と寝るなんて。」


 「どうするつもりだったんですか?」


 「子供を堕ろすのは嫌です。けど、私みたいな弱い人間が一人で子供を育てるなんてできません。 今日子とも、もう会えません・・。」


 「まさか、お腹の子と一緒に死ぬつもりでしたか?」


 「・・・」


 「あなたは本当に弱い人間なんでしょうか? あれほどの話をしている最中もあなたは一度も誰かのせいにはしなかった。 全て一人で抱え込もうとして持ちきれなくなってしまったんでしょう。 弱い人間と強い人間の違い、分かりますか?」


 「・・いいえ。」


 「それはツライ時、失敗した時、落ち込んだ時、何かのせいにするか、しないかです。 もし生まれながらに不幸な人がいて、生い立ちのせいにしたり、自分の血を呪ったりするほうが楽な場合もあるかもしれない。 でもこの世に生まれた瞬間から、みんなそれぞれの坂道を上るんです。いくら言い訳してもまだ坂は続きます。あなたもまだまだ坂道の途中です。布施陽介の裏方は辞められても、あなたと子供の人生は決して辞めてはいけない。あなたはもう母親なんです。今度は子供の人生の裏方にならなければ。」


 「私には無理です、もう坂道を上る力なんて残ってません・・」


 「アシタバって草を知ってますか?」


 「名前は聞いた事ありますけど・・」


 「漢字では明日の葉っぱって書きます。」


 「明日葉・・ですか?」


 「今日踏まれても、芽を摘まれても、明日にはまた葉がつき始める。強いですよね。明日葉、今日がダメでも、きっと明日は、きっと明日は・・」


 「きっと明日は・・」


 「あなたの坂道にもかならず陽が射します。 思い切って一度彼と直接話しをしてみたらどうでしょう?」


 「・・私、もうあの人の事は忘れたいんです・・」


 「テレビをつけても、雑誌や新聞を見ても、街を歩いてたって彼の顔を見ない日はありません。果たしてその現実から逃避できるでしょうか?」


 「じゃあ、どうしたら・・」


 「明日、彼をこの店に呼び出してください。どんな深夜になろうと構いません。まずはきちんと二人で子供の事を話し合ってください。そして彼から最悪の答えしか出なかった場合には、僕があなたと彼の記憶を消してあげます。」


 「え? 記憶を消すって・・・」


 「信じられないかもしれませんが、僕はカクテルの研究をしているうちに人の記憶を消す方法を見つけたんです。 ドライベルモット、この店の名前にもなっているお酒です、白ワインにハーブやスパイスなどで香りをつけたものです、独自の調合ですが。」


 「どの程度の記憶が消えるんですか?」


 「それを飲む一時間前からあなたに関わった人の事があなたの人生の記憶から全て消えます。


飲んだあとに眠れば目覚めた時にはその人の事を忘れています。あなたの脳は眠っている間に架空の記憶を作り上げます。」


 「絶対に思い出さないんですか?」


 「記憶の扉を開けるカギを作ります、カギを開けた時に記憶は蘇ります。」


 「カギ?」


 「願いや約束みたいなものです、それが叶うと魔法は解けます。いつか思い出したい記憶ならば簡単な約束でいい、二度と思い出したくない記憶ならば、叶うはずのない願いごとにすればいい。 どうですか?」


 「わかりました、明日彼を呼び出して話をします、悪い返事なら彼とそのお酒を飲みます。」


 「では明日、お待ちしています。」


 「あの・・キーボード置いていっても構いませんか?」


 「いいですよ。お預かりしておきます。」


 


 翌日の深夜、万里子に押し切られ、仕事を終えた陽介は、待ち合わせの店に車を走らせた。万里子の家に向かう坂道の途中を左に曲がり住宅街を抜ける、その先にネオンが見えた、店の前には万里子が立っていた。車を停め辺りを気にしながら降りる。


 「どうしたんだよこんな所に呼び出して、人に見られちゃマズイから会うのはアパートだけって約束だろ?」


 「ごめんね、一度外で話がしたかったの。」


 「新曲が出来たときじゃマズイわけ? 俺が忙しいのわかってんだろ?」


 「うん。どうしても今日が良かったの。」


 「わかったよ、とにかく中に入ろう。」


 赤い扉を開け、陽介が中の様子をうかがう。


 「お、誰もいないみたいだな。」


 「マスターも買い出しに行ってていないの、帰るまで勝手に使っていいって。そこのテーブルに座って。」


 「へえ、ちゃんと酒まで用意してあんじゃん。」


 「待って、大事な話だから飲むのは後にして。」


 「わかったよ。 で? 話ってなに?」


 「・・子供ができた。」


 「は?」


 「妊娠したの私。」


 「俺の子? ・・だよな・・」


 「そうよ、陽介と私の子供。」


 「そうか・・・ いくらかかるんだ?」


 「何が?」


 「中絶費用に決まってるだろ。まさかお前、産むつもりじゃないだろな。」


 「悩みもしないのね。」


 「おいおい、今スキャンダルはマズイんだよ、それくらい分かるだろ(笑)」


 「笑いごとなの?」


 「つっかかるなよ、子供なら俺たちが結婚したあとでいくらでも作れるじゃないか(笑)」


 「私と結婚する気なんてないんでしょ? 曲を作ってもらう為に私を抱いてるだけなんでしょ?」


 「何馬鹿なこと言ってんだよ万里子(笑) 俺はお前を愛してるんだ。」


 「じゃあ何で他の女と寝たりするの?」


 「いったい何の事だよ(笑)」


 「・・・もういいわ・・ お酒飲みましょ。」


 万里子はテーブルに用意されていたドライベルモットのボトルを開けると二つのグラスにそれを注いだ。


 「乾杯しましょ。私の明日と、あなたの明日に・・」


 「そうだな、子供のことは悪いと思ってるよ、これからも今まで通りいい曲作ってくれよ(笑) 俺と万里子の素晴らしい未来に乾杯!」


 陽介が一気に飲み干すのを見て万里子もグラスを開けた。


 「ところで、さっき他の女がどうのって何のことなんだい?」


 「いいの、明日も仕事早いんでしょ、もう帰っていいわ。」


 「気になるじゃないか(笑)」


 「・・・私の、親友だったの。」


 「誰が?」


 「今日子・・」


 「・・え・・ あ・・ そうなんだ。 えっと・・やっぱり明日早いから俺先に帰るわ(笑)」


 「さようなら」


 「うん、じゃ、曲ができたら連絡くれよな(笑) じゃあ。」


 陽介が店を出ると厨房の中からマスターが出てきた。


 「どうでした?」


 「結局飲んじゃいました(笑) 予想通りの答えでした・・」


 「そうですか・・ これで彼もあなたもお互いの関わった記憶を無くします。」


 「マスター、いろいろありがとうございます」


 「いいえ、カギは決めましたか?」


 「はい、今の彼を見てはっきりと・・ もう私は二度と思い出せなくてもいいです。だから叶わない望みをカギにします。」


 「叶わない望みとは何でしょう?」


 「いつか私の作った歌が私の名前で世間に流れた時・・。」


 「叶いませんかね?」


 「もう曲も作りませんし、歌も辞めますから・・ マスター、お願いがあるんですが、」


 「何でしょうか?」


 「そのキーボードを処分してください。あと作った曲のテープと歌詞も持ってきたんでこれもお願いします。手元にあったらまた歌ってしまいそうだから。」


 「そうですか、分かりました。 おや、この一本だけ曲名が書いてありませんね。」


 「それ、まだ歌ってない新曲でタイトル決めて無かったんです。」


 「そうなんですか、もったいないですね。一度も歌われずに捨てられるなんて・・ どうですか、今ここで歌ってもらえませんか? そのキーボードで。」


 「わかりました(笑) 私の最後の歌、聴いてください。」


 万里子はキーボードの電源を入れるとマスターに微笑んでお辞儀をした。イントロが流れ、万里子が歌いだす。その歌詞は強く前向きに進んでいく女性を主人公にしたものだった。 曲が終わるとマスターは拍手を送った。


 「いやあ、素晴らしい! あなたの才能は本物だ。」


 「ありがとうございます(笑) マスターのおかげで明日の朝、本当の記憶が無くなっていても強い気持ちで歩いて行けそうです。」


 「それは良かった(笑)」


 「マスター、この曲のタイトル、今決めました。」


 「何て言うタイトルですか?」


 「陽のあたる坂道~きっと明日は~」



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